59. 2016年11月28日 17:06:21 : gTbOuGA2MY : HHFuEuXLyDA[3]
> 「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」
おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。
まさに中曽根が慰安所を苦労して作ってやったという自慢話になっている。
通常の任務を通常にやることは、特に自慢話にはならない。
軍隊が駐留しているところ、売春宿を作ろうとする事は世の常識である。
そして中曽根がこれを自慢してると言う事は、これは軍の通常の任務ないということだ。
しかも、「原住民の女を襲う」ということを防ぐためにやってるとここを表明している。
つまりこれは現地の女性を、強制的に性的奴隷にしたり強制連行したりしてはいない、
むしろそのような事件を防ごうとする姿勢が見えている。
つまり端的に言えば中曽根は、慰安所、つまり売春宿を作ったのである。
そこにいるのは普通の慰安婦であって、
強制連行されたり性奴隷にされとされる従軍慰安婦ではない。
従軍慰安婦に批判的な水色しげるの漫画を読むと、
水木しげるが徴兵される前の子供の時に、彼の住む港町には売春宿があり、
驚くほど頻繁に身投げがあり水死体が上がる、という話が出てくる。
当時の売春婦の生活が悲惨だったことが、なるほどよくわかる。
しかしこれは当然ながら、従軍慰安婦の問題では無い。
当時は総じて売春婦の生活は、このように悲惨なものだった。
しかし売春婦の生活が悲惨だからといって、いわゆる従軍慰安婦という
性奴隷がいたという主張するのは、完全に問題点のすり替えである。
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