14. 仁王像[2247] kG2JpJGc 2018年6月24日 11:01:28 : 3zo91ri5Ps : jPj6teWtiYY[1]
(総括ー与太大将の文体を復習)
文が常に長々しく思わせぶりなだけで切れ味すこぶる悪く紛らわしいのは、客観性を装い権威者ぶることで飾り立て正体を容易に見破られないようにする習慣が習い性になったことにある。
正体とは、本人は統治者側の端くれにあり、それを代表する党派性を持っていること。これまでそれを気取られないように100円ショップででも仕入れたな錆びついた詭弁の鎖帷子(かたびら)を何重にも着込んでいた。
最近は、堪え切れなくなったかその帷子を自ら脱ぎ捨てざるを得なくもなってきた。また、多くの阿修羅諸氏に”イモ洗い”されると、安物の鎖帷子は容易に剥ぎ取られ、ついには丸裸のスッポンポンで路上に放り出されることになった。おまけに恥部も思いっきり公衆の面前に晒け出したままである。
これを覆い隠す詭弁の帷子はもはやこの世には無い。
(われわれも、この場をお借りして何事かを語る時、留意すべき教訓と思う)
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/614.html#c14