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FIegHVh54rI コメント履歴 No: 100000
http://www.asyura2.com/acas/f/fi/fie/FIegHVh54rI/100000.html
[国際5] 異見 中国反日デモ てかまる
2. 2017年2月06日 15:42:17 : hvDg28qQKs : FIegHVh54rI[1]
>これからは中国が世界の中心になります。これは変えられないと思います。

まさか・・人権も何もない恐怖政治の共産党国家がいつまでも存えるわけがないです。
ウイグル・チベット民族は言うまでもなく、自国民すら不当に弾圧する中共政府は糾弾され打倒されるべきだし、そう遠くない時期に終焉するでしょう。
中国の一般人民も本心では腹に据えかねているに違いないです。
日本在住の漫画家・孫向文さんの意見は注目に値します。

保守速報

【画像】今回の在日中国人によるアパホテルへの抗議デモ、人民日報の贾文婷記者が黒幕の一人らしい
2017年02月05日21:30 | カテゴリ:在日中国人
http://hosyusokuhou.jp/archives/48783997.html
(抜粋)

http://news.sohu.com/20170205/n479948923.shtml
▲このニュースの2枚目の写真。右下に「環球網」(環球時報のネット版)の透かしが入ってる。撮影者は「贾文婷」。
http://www.people.com.cn/GB/8722/11135/384613/

▲彼女は人民日報の日本駐在の記者だ。ここ重要です。テストで出ますよw

(顔写真)

https://twitter.com/bci_/status/828141993670778880

黒色中国 @bci_
▼つまり、贾文婷がこれまで書いた記事を引っ張り出せばいい。
http://news.jxnews.com.cn/system/2016/12/19/015571211.shtml
http://news.sohu.com/20161214/n475799584.shtml

ちょっと検索してもこんな感じ。南京事件の記事をよく書く人民日報の駐日記者が、アパホテルへの抗議デモも取材する。何かある。
https://twitter.com/bci_/status/828142844820852736

黒色中国 @bci_
【日本5万人集会护宪 “不阻止安倍将走上战争道路”】
http://news.meyet.com/article-174618-1.html

▲こちらも贾文婷が書いた記事。2016年の憲法記念日に、護憲集会を取材したもの。
https://twitter.com/bci_/status/828144577806684160

人民日報 じんみんにっぽう Ren-min Ri-bao 中国共産党中央委員会の機関紙。共産党の方針の徹底を目的とする。 1948年河南省邯鄲で創刊され,革命成功の 49年から北京で発行されている。社説や記事は北京政府の見解を代表するものとして地方の新聞にも転載される。

https://kotobank.jp/word/%E4%BA%BA%E6%B0%E6%A5%E5%A0%B1-82622

2: アキレス腱固め(岐阜県) [ニダ]2017/02/05(日) 17:24:43.69 ID:DROTdHpd0


黒色中国 @bci_ 【日本:核爆悲剧不是掩盖侵略历史的借口】
http://news.ifeng.com/a/20150810/44389721_0.shtml
▲こちらも贾文婷が書いた記事。タイトルは「核爆弾の悲劇は侵略の歴史を隠す口実ではない」。 こういうのを専門で書いている人が、今回のアパホテルのデモの「取材」もやってるわけだ
https://twitter.com/bci_/status/828145316528418818

黒色中国 @bci_ 【日本人的历史课|南京大屠杀纪录片在日本上映】
http://news.jxnews.com.cn/system/2016/12/19/015571211.shtml
▲こちらも人民日報の賈文婷記者の記事。「日本人の歴史授業:南京大虐殺の記録映画、日本で上映」 というもの。よっぽど南京事件専門らしい。たぶん彼女は今回の黒幕の1人ではないかと私は疑う
https://twitter.com/bci_/status/828146693614874624


77: アキレス腱固め(やわらか銀行) [JP] 2017/02/05(日) 20:03:27.69 ID:S2aXgDJR0

●ただの中共スパイか


68: フランケンシュタイナー(宮城県) [CA] 2017/02/05(日) 18:58:32.20 ID:gZuqfCTo0

こいつら日本から追い出そうぜ


33: デンジャラスバックドロップ(dion軍) [US] 2017/02/05(日) 17:43:45.11 ID:QJeirKp70

面倒くさい奴らだな
●自分達の国よくしろよ


69: クロイツラス(神奈川県) [BR] 2017/02/05(日) 19:02:45.95 ID:u2XpdA7C0

>>1
なるほど、南京事件担当記者っているんだ・・・・。
●官製デモと言われても仕方が無いね。

引用元: http://hayabusa8.2ch.net/test/read.cgi/news/1486283052/
--------------------------------------------------------------------

19. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:44:37 ID:Y4MTUwMA= このコメントへ返信

中共の官制デモが日本で。
これはシャレにならん。
● 国家主権の侵害だな、許すまじ!


21. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:46:38 ID:I4OTY5MzU このコメントへ返信

●「孫向文」というアカウントのツイート見てみると良いよ。
首謀者の名前やバックの団体等が出てるよ。


25. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:47:22 ID:I2NzI4MjU このコメントへ返信

(´・ω・`)これかな?漫画家の孫向文さんのツィート 詳しい内容はTwitter参照
,
孫向文 ‏@sun_koubun
● デモの主催者 在日中国人 〇〇
の広報をやったのは吉林 共〇〇義青年団(公式)
ttps://twitter.com/sun_koubun/status/828146177958834177


26. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:48:09 ID:I2NzI4MjU このコメントへ返信

※25つづき(´・ω・`)
,
孫向文 ‏@sun_koubun
● 日本の皆さんは今日のアパホテル抗議デモの在日中国人を甘く見ちゃダメ、彼らの「JAPAN好きだ」は日本という土地を自分の楽園にする意味だ、池袋の惨状を見なさい。彼らは正確な歴史を知るか、さておき、単にサヨクのメディアを利用して、日本人に南京大虐サツを刷り込む目的です。
ttps://twitter.com/sun_koubun/status/828205306031271941


30. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:49:48 ID:I2NzI4MjU このコメントへ返信

※28つづき(´・ω・`)

孫向文 ‏@sun_koubun
● 今日のアパホテル抗議デモに、声を出さない、中国国旗を使わないのは工作員がバレない民間組織をフリしてる戦略です
ttps://twitter.com/sun_koubun/status/828147201096376320


32. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:50:03 ID:M1NTA5ODA このコメントへ返信

●案の定、本国からの指示でやってるのなw
そんなもんだろうと思ったわ

これで南シナ海で米軍と自衛隊が共同作戦したら
また、尖閣で軍事衝突した場合、中国国防動員法で便衣兵になり
日本国内で、テロ行為をするんだろ


34. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:50:17 ID:MzNDk0NDU このコメントへ返信

今回主導者、邢俊龍の微博連絡人:

CCTV4、徐静波微博(長野オリンピック暴動主導者)、
ケ超、曹格、曹雲金、黄千歳、姜振宇、李小璐Super璐、小木子two 中央新聞、他

独協医科大学 医学部 特任准教授、賽序波も参加!
こいつの微博:賽博士康復与养養老−日本
黒竜江中医薬大学→大連医科大学→天津中医薬大学→高度人材で日本へ入国→独協医科大学→APAデモ主導者

徐静波、保守速見てるwww\(^o^)/


36. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:50:28 ID:Y5NTUwNDU このコメントへ返信

●行政仕事しろ
法治国家である我が国が侵されはじめてるぞ
法律にのっとって逮捕しろよ


38. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:51:01 ID:k5MTA3MTU このコメントへ返信

●在日中国人の人達は、この女のせいで日本で生き辛くなってしまうのか。
この女に好き勝手やらせてると、どんどん居場所なくなっちゃうね。

39. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:51:44 ID:E1NzY1MDU このコメントへ返信

●そもそも外国人による反日デモを許可する日本の警察に大きな問題がある


41. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:52:35 ID:A5MDEzNjU このコメントへ返信

満州事変ってこうだったんじゃないの
満州の住人ではない国民党の連中がテロを起こして
国際社会には日本人が中国人をいじめてると宣伝する


43. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:53:25 ID:EyNjI2NTA このコメントへ返信

●予想通りの中共からの指示。●この姉ちゃん生きて帰れるのか?

44. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:54:25 ID:k5MTA3MTU このコメントへ返信

在日中国人の人達は、
この女に操られて、人生台無しにするか
日本人と今まで通り仲良くして、人生楽しくするか、
2択だね。


46. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:55:35 ID:I4OTY5MzU このコメントへ返信

※39
警察の「許可」は道路交通法や安全上に問題がなければ機械的に出される。
憲法第21条が検閲を禁じているので、デモは公安委員会への「届出制」
昔、ジグザグデモを許可しなかった警察を違憲だと訴えた左翼団体が最高裁まで争って、
安全上の理由での不許可は違憲ではないとした判例がある。

47. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:56:03 ID:Y2OTA4MjA このコメントへ返信

●このデモしてるやつら、日本から追い出されるのが一番のダメージだろう
嫌々やってんじゃないの?


49. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:56:26 ID:A3MzY5ODA このコメントへ返信

日本に居る中国人に共産党員以外の人居るのか?
いや共産党員以外の人が海外に出られるほどの金をもてるのか?


51. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:57:36 ID:k5MTA3MTU このコメントへ返信

※39 それはちょっと違うよ。●日本の公安はかなり優秀。
●こいつらのデモを許可するのも、自由にやらせるのも、情報収集の一環なので。


53. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:58:14 ID:IzMTkxMjU このコメントへ返信

そもそも中国人による官製デモについては日本政府が許可を出すこと自体が間違っている。
ただし、これにより公安の人たちもたくさん来ていただろうから、わざわざ反日中国人を割り出さずとも、すべての中国人を確認できただろうから一定の成果はあっただろう。●しかし、彼らが持っていた旗のマークが非常に気になった。
先日の米国で起きた反トランプデモも同じマークをつけている人間が多数確認できている。そもそも中国が人権など気にするような国ではないことから、非常にうさん臭さを感じた。


55. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:58:23 ID:QwOTA2NzA このコメントへ返信

●朝日と繋がってね?そも首謀者


58. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:59:15 ID:k0OTM3NTU このコメントへ返信

●公安さんはマークして入管は書類不備とかで次の日本入国時に入国させるなよ

59. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 21:59:17 ID:MzNDk0NDU このコメントへ返信

●中国大使館と相談して、中国国旗は流石にマズイと、かなりのデモ参加者が参加を辞めたらしい。


61. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:00:14 ID:Y0NDU4MDU このコメントへ返信

マクリーン判決を盾に、こいつを国外退去処分にしようぜ。


63. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:01:09 ID:MyMzI4NjA このコメントへ返信

●写真見てきたけどほぼ全員マスクして顔隠してる
公安対策か?
あとほっぺに日本国旗のペインティングとかして「日中友好」を強調してた
● コメントにも散々出てるとおりメディアとのマッチポンプだろう


64. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:01:14 ID:c3MTg1NDA このコメントへ返信

●昔、中国に「友好アル!友好のために中国への侵略だったことを認めるアル!一度認めたらもういわないアル!」って言われて、まあ社会党が強かったこともあるけど、自民党が認めちゃったんだよな。
それで、侵略の歴史謝るアル!っていまだに言われてる。

65. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:01:28 ID:MzNDk0NDU このコメントへ返信

黒**@******52

●アパホテルのデモは「在日華人圏」と言う設立三年の工作機関で「俊龍」と言うトップ幹事が主謀者で「四川麻辣湯」と言う店が後援していた。支那国旗を使わなかったのは民間組織を装う為。

66. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:01:52 ID:I4OTY5MzU このコメントへ返信

※53
※46に書いた通り、デモは「許可制」ではなく各自治体の公安委員会への「届出制」
●外国人のデモを不許可にするには、新たな立法が必要だが、
憲法第21条との兼ね合いで、憲法を改正するのと同じくらいの困難を伴うだろう。
共謀罪なんかと比較にならない位難しい。


68. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:04:42 ID:I4OTY5MzU このコメントへ返信

●法務省がこいつらの在留許可に関して、何らかの措置を取ることはマクリーン事件の最高裁判例から考えて、違憲ではないだろう。
ただし、政府の高度な政治的判断が必要だし、猛烈な国民世論の後押しがなければ動かないだろうな


70. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:07:05 ID:I2NzI4MjU このコメントへ返信

●(´・ω・`)うわ〜!↓画像付きのツィートですよ〜〜、画像はツィートに貼られてます。

孫向文 ‏@sun_koubun
● デモを呼びかける文章、「日本のテレビ局と絡む」「元〇氏がニヤげてる写真の下に南京大虐サツの写真を合成する」と明言した#アパホテル
今日は警視庁の皆さんはちゃんと中共工作員の顔をマークしてください(`・ω・´)ゞ
ttps://twitter.com/sun_koubun/status/828091499661254659

71. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:08:04 ID:UxNzQ3MjU このコメントへ返信

元谷は異論があるならどうぞどうぞ、つってるのに反論もせずにデモするとか頭おか志位

72. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:08:11 ID:AxODYyOTU このコメントへ返信

まあ、こんな事が出てこなくても推測はついてたんじゃないの?
本国でも他国でも中国人がやるデモなんて殆どが官製じゃんw

茶番


73. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:08:21 ID:cwMjUyNTU このコメントへ返信

外国人による政治活動は制限されてんだろ!
政府はなにやってんだよ。

74. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:08:43 ID:c1Mzg5MjA このコメントへ返信

デモ自体を禁止するんでなくて、実施後に個々の中国人の滞在資格上の制限に違反したとして
取り締まればいんじゃね。


76. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:11:27 ID:k4OTk4NjU このコメントへ返信

59: エクスプロイダー(茸) [ニダ] 2017/02/05(日) 18:25:58.69 ID:nhOC8HBL0
●つうか簡体字でデモされても
日本人には全く伝わらないんだが

↑●これで、日本というより中国国民に向けてのデモだったという事がわかるな

77. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:13:04 ID:UwOTk4MTU このコメントへ返信

●北京五輪の聖火リレーの時と同じで留学生や在日シナ人コミュニティに所属してる連中に動員かけてるんだろうー日本全国に居るから段階的に人数を増やして圧力を強化して行くんじゃないの?営業妨害するのも時間の問題だろう日本の警察はちゃんと日本の企業を守ってほしいもだ

78. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:15:19 ID:Q4MTY4MTA このコメントへ返信

