43. 2016年11月26日 22:40:14 : i4xauyCsQw : H@OQqbQ7xfg[77]
>>42
「敵の出方論」は、戦前に弾圧を受け続けてきた共産党の経緯を鑑みれば、捨てることのできない理論だとは思う。
ただ、現在の日本国憲法下で、共産党が弾圧を受ける場合はどのような場合か?
暴力団、オウム真理教の解散命令さえ許されない現代においては、政治団体に国家による弾圧が行われるとしたら、それこそ異常事態だろう。
共産党が非合法活動をしたならともかく、合法的な国政政党が弾圧を受ける場合などほとんど考えられない。
それこそ、戦時か、憲法無視・最高裁無視・国会無視の独裁政権が生まれたときだろう。
民主的な教育がなされた今の国民が、それを容認するかははなはだ疑問だが。
敵の出方論は同時に危険な考え方でもある。
敵の出方を判断するのは、共産党そのものだからだ。
共産党が「暴力的だ」とすればそれは暴力的になるし、「平和的だ」とすれば平和的になる。客観的に判断する機会も機関もない。
国会議事堂焼き討ち事件をナチスが「共産党の仕業」とみなしたように、敵の出方はいかようにも判断されうる。ナチスはそれを口実に共産党、社会民主党を弾圧した。
社会主義国においても、「プラハの春」は有名だろう。
チェコスロバキアの民主化運動によるドプチェク政権を、ソ連が反革命とみなし、チェコスロバキアの非難を無視して軍事侵攻、ドプチェクを逮捕した。
社会主義国家全体に対しての脅威には、共同して介入するという姿勢だ。たとえ相手が民主的に選ばれた国であっても。
このように、敵の出方の判断は、いかようにも解釈されうる。
集団的自衛権の論理と似ている、ように思う。
共産党が弾圧だと判断すれば、それは弾圧なのだ。暴力革命に移行するまでの安全装置は、あまりにもゆるい。
共産党がそんなことするはずない、と思うことだろう。
だが、共産党が50年代に起こしたこと、そして現在の新左翼を生み出したことは、人々はなかなか忘れない。
現在の日本国憲法を持ち、選挙が行われ、結社の自由、言論の自由も保障されたこの国で、「敵の出方論」かたくなに守り続けることに自分は非常に疑問を感じる。
敵の出方論では暴力革命へのハードルは低いからだ。
もしや、共産党は暴力革命への熱望をいまなお持ち続けているのではないか。
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