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JKxPiEMAc_4 コメント履歴 No: 100000
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[医療崩壊5] 731部隊に関与した医師・医学関係者   魑魅魍魎男
2. 2017年8月14日 08:34:28 : PC3cpwwHNA : JKxPiEMAc_4[1]
2013.05.29 Wednesday
731部隊の人体実験・細菌戦はぜんぶウソ(全て作り話)
写真もウソ。1910年に満州でペストが大流行した時の写真
http://cooljapan2.jugem.jp/?eid=978
731部隊が人体実験をしたというマトモな資料は何一つない。
南京大虐殺をでっち上げた東京裁判でも審理すらされなかった。
ハバロフスク裁判では審理されたが、ソ連に抑留・拘禁された捕虜?の証言は、「人を凍結して復活させる実験とか、心臓を交換する実験」など、誰も信じない荒唐無稽な内容であり、反日左翼学者でさえ呆れて相手にしない。
ところが、1980年代になると中帰連(支那共産党によって洗脳された精神障害者の団体)の湯浅謙や推理小説作家の森村誠一らが、それをネタ元にして様々な作り話を考え、まるで史実であったかのように宣伝したのだった。
その後、大学教授(経済学部)の松村高夫が古本屋で見つけた自然感染とか動物実験とか死体解剖とかの医学書を「731部隊の生体実験の資料」として資料集に所収したりしたが、全部嘘っぱちだ。
動物に対する実験すらも、人間への実験と解釈して、証拠物件に挙げていた
「第二章に『潤背筋』と書いてありますが、こんな名前の筋肉は人間には無いですが、馬にはあります」
なるほど、こういう動物に対する実験すらも、人間への実験と解釈して、証拠物件に挙げていたわけだ。
まー、素人は験体が動物か人間かまでは、区別できないからね。
要するに、日本を悪者にできる材料なら、何でもいいわけだな。
篠塚良雄という元731部隊の少年隊の一員だった爺がいる。この篠塚良雄はテレビに出演するのが大好きだ。
2005年8月6日(土曜日)の「朝まで生テレビ」にも出演し、「中帰連だ」と恥ずかしげもなく自己紹介し、「731部隊に志願して入ったのは1939年」と証言し、
医学部出身でもなく医療の知識がないのに保菌部隊に入れて、
よくよく計算すると、志願した当時、なんと14歳だった篠塚良雄(81歳)。
その篠塚良雄・81歳は、2006年1月17日の『筑紫の「ニュース23」(TBS)』の【731部隊の石井中将の日記特集】にも出演して、「証拠隠滅のために731部隊に収容していたマルタを全員皆殺しにした。」と証言した。
しかし、731部隊に14歳の少年兵が所属する「少年隊」はなかった。
もう一人、似たような奴がいる。
森下清人(元七三一部隊少年隊2期生)
インタビューは大分協和病院において91年9月に行われた
<少年隊に入隊>
いや、飛行機です。そのために専用の飛行場持っとるんですから。呑龍(どんりゅう)いう大きな飛行機も持っとるんです。
あれで上海やら重慶やらから直接連れてきとったんじゃないですかねえ。そりゃハルピンからも連れてきとったんかもしれませんけど。
よく深夜とか明け方近くに飛行場の滑走路に明りがともるんですよ。そしたらゴーいうて大きな爆音がして飛行機が着陸するんです。少年隊の宿舎からちょいちょい見えてました。
ああ、またマルタ連れてきたなあ思いよりましたですなあ
www
戦後も時が経ち、反日思想が充満すると、人はこうもいい加減な事を口走るようになるのだろうか。
こいつは、マルタを重慶から連れてきたように想像している。
日本軍がいつ重慶に行ったのだろうか。
重慶は国民党(蒋介石政府)の首都だが、日本軍はここを陥落していないし、占領もしていない。
戦後の馬鹿ガキなら間違えても仕方ないが、当時、その時代を生きていた日本軍の者が、安易にこんなことを口走るとは。
占領もしていない重慶から、どうやってマルタを連れて来たのか?!