これといい法務省の日本人差別といい
● 日本政府は外部侵略より内部侵略のほうを警戒しろよ


80. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:16:47 ID:AzNzEwNDA このコメントへ返信

何で外国人が本国の指示でデモをやれるんだ?
●過去にも長野の前例があるか・・・あれ胡錦濤の訪日があったから
やりたい放題を黙認させたんだったな。


84. タコ関西 2017年02月05日 22:21:45 ID:Q4MzgwMzA このコメントへ返信
 
● 実際の所このような日本特派員記者が事実上の工作員も兼任していて、今回のアパホテルのように
シナ人旅行者が利用した時に歴史事実などの書籍を読んでシナ共産党の体制に疑問や反旗を翻す
可能性になる問題を常に監視している事は間違いないでしょうね。
 
● シナ共産党にとって事実真実を捻じ曲げて歪曲した報道情報へ誘導する事によって国家の
体制維持を行っているのだからまあ当然こんな監視工作員はいろんなカタチでいるでしょうからね。
 
● 経済面でも民間企業の技術で特に兵器やエネルギーなどの分野にも多くいるでしょうから
昔のソ連KGBのようなスパイ工作活動はあたり前に行なわれているよ。
何しろアメ公の基地も日本国内にもあるのだからな。
 
 
85. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:22:20 ID:AxNDUwNDA このコメントへ返信

法務省のカス職員、ちゃんと仕事しろよ!
お前ら、税金に集ってんじゃねーよ!
法務省のカス職員が、こういう気色悪い反日三国人が日本社会で好き勝手に日本人の人権を踏みにじる政治活動をするのを放置するから、日本社会が荒れるんだろ。
法務省のカス職員は、まともに仕事も出来ないのなら、とっとと辞めろ!


86. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:22:36 ID:cwODYzMjA このコメントへ返信

●【国防動員法】を国内外全ての人民に掛ける国だよね、やっぱり(´・ω・`)日本国内で着々と【侵略&日本国内分断工作活動】平気でするわけな。
● 今回のデモも国防動員法の“予行演習“なんだろうな〜
(´・ω・`)体裁ばかり気にする日本人やこの支那人のAPA糾弾画策デモで“日中友好“文字に 意識高く“私達日本人も中共好きだよ云々“と取り繕うような媚を売るような行為は馬鹿丸出し 中共工作の手にまんまに堕ちる“ハニトラ“みたいなもんね。

●日中断交でいいよ、ここまで計算高く日本人分断工作や侵略工作企てる連中をスパイ防止法無しに日本国内で培養するのはいかがなものかと思う。
● 意識高い系の呑気なポリコレにもウンザリする、これだけ姑息で危険な連中に日本人も物言う権利はある。こういう工作員がただただ赦せない。


91. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:26:34 ID:E1NTk2ODU このコメントへ返信

明日のチョンTV「中国の日中友好を求めるデモを、日本の差別主義者たちが妨害しましたぁぁぁ」

92. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:26:37 ID:U0MDg0MjU このコメントへ返信

こんなデモは、官製デモに決まっているだろう。
● 以前に中国大使館は、在留中国人に居住住所と連絡先などを届ける様に通達を出したはずだよ。
いつでも官製デモに動員する事が出来るってことだよ。
● たかが、一民間企業に対して中国政府が必死になって嫌がらせを行っているのが凄い。
● それに対して、アパホテル側は冷静に対処しているし、中国や韓国のキャンセルに動じない事も凄い事だよ。


98. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:50:09 ID:g4NDYxMjU このコメントへ返信

日本マジで平和ボケ以前に日本人自身がブサヨク赤化共産主義者が多いってのが大問題だよ。アカデミックな大学の社会学部系譜を中国朝鮮人のシンパか乗っ取りし放題な訳で、その教え子が教壇に達生徒を指導する教員を生み出してる。さらに日教組という労組なぜか教育思想を歪めてる。実社会でさえ安保闘争世代が権力中枢から追い出されても、社主義者や平等を叫ぶ連中は盲目的に中国に傾斜する。平等ー弱者保護を叫ぶ奴はマズ疑うべき。

99. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:52:03 ID:Q3NTMwNzU このコメントへ返信

●支那で日本人がこれをやったら頃されてるよ 呆


104. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:57:31 ID:k3MDUwNjA このコメントへ返信

●民主党が残した悪法を早く無くせ安部政府


105. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 22:59:18 ID:YxMzIxNTA このコメントへ返信

今回の日本側のカウンターデモは成功と言ってよいだろう。
だが、シナの官製デモであるとハッキリした以上
やつらが巻き返しを仕掛けてくるのは目に見えている。
予想と対策をするならば以下が考えられるだろう。
やつらの反応としては

@国際メディアネットワークを利用した日本のカウンターデモへのネガティブキャンペーン

Aシナ市場にシェアをもっている日本企業やそれらと癒着している官公庁に働きかけて、
 日本国内の言論を統制する

B日本の共産党系人権団体に働きかけて日本人自身に国連に人権問題として提出させる。


それに対するこちらの対策としては

@ネットメディアを使って世界に英語で情報発信をするのがよい。つーかそれしかない。

Aこちらは主に国内に対するアピールでよいので、今まで通り動画とデモで理解を求める。
 親シナ系企業は土建屋も多く、警察官僚とも癒着があるはずだから、これは本当に気を付けてもらいたい。
 陰湿なイジメもあるかも。

Bこちらも国連にシナが人権問題を通じて日本人の人権を侵害している事実を訴える。

 今回のことは桜や倉山は助けてくれない可能性があるので、日本第一党が自ら動いたほうがよい。
 法務省に潜り込んでるやつもいるから、ヘイトスピーチ関連の国内法で圧力かけてくるやつもいるはず。


110. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 23:10:59 ID:k4ODQ2NjA このコメントへ返信

●他国で官製デモをやるって、宣戦布告ものだろこれ。


112. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 23:12:51 ID:czNDkxNzU このコメントへ返信

※37
● 最速一年で永住権付与とかありえないわ


113. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 23:13:53 ID:c2NTUwMTU このコメントへ返信

2015年の夏に書き込んだ漫画家の孫 向文さんの意見に。

 こんにちは、中国人漫画家の孫向文です。

●現在、盛んに議論されている安保法案や、集団的自衛権の問題ですが、僕は、安保反対派の陣営の主張には違和感を覚えざるを得ません。
●アジアの平和を維持するため、日本はしっかりとアメリカと手を組み、覇権主義を強める中国と対峙してほしいと願っています。

●なぜ、中国人である僕がこういう意見を述べるかというと、中国共産党の横暴により、現在、多くの中国国民が息苦しい生活を送っています。
●人権弁護士の逮捕をはじめ、ウイグルやチベットでの圧政、また、先日の天津大爆発においても人命を軽視する対応が目につきました。 ●僕は、今回の安保法案によって日本が、こうした中国共産党の横暴にも「NO」と言える強い国になってくれるという期待を抱いているわけです。

114. 生協員@ほしゅそく 2017年02月05日 23:19:34 ID:Y4MjU1NzU このコメントへ返信

支那人の主張は必ずと言っていいほど中共絡みでプロパガンダそのもの。
そしてマスゴミはやっぱりスルーですよ。

115. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 23:28:09 ID:cxMDA5OTA このコメントへ返信

