21. TondaMonta[435] gnOCj4KOgoSCgYJsgo@CjoKUgoE 2018年4月03日 10:07:36 : 8J1vQqoYE2 : IQrjPYhS3g4[1]
恐育とは難しい面がある。また,日本人のほとんどが学校教育を受けているので,教育に対しては(平等観をもって)だれもが一言居士。しかし自分が受けた教育から議論や仮説を立てるーそれしかないーから議論がかみ合わない。議論がかみ合うのは給食の脱脂粉乳を飲んだ経験などわずか。平和教育から反戦教育を通って平等主義教育まで全国同一ではない。
さてそこで長文の暗記だが,「男女七歳にして席を同じうせず」といった『論語』教育が行われていた時代が江戸時代ではなかろうか。しかし長文暗記が想像力などを伸ばすということは証明されたわけではない。一部の学者が言っているにすぎない。何が関係するかは難しいのが教育。
数学の能力は母親の数学力に影響されやすいとワタチは考えているが,火事で豪華船を焼いた加山雄三氏は物理が得意である。古代から楽士または楽師一団がドサ周りをして砂漠地帯はもちろん日本国内でも民衆を楽しませてきた歴史は世界各国にみられる。音楽の才能がある人々の遺伝子は代々受け継がれてきたとみるのが正しいだろう。
音楽は右脳が司る。物理や数学は左脳が司る。とすれば,長文暗記は左脳、右脳いずれが司るのであろうか。
大脳生理学が発達しているがまだ解明は難しい。しかし江戸時代の昔から漢文素読は行われてきた。いわゆる「漢文の素養」を身に付けさせたわけだった。つまり漢文の素養がある人とない人とでは言葉の使い方に大きな違いがあった。貧乏で学校あるいは寺小屋に行けなかった人もたくさんいる。
福沢諭吉は初めてオランダ語を習い,次に英語を習った。会話ができたどうかは定かでないが,漢文の素養があることは論を待たない。坪内逍遥,夏目漱石,そして森鴎外なども外国語の達人であり,日本語の名手である。しかも漢文の素養があった。
平田実篤のような超右翼であっても漢文の素養があった。本居宣長のような「もののあはれ」を日本人の心とした学者もあったが,両者とも漢文の素養があった。しかし科学的思考力は発達していなかった。
話を『論語』に戻すと中国では高度の文明が栄えていた。紙,火薬,羅針盤等を発明したが,西欧に源を発する西洋医学は生まれなかったし,近代科学は生まれなかった。数学も発達しなかった。
こうした流れからみると,『論語』であれ『日本国憲法前文』であれ,そして『教育勅語』であれ「文」を暗記することは一定の能力を高める。
そこで問題は「概念的混乱」である。教育勅語は日本帝国最後の議会で廃止され,日本国憲法が制定された。それが11月3日である。
教育勅語は批判的思考力を封じるものの代表格であるから日本の教育や政治から葬られたわけである。それを日本会議のメンバーが復活させようとしてきた。それが顕著になったのが安倍・創価学会政権である。
概念的混乱は文、長文、短文であれ教育の内容に係る。漢字を使った文章暗記訓練は日本人の能力を高めるから「教育方法A」として有用である。しかしどんな内容Bを,何Cを訓練するかは別のことである。
ワタチの娘たちは小学校で『平家物語』や『論語』の一部を暗記させられた。日本人の情緒を養う上でも文章暗記は有効であるとワタチは考えている。長文の英語を暗記しても日本人としての情緒が養われるとは思われない。「グローバル化」とは「日本人としての情緒を捨てよ」ということである。
英語教育の必修化はいくつかの意味で間違っている。ここは英語教育を論じる場ではないので控えるが,一つだけ挙げれば、「日本人としての情緒を捨てる」ことにつながる。
英語を学べば学ぶほど『論語」などの漢文の素養とサヨナラすることになる。これでは本当の日本人が育たたない。『教育勅語』を学んでもグローバル化によって『教育勅語』の精神が否定される。相対化される。これは矛盾であろう。
しかし似ている点もある。グローバル化とは1%の富裕者と99%の貧乏人が生み出される。後者の貧乏人は、金がある前者に服従せざるを得ない。安い非正規賃金で働かされる。過労死させられる。電通で亡くなられた東大出の女性も過労死させられた。ワタミも同じと聞いている。したがって英語教育とグローバル化は同じ面を持つ。
結論となるが,長文であれ,短文であれ,漢字交じり日本語を暗記すること(A)は日本人の能力を高める。どのように高めるかは分からないが,そういう教育を受けない人と比べれば能力の違いは明らかであろう。しかし何(B)を教えるかは別問題である。恐育であってはいけない。