33. 宇宙の塵[135] iUaSiILMkG8 2017年4月26日 01:41:11 : zyidEIVdUg : K6c7FE6EMwo[1]
>>2さん
あなたのお考えに同意します。
人間にはさまざまな能力があります。知力もそのひとつであり、知力の高い人が社会的に影響力の大きい地位に就くことは、むしろ当然であろうと思います。
しかし、知力の差が人間としての存在の価値を左右することがあってはいけない、と私は思うのです。人間には知力と同等かそれ以上に大切なものがあるのではないか、ということを私は言いたかったです。
>>7さん
言わんとされることは、何となくわかるような気がします。
時代が一種の閉塞状態にあるということなのでしょう。
ひところ「不確実性の時代」という言葉が流行した時期もありましたが、今の時代はそのように自分たちを客観視する余裕さえもてないところまで来ているのかも知れません。
今の時代を生きる人々が ‘バカ’で‘思考停止’に見えるのも、何かに追い詰められ本能的に身構えた状態にある、ということの一側面なのでしょう。
その何かとは、暴力的な「1:99」に象徴されるものであり、それに対する意識されざる違和感のようなものなのでしょう。
>>15さん
>>後世にどんな社会(時代)をつくるか、大人(若者たちも含めて)の責任が問われています。
□私も同じ考えです。
>>九九のできない、漢字を読めない書けない人は、学問に疎く間違いなく知識が乏しい人と言えるでしょう。そうゆう若者が増えることは、社会の損失です。 ・・・ 基礎的学力の向上は、その当人と社会、その両方にとって大事な事柄です。
□いわゆるここでいう「社会」は、経済効率性や利益率の物差しで広く世の中全般を動かしています。しかし、効率性や利益率の物差しの指し示す究極的な姿がグローバリスムであるとすれば、そのような競争原理に基づく「社会」の価値観とは別の角度からの物差しが今必要とされているのではないか、というのが私の考え方の根底にあります。
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