●今回ので相手の正体やプロパガンダの発信元が分かったのはプラスだね
人の国来て工作活動したら在留取り消しする法律あるのかな?
なかったら直ぐ作ってほしいね


118. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 23:35:18 ID:Y2NDQ1MjA このコメントへ返信

●こいつら、外患罪で取り締まれないの? 早く外患関連罪を実施してくれ、日本政府は。
毎日、 余命ミラーサイトの 官邸メール、ポチポチ送信、連打してるんだが。

119. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月05日 23:49:36 ID:k4ODQ2NjA このコメントへ返信

いい時代になったな。
マスメディアが支那と共謀して、保守叩きの悪印象植え付けようとしても、
すぐに事実が暴露されるからな。
支那の謀略が通用しない時代になったな。


124. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 00:03:48 ID:c3NTQ1MDg このコメントへ返信

アカ日新聞サン、顔真っ青?・・・
●朝日新聞は、中国共産党の機関紙[ 人民日報 ]と提携。(中国共産党の「国営プロパガンダ機関」である「 新華社」の日本支局が朝日新聞東京本社の社屋内にあったことも。)
●「人民日報」海外版の日本代理人であった秋岡家栄元朝日新聞社北京支局長・・・
●【朝日新聞 秋岡家栄】 【広岡ドクトリン 秋岡家栄】で検索


129. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 00:27:24 ID:EwNzIwNDY このコメントへ返信

●これを批判しても「ヘイトスピーチ」なんだろ?●法務省は解体しろよ
公務員というか官僚を弾劾する民主的なシステムを構築するべきだろ
● 政治家より権力あるのに罷免も出来ないとかおかしいわ


133. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 00:44:26 ID:YyOTk1MTI このコメントへ返信

※129
● それやっちゃうと、韓国のようになりかねないよ。
役人の人事権は大臣、大臣の人事権は総理にあるんだよね。
つまり、役所仕事の責任は、政権与党にあるんだよ。
民主主義では、選挙で意思表示するしかない。
日本第一党を早く成長させるしか方法がないんだよ。


136. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 00:57:42 ID:YyODY2NTQ このコメントへ返信

●本スレで情報提供してるようにみせかけてるけど
こいつもシナ工作員

黒色中国 ‏@bci_ 2時間2時間前

▼私は11年前に、中国で反日を目の前で見て、酷い目にたくさん遭って、中国を恨んで、中国人を憎んで、こんなヒドイ奴らから日本を守らなきゃいけない…って思ったけど、今日、日本を最も傷つけたのは、中国人じゃなくて日本人だよ。日本がこんな国になるとは思いもしなかった。私は何をやってるんだ
7件の返信 84件のリツイート 54 いいね
黒色中国 ‏@bci_ 2時間2時間前

▼香港人は、大陸に色々反感あるし、歴史問題にも距離感を持ってくれているけど、こういう日本右翼のおぞましい差別を見たら、やっぱり嫌な気がする。今回のアパホテル抗議デモへのカウンターで、観光に与えるダメージってどれぐらいあるんだろう。それ以上に、日本はもっと大切なものを失う気がする。

元のツイーと見たらわかるけど
日本右翼()を欧米が批判!にもっていこうとしている
そして写真はなぜかデモ隊をとりかこむ警察

中国人は駄目だけど

日本の右翼はもっと最低

日本の警察を批判、攻撃しろ!

●これがシナ工作員のレトリック、長野オリンピックのときもこうやって
警察を批判するようしむけた


144. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 01:25:53 ID:YzMTA1ODQ このコメントへ返信

なるほど、、南京事件専門の扇動工作スパイだな。


147. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 01:49:50 ID:A4NDkzODA このコメントへ返信

※133
日本は米国のような猟官制ではないから問題なんだよね
● じつは公務員人事はほぼ官僚の専権事項となっているのが実情


153. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 03:24:14 ID:MyOTI3OTg このコメントへ返信

●黒色中国とかいう奴のツイート、すっげぇ胡散臭いなw


157. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 05:18:52 ID:Y2OTk3Njg このコメントへ返信

幼稚なねつ造だから、バレるのが怖い中国共産党であった。
日本軍に何の利益もなく、不利益になることを銃弾の不足しているのに、非常に大変なことをいくら間抜けな指揮官でも余分な不必要なことまでしない。
● ただし、中国軍は、自国民から、軍資金や兵糧を略奪していた。
国民党軍は、黄河の堤防を爆破して、日本軍の追撃をかわそうとして何百万人も犠牲にした。
● なお、堤防を修復したのがお人よしの日本軍であった。

158. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 05:43:38 ID:EyMjAwNDg このコメントへ返信

段々と在日朝鮮人みたいになってきたね
● 戦前や戦後すぐから暮らす華僑や華人は、こういうことをやらなかったのに


163. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 06:50:46 ID:g2NTU4NDg このコメントへ返信

●かつてアメリカで暗躍したアイリス・チャンを思い出しました
人権のない国の工作員の末路は哀れなものです
● 贾文婷の行く末も似たようなものでしょうね
NYTのオオニシのようにネット世代の玩具に決定したのは確かでしょう
これから散々甚振られる工作員を中国政府が厚遇するとは思えませんね


164. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 07:02:43 ID:Q0NzM0MDg このコメントへ返信

内政干渉…というか、●誰だよ中国脅威論が陰謀だのって言ってたヤツは。
まんまスイスの民間防衛で書かれてる情報戦争のアレじゃないか。


169. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 09:35:26 ID:Y4NDIyNDI このコメントへ返信

今回のデモの呼びかけ(中文)
これがオリジナルなのか、別場所にあるオリジナルからこのユーザがコピーしたのかは知らない
ttp://jcbaihua.com/flowers/forum.php?mod=viewthread&tid=30678

游行注意事项(パレード注意事項)とか結構面白い 散らかったごみは拾いましょうとか


173. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 10:51:42 ID:ExMDQ1NzQ このコメントへ返信

●支那工作が世間に知られると都合が悪いから、必至にトランプネガキャンやってるNHK。

174. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 10:54:18 ID:A0MDIxMjY このコメントへ返信

だから、さっさと沖縄に非常事態宣言だして、駆除を始めなよ。


176. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 11:01:03 ID:Y4NzkyMTg このコメントへ返信

※136
スイスの民間防衛にこういう工作員に注意せよと記載されてなかったっけw
          
敵は内部に入り込んで陽動して混乱させるんだよなぁ
● ツイッター見るとこの工作員に騙されてる奴結構いますね・・・


179. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 11:43:59 ID:Y3OTQ3OTg このコメントへ返信

●これなぁ〜昨日やったのに意味が有るんだよ。多くの関東の右翼は日教組の教研集会に行ってるから(新潟)その隙を狙ったんだよ。


185. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 12:54:28 ID:A5MTQwNDI このコメントへ返信

●日本の公安当局が真相を世間に公表し始めたってことですね。

186. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 13:13:26 ID:QzMzIyNTA このコメントへ返信

●よくよく考えたら、このデモは支那国内向けだろう。
日本にいる支那人もアパに抗議した、という場面を見せることで
南京の「洗脳」が解けないようにしたと解釈すべき。

●人数が少なく、横断幕も支那語、過激な保守が「帰れ」と叫ぶ光景を
支那国民に見せることで日本に対する嫌悪感を募らせるように仕向けるための仕込みデモとみるのが
妥当でしょうね。

