16. 2018年1月02日 03:21:36 : 1r29bu9eoM : KPH12JBW9y4[1]
財界の良心と言われた元経済同友会会長の故き品川正治氏の話である。
中国戦線で捕虜になり、終戦の翌年、引き揚げ船で帰ってきた。港に着いたのがたまたま新憲法の発布の日だった。下船許可が降りなうちに誰かが新聞を運び込んだ。
新憲法の記事を「品川、おまえが読め」と上官から指示され、居並ぶ戦友たちの前で読んだ。憲法9条の部分にさしかかると、兵士たちはみな、泣いたという。
これでもう、戦(いくさ)をしないですむ、戦争のない世界で生きていけるんだという思いに兵士たちはうれし泣きに泣いたそうだ。
兵士ばかりではなく、それが当時の戦災に苦しんだ多くの庶民の感慨だったと思われる。
しかし、そうした庶民を狩りだし「戦争をさせる権利」を失った支配層は悔しかったのかも知れない。彼らはいつかその権利を「取り戻したい」と願ったろう。
近頃はその庶民の孫あたりであるにもかかわらず、自らの祖父母の思いより、赤の他人の支配層の気持ちを忖度する者もいるようだ。(誰とは言わないが)
そのような人は仲代氏のこの言葉など、目にも入らないないようだ。
>ブレヒトはこの芝居で”戦争でもうけるのはお偉方だ、だから戦争はなくならない””一番の犠牲者は庶民だ”と告発します。北朝鮮や中東の問題を見ても、「危機をあおれば武器が売れる」とうごめく者を感じます。
そもそも近代の戦争はみな“防衛戦”だ。「自国の国益保護」という理由でそれは始まる。「領土や国民の命を守る」という理由に留まらず、それは拡大解釈されるだろう。
戦争というのは敵味方どちらの庶民も良い目をを見ない。たとえ「戦勝国」の国民になれたとしても、戦死したり、爆撃で殺されたり、PTSDになってしまっては意味がない。それなのに誰かが言う。「これは正義の戦争だから、お前も行かねばならない」と。