[政治・選挙・NHK219] 中国外交部「間違った歴史に固執する日本の方、良識を取り戻してほしい」=菅官房長官の発言に反発―アパホテル書籍問題 赤かぶ
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野良じろう[16] luyXx4K2guuCpA 2017年1月22日 01:04:47
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中川さんはバカと悪(ヨースルニ見え透いた噓つき)とよくわたりあっておられますね。ちゃんとしたスタンスを守っていて清々しいのは確信があるからでしょう。
さて本論へ。渡部ショーイチセンセは40〜50人くらいはあったかもと言っていますが、南京戦に動員された兵力量は約20万で、城内に突入したのが7万5千と考えられています。日本兵は一体何をしに南京まで行ったのですかね?まさかピクニックだったのですか?
三笠宮さんが証言された通り、中国戦線では初年兵に度胸を付けさせる手っ取り早い方法として捕虜や農民を柱に括り付けて銃剣で刺突させるののが慣行であったと。
小生はそれを確かめてみたのですが、南京戦に動員された京都の師団の兵士の息子は「父は夜に呼び出され竹やりで木にくくられた若者を刺殺させられたと言っていた。まあ、竹やりで30万人は殺せないとおもいますがね。」でした。もうお一方は昭和19年に動員された方で、「我々もさせられたのですが、その頃にはもう捕虜も取れないので、一人を木に括り付け、10人が刺突したのです。私は4番目だったので、もう死んでいました。銃剣の先が背中に出て、人間てこんなに軟らかいのかとおもいましたね。」
まあ、子供にも言えなかった兵士がほとんどだったはずですが、中国の日本兵が上から何を強制されていたかわかるはずです。
南京には20万人が動員され、柳川兵団では「女子供も容赦するな」の厳命が下っていたのです。南京が抵抗を続けるなら毒ガス攻撃を行う手はずになったいました。外人らは心配していたのですが、使わなくてよかった。もし使っておれば、米軍は容赦なく最初から南方作戦や日本本土攻撃に使用していた。重慶無差別爆撃を口実に東京大空襲をやった国ですからね。マッカーサーは日本兵を捕虜にせず皆殺しにしたのです。「正義の暴力」こそアメリカです。