__________________________


孫向文
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E5%90%91%E6%96%87

孫 向文(そん こうぶん、1983年 - )は、中華人民共和国出身の漫画家、評論家である。
http://www.asyura2.com/10/kokusai5/msg/757.html#c2

[政治・選挙・NHK220] りゅうちぇるの激論番組での意見が真っ当すぎる! 空気を読んだ保守的主張だらけの中で多様性を肯定し続ける勇気(リテラ) 赤かぶ
19. 2017年2月06日 16:14:07 : hvDg28qQKs : FIegHVh54rI[1]
「竹島、半分こ」でいっぺんに幻滅した。
りゅうちぇる、そんくらいの人間だったのかえ。
山本某の「竹島あげちゃえ」よりはマシにしても、この発言は日本人としてアホすぎる。
りゅうちぇる、あんた確か日本人だよね?もっと勉強しなさい。

ironna

日本が知らない「竹島」の真実

日本が竹島を正式に領土編入したのは明治38年。今年でちょうど110年になる。わが国固有の領土でありながら、韓国の不法占拠が続く竹島。2月22日は返還運動に取り組む島根県が制定した「竹島の日」でもある。日本人の関心が薄らぐ今、竹島について改めて考えたい。
http://ironna.jp/theme/163

____________


ユーザー投稿

太政官指令「竹島外一島」が示していたもの

『iRONNA編集部』 2015/01/02
http://ironna.jp/article/997

http://www.asyura2.com/17/senkyo220/msg/270.html#c19

[政治・選挙・NHK173] 阿修羅住民の愛する孫崎享は中国のスパイ工作員?尖閣諸島は日本の領土では無い!紛争地である! 会員番号4153番
10. 2017年2月06日 16:52:53 : hvDg28qQKs : FIegHVh54rI[2]
選挙投票チャンネル

【中国共産党の罠】特定機密保護法は必要。スパイ防止法がなければ情報は筒抜け。中国のスパイはこうして作られる。

 2014/10/16  2014/10/20
http://nihon-hosyu.net/post-1967(部分転載)


   日本で暗躍する

      スパイの真実


●知人から聞いた

衝撃的は話。

日本にいる

スパイの多さは、

対策しようがないのか?

●日本はスパイ天国だ!

という主張は

大げさではない。



頼むぜ、みんな。

騙されない、

誘惑に負けない

強い心を持とう!

僕のヤル気スイッチ!!お願いします。押してください!


特定機密保護法は悪法じゃない!

政府は、特定秘密保護法が成立した昨年12月から適正な運用を確保するための制度設計に腐心してきた。国民の「知る権利」や「報道の自由」を損なうとの懸念を払拭するためだが、11月末まで続く臨時国会で、野党の攻勢にさらされることは必至だ。

「国民に懸念と不安があったのは事実だが、丁寧に説明して払拭したい。特定秘密を厳格にチェックできる二重三重の仕組みを設けたので、実効的に機能できるようにしていく」

菅義偉官房長官は14日の記者会見で、こう理解を求めた。

●安倍晋三首相が同法の成立を急いだのは、中国や北朝鮮といった不安定な軍事的情勢や地球規模で頻発する国際テロの脅威が差し迫る中、機密性の高い情報を欧米など関係各国と共有する必要があり、国内の情報保全体制の確立はその前提となっているためだった。

(略)


●良い法律があっても、守るべき国民が

この法律を守らず過ごしていたら

全くもって意味がありません。



今回はそんなことを

考えさせられるお話です。



●知人が出会ったAさんの話。これマジです。

先日、知人が自宅に遊びにきました。

一緒にテレビでニュースを見ていたら

●突然、神妙な面持ちで話してきた

信じたくもない話です。





●知人は、地方公務員を定年して

南国の某国へ英語の語学留学をしました。

真面目に公務員を勤め上げ、

老後に英語を学ぶ為に某南国へ留学したんですね。



●そのときに知人が

出会ったAさんの話がやばいんです。



●どうやらAさんは、

この南国へ留学する前に、

●中国に4年間程、

語学留学をしていたらしいんです。



●Aさん自身は勉強家で

色々な語学を学び、

今後のキャリアに活かそうと

していたようなんですね。



●とりあえず、重要人物である

Aさんの過去をお話しておくと

現在43歳らしいのですが、

●中国へ留学する前は、

とある都道府県の警察署に

勤務していました。



●知人は、Aさんが警察署を

リタイアするきっかけを

聞かなかったらしいのですが、

途中で警察官をリタイアして、

語学留学を始めたらしいのです。



●語学留学に、まず選んだ国が

中国だったんですね。

理由は、何となくで

学費が安かったからと

言っていたそうです。



Aさんは、いくつかの

留学先のパンフレットを見て

一番綺麗でしっかりしてそうな

語学学校を選んで、

エントリーしました。



その学校は、しっかりしていて、

入学審査の際に色々な書類を

提出するよう指示されたようです。



「中国の割にはしっかりしているな。」

「中国はもっといい加減なのかと思った」

などと、

中国をちょっと見下していたようなのですが、

ギャップにびっくりしたようです。



●入学審査の一部に履歴書の提出があり、

Aさんは素直にありのままを書きました。



自分の名前。

住所。

学歴。

職歴。

家族構成。

特技。

保有資格。

などなど。



●自分の個人情報をしっかりと

記載しました。

変に嘘を書いて、後々追求されて

帰国できなくなったなんてことに

なったらシャレになりません。



●後日、Aさんは無事に

審査に通り、晴れて留学先が決まりました。

家族に一時の別れを告げ、

中国へと留学をしに出発しました。





●約1ヶ月くらいでしょうか。

中国語はまだまだ話せないにしても

中国での生活には徐々に慣れてきました。



●そんなとき、学校へ行くと

親しくなってきた職員から

呼び出されたようです。

それも、なんだか神妙な面持ちで。







中国職員

「Aさん、話がある。」



Aさん

「ん?どうかしましたか?」



中国職員

「とりあえず、こっちに来てほしい。

私の後についてきてほしい。」



Aさん

「あ、はい。(…どうしたんだろう、不気味だな)」









こうして、

Aさんは職員についていき、

学校の奥の部屋へ案内されました。







●部屋に入ると、そこには

いかにも偉そうな

スーツ姿の男がいたそうです。





そして、そのスーツ姿の男が

Aさんの履歴書を持っていて、

それをAさんの前に置きました。





スーツ姿の男

●「君は、警察官だったのか?」



Aさん

「は、はい。」





スーツ姿の男

「そうか。」







●それでは

我が中国共産党の

スパイにとして、

働いてくれないか?





