8. 2017年4月15日 18:31:28 : o53QZN2E42 : KLfVVIxCEVU[1]
>子供から大人まで生きた人間を狭いガス室に閉じ込め、有毒ガスで殺した
何の根拠もない妄想に過ぎない。
ユダヤ人虐殺に関する命令書は存在しないという事実を誰も指摘しない。
ヒトラーはことのほか命令書を重視していた。
例えば、ソ連侵攻のバルバロッサ作戦にはちゃんと命令書が残っている。
バルバロッサ作戦で使われた現場レベルの命令書もちゃんと残っている。
だが絶滅計画には命令書が残っていない。
もちろん絶滅計画には予算も計上されてない。
おまけに連合軍はドイツ政府・ドイツ軍の交信記録をすべてチェックしたが、
秘密の無線通信やオフレコの会話でさえ、
絶滅計画に関したものは何も残っていない。
こんな状況で絶滅計画の実行を信じられると言う人は、
実社会で働いた事が無い人だけだ。
大学の先生が「ホロコースト」を信じる理由はそこにある。
あらゆる傾向の歴史家たちは、
ヒトラーやその他のナチスの有力者によるユダヤ人の物理的絶滅文書命令は
発見されていないことで意見の一致をみている。
1984年に、シュトゥットガルトで
「第二次大戦におけるユダヤ人の殺戮」という歴史家の会議が開かれたが、
その参加者は、一つの点、すなわち絶滅の文書命令は発見されていないという点で
一致している。
こうした事情は、長いあいだ、歴史家の頭痛の種であった。
数百万のユダヤ人を「絶滅収容所」に移送し、
彼らを殺戮するという巨大な作戦には、
数十万の人員 が関与する組織の存在を前提とするし、
とりわけ、第三帝国のような官僚的に組織された国家では、
文書命令なしには、ありえないことだからである。
ナチス は、敗戦が近づいても、文書資料を破棄しなかった。
むしろ、膨大な資料が戦勝国の手に入った。
シャイラーは、有名な『第三帝国の興亡』のなかで、次のよう に述べている。
「…外務省、軍部、ナチス党、ヒムラーの秘密警察を含むドイツ政府やその部局の大半の文書が捕獲された。このように膨大な宝物が同時代の歴史家の手に落ちたことはなかったであろう。…1945年に第三帝国が降伏して、すぐに崩壊してしまったために、膨大な秘密文書だけではなく、日記、極秘演説、会議記録、 往復書簡、ゲーリングが空軍の中に設置した特別局によるナチス指導者の電話の盗聴記録のような重要文書、…ドイツ外務省の485トンの記録文書が、ベルリンからの焼却命令の直前に、ハルツ山脈の城や鉱山の中で、アメリカ第一軍によって捕獲された。…数十万の捕獲文書が、主要戦犯裁判の証拠として、ニュルン ベルクに急いで集められた。」
ナチス文書の山を考えると、ユダヤ人絶滅政策の文書証拠が存在しないことは、
「ホロコースト」正史の提唱者にとっては、苦痛に満ちた、当惑する事態であった