121. 2019年1月18日 04:06:54 : FfOh1W8H4E : FqbQCZrTKU8[1]
たびたびここで彼(吉田松陰)をテロリスト呼ばわりをするものが現れるが、政治的に神も仏も利用できるとあらば悪用する連中と人間性は大差ない。だが彼の心はそれをいつだって憐れみ許すだろう。
だが連中は神も仏も私的に利用できるとあらば全て政治的に作り替え利用するだけの愚かで不信心なものとして育て上げられている。それを許す程私という人間は心が寛大ではない。
ともかく世襲バカの安倍や小泉等が好き勝手に倒錯して崇めるとしても、どう吉田の教えや生き方の姿勢を真似ればそんなバカに育つと云うのかまったくもってわからない。出来上がりの人間性は彼の説く心とは真逆のものである。つまり政治的プロパガンダ的に時の権力に都合良く故人の影響力を利用しようとした者らの策謀に依って主流と流される幕末ドラマは政治的に時の権力者を擁護するよう史実を改竄したものということになるだろう。開戦から終戦に至るまでのプロセスもそうだし、もっと遡れば藤原不等人という人物にも辿り着く。そこで日本は一度文化史実的に壊滅を見ているではないか。
こうしていまだ公前につまびらかにされずじまいにあるからと事実を隠し、それをいつまでも政治的プロパガンダとして流用されてきたことすら見抜けぬものを捕まえて、不勉強だと公然に批難してしまえるものではないが、彼(吉田)の類い希なる人としての生き方や気概の僅かも解りもせぬものが、解らないからと言ってただ一介の純粋な人間像を侮辱して済まされえるとすることも大いに間違っている。そこにはある種大衆という生き方を選び続ける人間側の不憫さを憐れみ感じるものであるが、何為さぬ人が語る国への憂いそのものは何の重みも無いのだから、僅かの情けもかけられない。
こうして死して影響力をもった故人を政治的に利用しまくった挙げ句、吉田の教えはそれが作り上げるはずも無い馬鹿者ども等を大量に生んだ事になっている。そのために吉田は命を懸けたと云う事になっている。結果として、自らはのんきに何もせず無責任に口ばかりは達者で、権力者にすべての責任を転嫁するだけの輩からこのように死後100年ののちも、いまだ不名誉な冤罪のそしりを受け続けている。それは余りに吉田が輝いていたからこその妬み嫉みによる後世の人々の不謙遜さによる。まったく不憫でならない。
無責任な大衆が一番の悪を育てる。褒めそやしで一人のリーダーを立てたとあらば、囃して持ち上げ神輿に担ぐ。そしてその権力の陰に隠れているだけである。
国策は政治家だけが考えるべきものと位置づけ、自らがその位置に成り換わろうという気概はもたない。かような者が、僅か30年ばかりで人生を畳むまで純粋に国家を思って走り抜けた人間の心をどれほど語る事が出来るだろうか。人の心の花開くを夢見て純粋に信念に生きた人間の心など知るよしも無いのだろう。大衆の覚醒を促そうと生き急ぎ奔走した吉田の意志を僅かばかりでも掴んで、私も同じように後を追いたいものである。そこに自分の生きた足跡として満足する所を見るだろう。
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