そうです。

●スーツ姿の男は

Aさんをスパイとして

働くよう話してきたのです。





●当然、Aさんにとって

魅力的な条件を言ってきました。





●留学費は免除する。



●留学費免除に加えて、高額な給与を支払う。



●綺麗な愛人を用意する。





●スーツ姿の男は、

Aさんが警察官である事に

目を付けたのでしょう。







●しかし、許し難いことがおきます。







●Aさんは、

その条件を

全て受け入れ、

中国に魂を

売ったのです。



●Aさんは

スパイになりました。







●僕は、中国共産党よりも

Aさんに対しての、

怒りが収まりませんでした。





Aさん。

●こいつ、バカですよ。

こんなやつ、もう二度と

日本へ帰国させるべきでない。



でもね、

実際のところ、

Aさんみたいな魂が軽いやつ。



日本中に、

いっっっっっっぱい

溢れているんでしょうね。





中国共産党や、外国の国が

標的としている国の中に

スパイを送り込もうとする動きは

怒りを覚えたりはしません。

それが当たり前なんだと思います。



●問題は、警察官であった人間さえも

外国に魂を売ってしまうこと。

日本人とはいえ、

こういう軽い人が

いなくなることはないと思うけど。



なんだろう、、、、

●こういうスパイが意外と

近くにいるんだなという現実。



この現実に、ショックを受けました。



こんな現実を踏まえると、、、

●自分たちの生活や安全を

守っていくためには、

●やはり性悪説で考えなければ

対策というのは十分にできません。

参考:【性悪説と性善説とはいったい何?】簡単にわかりやすく解説!よく聞く政治用語



●自分たちの生活を守る為の

安全保障という考え方において、

自分たちの防衛方法を

相手に知られないようにすることは

とっても基本的な事だと思います。



●今回の特定機密保護法は

安全保障の考えにおいて

とても基本的な機密を

他の国などに話したら

罰を与えるという法律です。



●現実として

法律は、いくら犯しても

バレなきゃ無罪です。



●しかし、この法律を守らないと、

最終的には自分たちの生活に戻ってきます。



それは、生活や安全を脅かす

“危険”という形に変えて戻ってきます。



●そうならない為にも、

国民一人ひとりが

防衛意識を高く持って、

外国のスパイ勧誘や

情報提供の誘いに乗らない事です。



●自分たちの安全は

自分たちで出来る事を

しっかりやりましょう。

あなたのすぐ隣にいる中国のスパイ
著者鳴霞,千代田情報研究会
価格¥ 13,627(2017/02/05 17:37時点)
出版日2013/04/06
商品ランキング322,814位
単行本264ページ
ISBN-104864102392
ISBN-139784864102391
出版社飛鳥新社

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スイス政府「民間防衛」に学ぶ

−日本が敵国から武力以外による攻撃を受け、破滅へと導かれないように−
http://nokan2000.nobody.jp/switz/

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『性悪説』の国に生きる知恵

  峰村 正威
http://www.bizpoint.com.br/site-antigo/jp/reports/minemura/0304.htm
(一部抜粋)

1.ブラジル人のしたたかさ(略)

2.中国は「同文同種」ではない(略)

3.『性善説』の日本と『性悪説』の中国・ブラジル

●では中国人とブラジル人との共通項はなにか、日本人はなぜこんなに中国人やブラジル人と違うのか、あれこれ考えあぐんでいるうち、『性悪説』と『性善説』がこの疑問を解く鍵になるように思えてきた。中国人もブラジル人も、その思考・行動の原理は、『性悪説』であり、一方の日本人は『性善説』を採っているのではないか、という仮説である。

 ●日本人が外国で暮らし、異民族・異文化に接し、いろいろカルチュア・ショックを覚えるのは、いわばこの『性善説』と『性悪説』との衝突、摩擦に起因しているように思う。少なくともこの仮説を応用すれば一応の説明がつく。

●だがもともと『性善説』も『性悪説』も、中国が発祥の地である。孔孟の教えが『性善説』に根差していることはいうまでもない。だが特に「人の性の善なることは、なお水の低きにつくがごときなり」として、性善が生まれつきのものであると説く孟子に対して、荀子は「今人の性は生まれながらに利を好むことあり。その善なるものは偽なり」として真向から異を唱える。“偽”というのは人為という意味である。

●荀子の説を平たくいえば、人間の本性は生まれつき悪だから、目が美色を好み、口が美味を好み、心が利を好み、肉体が安楽を好むのは、人間の自然な性情であり、これを放置すれば、争奪、妬み、殺生、淫乱、無法が起きる、とするのであるが、「人の学ぶは、その性善なればなり」という、あまりにも人間の本性にたいして楽天的な孟子に比べると、荀子の『性悪説』の方が、よほど人間の本音や人間性の本質を鋭くついているのではなかろうか。

●孔子も孟子も、その理想とする「王道」を政治に実践するため諸国を歩き、当時戦国・春秋時代の諸侯を説いて自らを仕官に推挙するのだが、いずれも容れるところとならず、挫折してその晩年は失意に陥っていたという。「王道」の政治論が採り入れられなかったのは、おそらく、政治というすぐれて人間臭くおどろおどろしいゲームの現実の前に、その『性善説』的理想が敗れたからであろう。荀子の『性悪説』の方が、よほど煮ても焼いても食えぬ人間の本性を見抜いた現実主義だといえる。

●もっとも荀子は、だからといって、人間の性が悪であることを是認しているわけではない。かれはむしろひとの性が悪だからこそ、ひとを礼節・信義に導く教育や学習が大切であることを説いている。いわば儒教の徳とするところを、荀子は孟子とは逆説的な方法で主張しているのであって、帰結するところは同一だといえる。

●だが日本では、この『性善説』に基づく孔孟の教えが道徳の基盤となり、『性悪説』はほとんど忌避されてきた。おそらくその理由は、農耕民族の共同体、単一民族・言語・宗教の日本では、なによりも共同体を維持するため、内部の和、信頼関係、扶けあい、思いやり、などを必要とする倫理として、『性善説』による孔孟の教えの方が、風土的に根づき易かったからだと思われる。 土居健郎氏の「日本人の精神と社会を理解する概念」として有名な“甘え”についても、この日本的な共同体とそれを支える『性善説』が、“甘え”を生みだす土壌となっているような気がしてならない。

●儒教が国の規範とされた中国でも、庶民の間では、むしろ道教の方が民間習俗に深い影響を与えていたとされる。儒教の説く「王道」が、歴代王朝で実現されたためしがなく、現実には「霸道」に終始したこと、またヨーロッパでは、マキュアベリの『君主論』が政治における権謀術数を説いたのも、『性悪説』に基づく「霸道」であろうし、十九世紀、イギリスがヨーロッパの勢力均衡を目指して、強力な軍事力を背景にパワー・ポリティックス政策を採ったのも、帰するところはやはり「霸道」であり、「霸道」が『性悪説』に基づくとすれば、今日でも国際政治がパワー・ポリティッックスに支配されている、という本質にはなんら変化はないといえよう。 

●こうしてみてくると、どうも『性善説』が生きているのは日本だけで、中国を含む西欧の社会では『性悪説』の方が、それぞれの文化の基底に流れているのではなかろうか。

4.『性悪説』の勧め 

(略)・・本来『性善説』を採る日本人が、相手の『性悪説』を逆手にとって本家の『性悪説』と戦うということは、勝てないまでも負けないようにするという、いわば持久または戦略防禦の姿勢にたつことである。●「負けない」ということは戦略の基本であることは、岡崎久彦氏が『戦略的思考とは何か』のなかで、孫子の言葉を引いて例証している。このことは、ブラジルに暮らすわれわれにとっても、きわめて示唆的であろう。勝てないまでも負けないように生きるということは、最初から負けると決めこんで諦めてしまう生きかたとは、根本的に異なっている。いわば複眼的思考―二刀流を使うということである。・・(略)

’98.7.6 「ブラジル経済報知」No.205



http://www.asyura2.com/14/senkyo173/msg/685.html#c10

[政治・選挙・NHK173] 阿修羅住民の愛する孫崎享は中国のスパイ工作員?尖閣諸島は日本の領土では無い!紛争地である! 会員番号4153番
11. 2017年2月06日 17:12:01 : hvDg28qQKs : FIegHVh54rI[2]

台湾は日本の生命線!

