13. 2018年6月30日 15:41:31 : rvKf7anLEE : gU5X1NQOJTU[1]
サッカーはその国の特徴が如実に出るところがあり、そういう所もナショナリズムを煽る要因のひとつなんでしょうね。
日本代表は決定力不足と、「ずーっと言われ続けている」わけなんですけども、
それは日本代表だけかと言うと、そうではなくて、社会全体がそういう社会なんですね。ゴール前で誰が見ても、シュートに行く場面なのに、パスを出してしまう。
それはなぜかと言うと、スパルタ根性スポーツ教育に裏打ちされた訓練の結果と、
普段の目立つと叩かれる社会生活で、いざとなれば、本能的に、パス出し忖度精神が発揮されてしまうのです。
なぜ、シュートに行かないかと言うと、シュートには責任が伴うからです。
外したら誰が外したのか誰にでも解ってしまう。そこで責任逃れ官僚の精神が発揮されてしまうのです。
サッカーには、良くも悪くも日本文化が凝縮されています。
今回の批判にしても、確かヒディンクとトルシエだったように記憶していますが、ヒディンクは汚い手を使って決勝上位に、トルシエは綺麗な手を使って負けたときに、今回とは逆の批判が起きてましたね。
そのときは今と逆で、勝ったヒディンクが偉い。勝てば官軍と言った論調でした。勝てばなんでもあり、勝てばどんな不正も許されるみたいな感じでした。そのときは、サッカーとは、その程度のスポーツなのかと落胆したのを覚えています。
それは、サッカーのルール自身の欠陥だと思います。フランスやブラジル、イタリアといった強豪チームでさえも、終盤有利であれば、遅延行為やパス回しだけで、試合を終わらせてしまいます。あれは、サッカーを面白くなくさせている原因の一つです。
ルール上は問題ないものの、ルール自体が面白くなくさせている原因でもあります。終盤でも、30秒以内にシュートしないとPKにするという風に、ルールを変えれば、少しは改善するかもしれません。確か、バスケットボールには、そういうルールがあったような気がします。(すみません、覚えていません)
そういう風に考えると、今の日本の世情から考えて、コロンビアに多額の賄賂が渡っていた所為で、勝てたなんてスキャンダルが、後々発覚することにならなければと切に願って心配しています。サッカーはその時代の日本を象徴しているわけですから。
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