ちなみに、こいつは、昭和17年(1942年)の3月29日に、大分高等小学校を14歳で卒業し、ハルピンに向かい、731部隊の「少年隊」に行ったそうだ。昭和17年といえば、上海では戦闘などなく、ほとんど日本の支配地みたいなものだった。どうしてそんな上海からマルタを連れて来る必要があったのだろうか。
外国人や報道関係者も多いし、人目が憚られる。もう少し戦地に近いところで、捕虜で死刑にすべき者などを連れてくれば良かったし楽だったろうに。よりによって、こいつは、
【日本軍が占領もしていない敵の中心地の重慶】や【外国人や報道関係者が沢山居た大都市の上海】からマルタを飛行機に乗せて満州国へ連れて来ていたと考えていた。
こんなことを話した時点で、法螺話であることがバレバレだ。
「人間に感染する細菌の量を人間で実験した」というのである。
731部隊にかかわる論争はこの一点の真偽を確定することに限ってのみ根拠がある。
が、他の事項に関しては論争する以前のものばかりで、 何らの根拠も存在せず、妄想の域のものばかりである。
加えてヒル・レポートは、 人体実験の「唯一の物的証拠」は、石川太刀雄丸が敗戦前の 1943年に日本に持ち帰った病理標本だけ、と結論付けている。
731部隊にからみ、人体実験の“証拠”はそれ以外まったく存在しないのである。
第二次世界大戦中、細菌兵器を攻勢作戦で使用できる態勢にあったのは英国、ロシア、米国の三ヶ国であった。化学兵器では最先進国のドイツはなぜか細菌兵器では遅れをとった。石井中将が発明した宇治式爆弾のお粗末さを見てもわかるように、日本は、英米露から見ればB兵器の後進国であった。
前に述べたフェル第一レポートですら、「我々(米国)が大規模生産という点でも、気象学の研究という点からも、実用的軍需生産という点でも、日本より十分優れていたことは明白である」と述べている。
石川太刀雄丸がもっていた病理標本のほかは、米国は石井731部隊から学ぶものがなかった。
東京裁判に訴追しなかったのは、取引をしたからではない。「免責」という言葉を与えたようだが、初めから訴追する気がなかった。
石井731部隊の訴追にソ連の謀略の匂いを、米国は充分に嗅ぎとっていたからである。
一言付け加えるならば、病理標本(臓器標本ではない)は大量の臨床例があれば人体実験をしなくても作成できる。
そして満州は風土病の宝庫だった。
病理標本の存在だけで、人体実験の実在を断定することは不可能だ。
常徳のペスト流行について1941年11月4日の日本軍機による細菌散布により発生したとの支那側の発表に対して米英などは当初から懐疑的だった。
米英は、重慶政府の発表のはるか以前に、独自の情報網を使ってその発生の原因と経過についてかなり正確な情報を入手していた。
英のポートン細菌研究所は、
•飛行機から地上まで物体が落ちる道筋をたどった目撃者が特定されていない。
•物体(穀類、紙、木綿ぼろ)が見つかった付近には通常のゴミの山が見られた。
•収集された米穀類からペスト菌が発見されなかった。
•常徳では以前にペスト流行はなかったとされているがそれを証明できる死亡統計が得られていない。
などの理由により、ペストの流行が風土病である可能性を排除できないとして常徳のペスト流行が日本軍の細菌投下によるものであることを否定した。
そもそも、大量のペスト感染ノミを製造するのは不可能なのだ。
100グラムのノミを製造するのに1600頭の白鼠が必要。そうすると、10キログラムのノミを造るには160,000頭の白鼠が必要。こんなに大量の白鼠をどうやって集めるのか。
しかも、白鼠の固鼠器内の生命は約一週間という。頻繁に取り替えなければならない。これでは、大量に作るまでに時間がかかる。最後の一匹が出来たとき、最初に造ったノミは生きているのか。
結局、ノミの人工的な大量繁殖は不可能で、ノミ(ペスト菌)を使っての細菌戦も嘘っぱちということだ。それから、田中淳雄少佐が余暇にノミの増殖研究を命ぜられたのは1943年だから、1940年〜1942年に731部隊の細菌戦によってペスト被害に遭ったとする「731細菌戦賠償訴訟」は完全な出鱈目なのだ。
田中淳雄少佐は1913年生まれで、1941年に京大医学部卒業、同年軍医学校で防疫学を学び、翌年関東軍防疫給水部に入隊、終戦まで主としてペスト防疫に従事していた人物。
この尋問録は、1945年10月30日に京都の都ホテルにおいて行われた、米軍のムーレイ・サンダース軍医中佐による、田中少佐への尋問の記録であり、この尋問の前提として、サンダース中佐は「戦争犯罪を云々するもので無く飽く迄科学者として話したい」と田中少佐に語っている。
命ぜられたのが「昭和18年(1943年)」であったことに注目。
「1943年、余暇にノミの増殖研究を命ぜられたが、到底不可能であることが判明した」というのが真実なのだ。
つまり、1940年〜1942年に731部隊の細菌戦によってペスト被害に遭ったとする「731細菌戦賠償訴訟」(1997年提訴)は、最初から嘘っぱちのでっち上げだったのだ。
731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟が、実際のところは、どうだったのかと言うと、
実は東京地裁の判決文には、【客観的証拠は何ら提出されなかった】と述べられている。
つまり、731部隊の細菌戦というのは、インチキ事実認定が平気でまかり通る民事訴訟であるにもかかわらず、客観的証拠が何ら提出されなかったために、裁判所は事実認定についても触れなかったのだ!