中国の軍拡目標はアジア太平洋での覇権確立。そしてその第一段階が台湾併呑。もし我が「不沈空母・台湾」が「中国の空母」と化せば日本は・・・。政府・媒体が敢えて語らぬ生命線防衛の重要性を考えたい。

中国で好評拡散中!売国日本人・孫崎享(元外務省局長)の媚中「尖閣」発言記事

2012/08/01/Wed
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1916.html


■「日本固有領土」否定で一躍中国では脚光 

七月十一日付の朝日新聞オピニオン欄で、尖閣諸島の領有権問題に関し、「日本側の主張は、1895年に尖閣諸島を沖縄県に編入した閣議決定を根拠にしています。よく『日本固有の領土』と言いますが、わずか100年ほどの領土を『固有』と呼べるでしょうか。(中略)国際的にも日本の主張は認められません」と述べた孫崎享は元外務省国際情報局長(〇九年に退官)。

●朝日新聞で「尖閣は日本の固有領土ではない」と発言した
孫崎享。中国のための発言であるのは明らかだった

●この元外務省高官の発言は中国で大々的に報じられ、日本の誤ったメッセージ
になってしまった

●日本の領有権を否定した元外務省高官として、一躍中国メディアの脚光を浴びている。二十四日には中共機関紙系の環球時報のインタビューを受けた。

●その記事の前書きによれば、「孫崎の“釣魚島は日本固有の領土ではない”とする文章は日本、中国、そしてアジアで関心を呼んだ。日本ではネットの上で大攻撃を受けたが、今回のインタビューでも孫崎は、再び驚きの発言を行っている。米国国内には日中関係の緊張を望んでいる勢力があり、日中は連帯してそれに対抗するべきだと言っているのだ」。

●相変わらず中国の代弁としか思えない発言を繰り返したわけだが、その環球時報の記事は現在、さらに人民日報、新華社、中新社などをも通じ、内外に大々的に拡散されているところだ。・・(以下略)

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べレットのブログ

孫崎享と言うスパイを死刑にしろ
2012-10-22 12:31:09
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=xN2B-nBB3YEJ&p=%E5%AD%AB%E5%B4%8E%E4%BA%AB%E3%81%AF%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%BE%8E%E4%BA%BA%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%A4%E3%81%A8%E3%81%AE%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%B3%E5%86%99%E7%9C%9F%E3%82%92%E6%92%AE%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F&u=ameblo.jp%2Fbellet%2Fentry-11385789404.html(キャッシュ)

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私的憂国の書

孫崎享という売国奴:「軍事衝突が発生すれば日本は必ず負ける。」
http://yukokulog.blog129.fc2.com/blog-entry-959.html



http://www.asyura2.com/14/senkyo173/msg/685.html#c11

[政治・選挙・NHK214] <日本のマスコミまで拡散する南京大虐殺の捏造>捏造に加担するマスゴミの神奈川新聞  南京大虐殺の事実を知って 捏造写真展 怪傑
9. 2017年2月06日 23:17:20 : hvDg28qQKs : FIegHVh54rI[3]
再審「南京大虐殺」
世界に訴える日本の冤罪
The Alleged 'Nanking Massacre'
Japan's rebuttal to China's forged claims

竹本忠雄 大原康男
Takemoto Tadao & Ohara Yasuo
http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/note.html
全文


註釈

●序言

[一]いわゆる〈南京大虐殺〉については様々な表現がこれまで使われてきた。例えば、Nanking Massacre (南京虐殺事件)、the Rape of Nanking (南京暴行事件)、Nanking Atrocities (南京残虐事件)、Nanking lncident (南京事件) などである。官営英字紙「チャイナ・デイリー China Daily」(一九九九年七月九日) などを読むと、近年、中国政府は主として Nanking Massacre を使っていることから本書もそれに倣うこととする。なお中国では〈南京大屠殺〉と称されている。

[二]ジョシェア・A・フォーゲル「アイリス・チャンの描く南京事件の誤認と偏見」『世界』(岩波書店) 一九九九年十一月号二五二−二五七頁。

[三]アイリス・チャン『ザ・レイプ・オブ・南京』の背景に中国政府の影があるとの見解については、浜田和幸「『『ザ・レイプ・オブ・南京』中国の陰謀を見た」(『文藝春秋』株式会社文藝春秋、一九九八年九月号)やロス・H・マンロー「中国は『戦争章任ゲーム』で日本を無力化し、アジアの支配を狙っている」(『SAPIO』小学館、一九九九年七月十四日号)などを参照。なお官営英字紙「チャイナ・デイリー」二〇〇〇年四月二十九日付によると、南京大虐殺があったと証言している元日本兵、東史郎氏が日中戦争時の旧日本軍による人権侵害を国連人権委員会やハーグの国際司法裁判所に提訴する方針を北京で表明し、その活動を、中国の官製組織「中国人権発展基金会」(呂東会長) が全面的に支援していくことを決定したという。

●第一章

[一〕「北清事変に関する最終議定書」第九条 清国政府は千九百一年一月十六日の書簡に添付したる議定書を以て各国が首都海濱間の自由交通を維持せむが為に相互の協議を以て決定すべき各地点を占領するの権利を認めたり。即ち此の各国の占領する地点は黄村、カ房、楊村、天津、軍糧城、塘沽、蘆臺、唐山、ラン州、昌黎、秦王鳥及び山海関とす。

[二]一九三七年七月十一日、香月清司中将が新たに支那駐屯軍司令官として中国に赴任したことを開かれた昭和天皇は、宇佐美侍従武官長に対し「香月司令官に対し、直接不拡大方針をよく伝え、また支那には外国の権益が錯綜しているので、この点についても十分注意すべきことを言いたかった」と述べられ、香月中将あてに信書を送られた。(児島裏『天皇V』一八九−一九〇頁)

[三]いわゆる「安全区 Safety Zone」についてはほかにも「中立区 Neutral Zone」「難民区 Refugee Zone」という呼び方もあり、みな同じ区域を指すと思われていた。しかし南京攻略戦に参加した犬飼總一郎氏(陸士四十八期)の調査によれば、南京安全区委員会(非政府組織)が十一月二十二日に指定した「中立区」(後に「安全区」「安全地帯」と呼杯)と、中国軍(南京衛戌軍)が十二月一日に指定した「難民区」とは別であった。「難民区」は、安全区委員会が設定した「安全区」のほぼ西半分だったのである(「拉月日記に見る南京安全区の中立違反と赤十字の濫用 上」『偕行』平成十一年九月号、財団法人偕行社)。

