26. 2017年1月02日 14:25:47 : To5lgOAo2E : iyQ1uU4GW5U[1]
>>5 >>7
>皇室典範だけは「不磨の大典」にしておけ、というのか?
論点をすり替え拡大していないか?
問題なのは、以下のような天木さんの論じ方だ。
「これは安倍首相による天皇陛下の口封じだ」
↓
「きょうの各紙が一斉に掲載したのは、安倍首相の年頭所感だ」
↓
「安倍首相は天皇陛下を超えた存在になったということだ」
天皇が口封じされたかどうかは単なる想像だ。
その想像に基づいて、天皇の権威を汚したと騒ぎ立てている。
また、内閣総理大臣の所感が年頭の紙面を飾ること自体は、民主制国家としては何の不自然もない。
要するに、天木さんは天皇に安倍政権を批判する言葉を発してもらい、それが元旦の紙面を飾ることを期待していたのに叶わなかったことで「天皇陛下を超えた存在になった」と断じている。
こういう所が天皇の権威を政治的に利用しようとしていないかということだ。
憲法に列挙された国事行為、その他の公的行為は内閣の助言と承認に依拠するというのが憲法の態度だし、皇室典範も法律なのだから国会で議論すればよい。
残念ながら今はその内閣が安倍内閣で、国会は自公が支配している。
自分の思い通りにならないからと言って、原理原則を踏み外して感情論で騒ぎ立てているのが天木さんだということだ。
不正選挙のことはあるが、まずは民主制の過程を通して権力を追い詰めてゆくのが筋であり、天皇の言葉に政治変革を期待すべきではない。
http://www.asyura2.com/16/senkyo218/msg/472.html#c26