2. 2017年11月03日 22:52:26 : CUFSbXtibo : jU5escWPkIw[1]
キム・ヨンホ氏>「9条はアジアの宝です。これがなくなったら日本は新たな軍国主義国家になる恐れがある。アジアは軍拡競争の悪循環に陥るだろう。9条を守る姿勢でなく攻めの姿勢でいってほしい」
連日メデイアに、破壊され尽くされた中東の街並み風景が報道されてるが、ただ只破壊だけの戦争の、最早虚しさつうより、怒りきゃあねえな。アジアは今、辛うじて戦争を食い止めちょるが、中国が共産党の下に安定してることと、日本の憲法九条の存在が大きいよ。タラレバじゃが、中国が仮に軍閥等群雄割拠でてんでに勝手な事をオッ始めて、統一国家の体をなさなくなる、日本の9条も換骨奪胎的に改悪で、事実上消滅する、こうなった事態は、考えただけでもオッ恐ろしいな!。戦争で儲ける戦争屋が、ヤリタイように介入で、シッチャカメッチャにかき回し、今の中東の街並み以上に、我々のふるさとは破壊・破壊・ただ破壊となるんは必定だな。19世紀半ばから20世紀半ばまでのアジアの100年は、正にそれじゃった。本当に、食いてえもん着てえもん我慢しても、9条だけは守ろうじゃあねえか。
今年の5月の憲法記念日前後に、9条が論議呼び阿修羅を賑わしたが、小生も
”じゃま一”君のコメに反論の形で、意見を載せたので、じゃま君の言い分と小生の言い分を再掲する。
じゃま一氏>「GHQも最初は、日本に憲法を作らせようとしたが、携わった憲法学者が御用のため近代憲法を理解できず、草案を見てGHQは驚嘆し、自ら草案を作って強引に公布した」
小生の反論>
「9条は、その時代の思い、人類全体の思いだった」
おじゃ一が口から出まかせを、又々やっちょるな。1946年早春、街にはひばりちゃんの東京キッドが流行ってたが、GHQは当初は日本側に新憲法つくらせようとしたのは事実だ。日本側は、松本烝治を中心に新憲法案(憲法改正要綱、松本案)をまとめ、2月8日にGHQへ提出した。実は、そのおおよその内容は、GHQは事前に知っていた。2月1日に、毎日新聞が松本案の概要(正しくは宮沢甲案)をスクープしていた。その記事を即座に分析したGHQは、そんときの率直の感想は、。”コラア駄目だ、新憲法作る気も無ければ、能力もない” というのが偽わざる気持ちだった。何せ帝国陸海軍も存続、天皇主権もそのままだった。慌てたGHQは、3日に今の第一生命ビル8階に、GSスタッフ30数名を中心とするメンバー集め、基本骨子(マッカーサー三原則、軍備廃止・国民主権・基本的人権尊重等)だけホイットニーが示し、新憲法の基本案準備作業に入った。30数名の中に、ベアテ・シロタがいたというのは有名な話だ。全員が、各担当分野を、一週間でまとめると言われ、不眠不休だった。女性の権利を担当したベアテなんざ、東京中をジープで駆け巡り、図書館に行き、日本人学者に話しを聞き、骨子まとめた。こうして、マッカーサー草案がおおよそまとまったことろへ、2月8日に松本烝治等が松本案をもってきた。当然GHQ側は、基本的な所では明治憲法と大差ないことを知っていたから、代わりに出来たばかりのマッカーサー草案を示し、これを参考に新憲法を作れと、命じた。このことを、「押しつけ」ととるか、確かに形は押しつけだが、日本側は軍部存族や天皇主権は変える気なかった、形式でなく前後の状況で考ええれば、押しつけとは言えないだろう。マッカーサー草案をもって帰った松本烝治等は、腰も抜かさんばかりに驚いた、軍備廃止とか天皇主権否定だ。ここから、松本烝治等はGHQに日参して、自分達の案(松本案)による新憲法をと陳情始めた。しかし、GHQは認める筈ない。とうとう痺れきらしたGHQは、2月18日に、マッカーサー草案をベースに新憲法作るのか否か、24時間以内に答えもってこいと、最後通牒を突きつけた。否のときは、天皇制の存続が危険になるよ、との一言が決め手になった。じつは、GHQ側は、ここまでの記述で、相当慌てたり焦ったりの状況が分かっただろうが、ある事情があった。極東委員会開催、極東裁判開始が刻々と迫っていた。ソ連やオーストラリアなど、天皇制存続に厳しい考えもっていた。GHQとしては、開始前に、新憲法を完成させ、そこへ天皇を位置付け、天皇制を続ける意向があった。こうして、日本側も止むを得ずと、受諾して新憲法作製に入り、ついに3月5日に、「憲法改正草案要綱」が発表された。これは、ほぼ現憲法と同じである。
おじゃ一が言うように<当初の日本側の案がダメなので、GHQは自ら作って強引に>と言うのは、全て間違いでないが、その<ダメ>の内容が、おじゃ一が推挙する現行自民党改憲草案に通じる内容なので、GHQはダメと言った、という肝心のところは、おじゃ一は故意か無知か知らんが、抜かしちょるな。
9条は、ハーヴァード・ロースクール出身のケーデイス大佐(本業弁護士)が担当したが、あれには、人類と時代の相当な思いが込められている。彼が、多感な高校・大学時代を送った1930年代は、悲惨な一次大戦の実体から戦争を法律で禁止(Outlawry of War)しようという不戦運動がアメリカで燃え広がった時代だった。ケーデイスは、こうした影響を強く受け、何とか戦争を法的に禁止できないか、という思いを強め、大学でも戦争の法的禁止をテーマに研究した。日本憲法作製で、戦争放棄を担当することになったとき、彼の思いを9条条文に込めたのは当然だが、それは彼の個人的なものだけでなく、その時代の思い、人類全体の思いだった。9条がノーベル平和賞とれるか落選か不明だが、もしとれる場合は、ケーデイスも日本人共々、正しい方向の努力したし、少しは報われたと、思うのでないか。
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