8. あおしろとらの友[110] gqCCqIK1guuCxoLngsyXRg 2017年5月02日 13:30:26 : BEytCEiHh6 : jl3ueN2IcsA[1]
>>罵愚さん
独立はアメリカに出て行ってもらえば出来る。日本国民は現憲法をまだ自らのものとしていない
自民党の改憲攻撃にさらされて、それに打ち勝って初めて自らのものと出来る。
http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/156.html#c8
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独立はアメリカに出て行ってもらえば出来る。日本国民は現憲法をまだ自らのものとしていない
自民党の改憲攻撃にさらされて、それに打ち勝って初めて自らのものと出来る。
http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/156.html#c8
けっこう、うちにはもっといいのがある。そう言いたい。
http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/180.html#c6
ためらうようになる。その結果、政府はテロは日本ではめったに起きませんなどと言わざるをえなくなる。
http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/193.html#c1
あなたのおっしゃることは道理だと思います。この憲法9条というのは改憲派、護憲派双方にとって大変な重荷だろうと思います。改憲派にとってはこの足枷からのがれて国の振る舞いを自由にしたいと思うでしょう。護憲派にとっては9条実現は世界平和だが、道は遥か彼方だ。70年前、原爆による悲惨な敗戦がなかったならこの条文は存在していないでしょう。この兵器は広島、長崎以後、実戦で使用されていない。これは広島、長崎の事例が核使用の抑止となっているからでしょう。それゆえ日本国憲法は理念として国民の心に刻まれることになったのだと思います。理念となりえなかったならば早々憲法改正はされだでしょう。理念ゆえ現実がそれから逸脱するのはしかたないことで、日米安保も現実に則したものでしょう。他国からの脅威もあるでしょう。しかし国益のために理念を捨て去るということがありうるのか。各国が国益のためだけに勤しんだら早晩争いは起こる。その調整にいかなる方法を用いるのか。これは日本に突きつけられた問いだと思います。
それから憲法条文に何を盛り込むかですが、国民の趣味を反映させる必要はないでしょう。他国語に翻訳しやすい簡素な文面が望ましいと思います。
http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/156.html#c12
その通りです。ということは憲法9条がヒジョーシキということです。しかしこれを受け入れざるを得なかったのが前の敗戦の惨状です。そうして生まれたのが象徴天皇と平和憲法の両天秤だと思います。このバランスのうえに戦後日本は築かれたと思います。ところが憲法9条を毀損することで平和が成り立っていたというのが実情でしょう。日米安保条約がそれです。しかしボロボロになった9条でやっと日本の立ち位置を守ったのも事実でしょう。集団的自衛権はこの日本の立ち位置をなしくずしにするものです。つまり日本が全面戦争の歯止めになりえなかったことを自ら示すことになりえるでしょう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/156.html#c14
国民に対し宣戦布告するようなもんだな。
http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/274.html#c1
これを国民にやらせるということは、国民を戦争に駆り出すのと同じ理屈。
http://www.asyura2.com/17/senkyo225/msg/261.html#c5
国民はそれを見て面白がっている。