これで、731部隊が行ったとされる細菌戦なるものが嘘っぱちのでっち上げであることが確定したのだ。
要するに、731部隊(関東軍防疫給水部)が行っていたことは、近年イラク派遣自衛隊が行っていたのと同じようなことだ。
防疫・給水、すなわち、疫病の研究をして清潔な水を供給することが任務だったのだ。
ただ、ソ連や支那が細菌戦を実行したので防衛的細菌戦の研究を行ったということだ。
731部隊(関東軍防疫給水部)は細菌戦研究はしていたものの、細菌戦を行った証拠は全くなかった。
米国立公文書館は、731部隊が満州で行った細菌戦研究などに関する米情報機関の対日機密文書10万ページ分を公開した。
石井四郎中将を始めとする731部隊関係者の個別尋問記録や、石井中将が細菌戦研究の成果を1947年6月ごろ執筆し米軍に引き渡したことを裏付ける最高機密文書も明らかになった。文書内容の大半は731部隊など細菌戦研究に関する内容だった。
ナチス・ドイツと日本の「戦争犯罪」を調査するため、クリントン政権当時の99年に構成された記録作業部会(IWG)は、「慰安婦問題」などの悪事を裏付ける文書も探したが、証拠は見つからなかった。
奉天(瀋陽)の収容施設で、連合軍の捕虜に細菌実験が行われなかったかを調べたり、日本からの風船爆弾が細菌戦に使われないかを調べたりしたが、「当面は細菌戦を想定していない」と結論づけた文書も公開された。
つまり、アメリカが持っていた731部隊に関する10万ページの機密文書には、731部隊が人体実験を行ったり細菌戦を行った証拠は全くなく、戦後に言われたことは全て嘘っぱちのでっち上げだったのだ。
古今東西、細菌戦の研究はどこの国でも行われており、問題は実際に細菌戦を実行したかどうかだ。
支那事変で支那軍が細菌戦を行ったことは間違いないし、ノモンハン事件でソ連軍も細菌戦を行った形跡がある。
731部隊は、そのような支那軍やソ連軍の細菌戦から日本軍や住民を守るために防衛的細菌戦研究を行っていたことはよく知られている。
支那軍による虐殺4・上海における支那軍の細菌戦
人体実験・生体解剖など
森下清人や「中帰連」の篠塚良雄などは自分の犯罪を証言したが、二人とも731部隊に入隊したのが14歳のときだと証言しており嘘がばれている。
GHQの占領下で、米国は石井四郎ら731部隊関係者を調査した。それらのレポートの中で、「人体実験の証拠」となる可能性が残るモノは、「人間に感染する細菌の量を人間で実験した」というヒル・レポートのみで、その「唯一の物的証拠」は、石川太刀雄丸が敗戦前の1943年に日本に持ち帰った病理標本だけだが、その病理標本も証拠にならないと判明した。
以上のように、731部隊が人体実験をしたというマトモな資料は何一つない。
南京大虐殺をでっち上げた東京裁判でも審理すらされなかった。
ハバロフスク裁判では審理されたが、ソ連に抑留・拘禁された捕虜?の証言は、「人を凍結して復活させる実験とか、心臓を交換する実験」など、誰も信じない荒唐無稽な内容であり、反日左翼学者でさえ呆れて相手にしない。
ところが、1980年代になると中帰連(支那共産党によって洗脳された精神障害者の団体)の湯浅謙や推理小説作家の森村誠一らが、それをネタ元にして様々な作り話を考え、まるで史実であったかのように宣伝した。その後、大学教授(経済学部)の松村高夫が古本屋で見つけた自然感染とか動物実験とか死体解剖とかの医学書を「731部隊の生体実験の資料」として資料集に所収したりしたが、全部嘘っぱちだ。
細菌戦
1993年、吉見義明は、元陸軍参謀本部の井本熊男の業務日誌の中に細菌戦に関する記述があることを防衛庁の図書館で発見した。4年後、それを証拠として、4人の支那人が731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟を起こした。ところが、井本熊男の業務日誌の細菌戦に関する記述は、おかしなことばかりだ。
結局、731部隊の細菌戦というのは、インチキ事実認定が平気でまかり通る民事訴訟であるにもかかわらず、客観的証拠が何ら提出されなかったために、裁判所は事実認定についても触れなかった!
また、「田中淳雄少佐尋問録」によると、 1943年、余暇にノミの増殖研究を命ぜられたが、到底不可能であることが判明した。
つまり、1940年〜1942年に731部隊の細菌戦によってペスト被害に遭ったとする「731細菌戦賠償訴訟」(1997年提訴)は、最初から嘘っぱちのでっち上げだったのだ。
当時も、英のポートン細菌研究所は、常徳のペスト流行について1941年11月4日の日本軍機による細菌散布により発生したとの支那側の発表を否定していた。
結論を言うと、731部隊(関東軍防疫給水部)が行っていたことは、近年イラク派遣自衛隊が行っていたのと同じようなことだ。
防疫・給水、すなわち、疫病の研究をして清潔な水を供給することが任務だった。
ただ、ソ連や支那が細菌戦を実行したので防衛的細菌戦の研究を行ったということだ。
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