つまり安全区委員会は日中両国の当局の許可なく、また治安を維持する警察力もないまま一方的に日中両国から中立の「安全区」を設置した。その「安全区」に徴兵された中国兵たちが身の安全を求めて逃げ込み始めた。兵の逃亡を憂慮した中国軍は日本軍による南京攻略が決定した十二月一日に、難民だけを収容する「難民区」を設定したのである。ところが、当時、そうした実情を知らずに日本側は「安全区」と「難民区」を同じと見て、できる限り安全区委員会の意思を尊重したわけである。
なお、安全区委員会は「難民区」外(上海路以東)の「安全区」に十八ヵ所の難民収容所を設けて市民を収容したのみならず、投降を拒否する敗残兵まで匿い、入城した日本軍による掃蕩作戦まで妨害した。その結果、日本軍が直接管理した「難民区」ではほとんど問題が起こらなかったにもかかわらず、安全区委員会が管理した難民収容所では掠奪や強姦事件が相次ぐことになった。
[四]実際には、上海の「安全区」に中国の敗残兵が逃げこんだため、日本軍は「安全区」を掃蕩した。ところが、敗残兵たちはすぐ北隣のフランス租界に逃げこみ、逮捕することができなかった。

[五]犬飼總一郎「南京問題について」(『偕行』平成十一年五月号、財団法人偕行社)。

[六]「極東国際軍事裁判速記録第二一〇号」、洞富雄編『日中戦争 南京大残虐事件資料集 第一巻』(青木書店、一九八五年)。東京裁判に弁護側証人として出廷した日高信六郎(南京日本大使館参事官)は宣誓口供書で次のように証言している(反対尋問を受けた)。
「日本軍はこの所謂「安全地帯」を公式に承認しなかったのであります。その理由は、一、この地区の位置が、軍事上から見て南京市内で戦闘が行われた場合、その安全を保障するのに都合が悪く、二、その地区内に中国側の高級武官が幕僚と共に居住しており、三、委員会自体がこの地区内の秩序を確保し、外部から敗残兵その他の好ましからぬ分子が立ち入ることを防止し、もってその「中立性」を保持するだけの実力を持たなかったからであります(これらの条件が充分であった上海の「安全地帯」の場合には、日本軍はこれを認めました)。(中略)

上海における安全地帯(所謂「ジャキノ・ゾーン」)(中略)を日本国が認めたのは、一、この地区は純粋の支那町であり、又ジャキノ神父始め委員全部の公正無私な気持や態度が明瞭であったこと。二、委員会は戦闘のある場合、中国非戦闘員を収容保護し、戦闘終了後はしばらくの間引き続き彼等を救護するが、地区内の行政や取締は日本軍の全権力の下にあることを認め、委員会はこれに関与せぬことを始めから明らかにしたこと。三、この地区に隣接した仏租界当局の好意的協力があったため、委員会は戦闘中同地区の「中立性」を維持する実力を持つと認められたこと。四、同地区の位置に顧み、戦闘が近くで行われた場合、その「安全」を尊重することができると認められたこと等の理由に基づくものでありました」
[七]『南京戦史』(財団法人偕行社、平成元年)一四八頁。「投降勧告文」は以下の通り。
「日軍百万既に江南を席巻せり。南京城は正に包囲の中に在り。戦局の大勢よりみれば今後の交戦はただ百害あって一利なし。惟ふに江寧の地は中国の旧都にして民国の首府なり。明の孝陵、中山陵など古蹟、名勝蝟集し、宛然東亜文化の精髄の感あり。日軍は抵抗者に対しては極めて峻烈にして寛恕せざるも、無辜の民衆及び敵意なき中国軍隊に対しては寛大を以てし之を犯さず、東亜文化に至りては之を保護するの熱意あり。而して貴軍交戦を継続せんとするならば、南京は必ずや戦禍を免れ難し。而して千載の文化を灰燼に帰し、十年の経営は全く泡沫とならん。仍って本司令官は日本軍を代表し貴軍に勧告す。即ち南京城を平和裡に開放し、而して左記の処置に出でよ」

[八]当時の日本軍は、軍服を脱いだ中国兵のことを「便衣兵」「便衣隊」と呼び、国際法違反だと認識していた。その認識は東京裁判においても採用され、「便衣兵」は「the Chinese plain-clothes soldiers who hid thier wepons and pretended to be civilians (武器を隠し市民に偽装した平服の兵士)」と英訳された。一方、便衣兵を安全区に匿った安全区委員会側は「former soldiers (元兵士)」と表現していた。この「便衣兵」に対する認識の違いが、日本軍と安全区委員会の対立を生むことになった。

●第二章

[一]T・ダーディン「ニューヨーク・タイムズ」一九三七年十二月八日。「防衛地帯内の障害物が中国軍によって焼かれ続けた。昨夕焼かれたものの一つに中山陵園地区内の中国高官の高級住宅があった。南京の周りは立ちのぼる黒煙に包まれた。半径十六キロ以内の建物や障害物もまた昨日中国軍に焼かれ続けたからだ。車で前線に行くと、中山門外、中山陵東南の谷全体が燃えているのを、本紙特派員は見た。中山陵沿いの幹線道路を走って孝陵衛に行くと、そこの村は焼け落ちて、燻る廃墟であった。この数日間に避難しなかったそこの住民たちが、哀れにも僅かばかりの物を持って、ぞろぞろ南京へと歩いていた。そして時々立ち止まっては、かつての我が家を今一度見るため悲しそうに振り返っていた」

[二]洞富雄編『日中戦争 南京大残虐事件資料集 第二巻』(青木書店、一九八五年)一二六頁。なお、南京安全区委員会は南京陥落後の一九三七年十二月十四日から翌年二月十九日まで、六十九通の文書を作成した。宛先は主として日本大使館宛だが、内十通はアメリカ大使館等にあてたものである。この文書に通し番号をつけてまとめたものが、中国国民政府外交顧問の徐淑希編『DOCUMENTS OF THE NANKING SAFETYZONE/南京安全区档案』(KELLY & WALSH, LIMITED, 一九三九年)である。その日本語訳は『南京大残虐事件資料集 第二巻』に収められている。書名の邦訳を本書では『南京安全区の記録』とする。また、通し番号も同書に従う。

[三]Dr. Lewis S. C. Smythe, War Damage in the Nanking Area, December, 1937 to March, 1938, (Shanghai: Mercury Press, 1938) Table.1. なお『南京大残虐事件資料集 第二巻』に掲載されている同書の邦訳によれば、巻末の表一「調査家族と堆定人口」の「註」には次のように記されている。「*十二月末から一月末にかけて日本軍当局によって行われた不完全な登録にもとづいて、安全区委員会のメンバーが堆定したところでは、当時の南京の人口は約二十五万人であって、数週間前に彼らがとくに慎重に推定した数をはっきりと上回るものである。・・・・・・われわれが推定してみたところでは、三月下旬の人口は二十五万ないし二十七万であって、このうち調査員の手のとどかぬ人々もあり、また移動の途中の人々もあった。調査した人員は二十二万一千百五十人である。五月三一日に市政公署の5つの地区で登録された住民(下関を含むが、あきらかに域外のその他の地区を含まない)は二十七万七千人であった」(前掲書二五一頁)

[四]邦訳は、加々美光行・姫田光義訳・解説『証言・南京大虐殺』(青木書店、一九八四年)

[五]『証言・南京大虐殺』一四頁。

[六]「極東国際軍事裁判速記録第五八号」、洞富雄編『日中戦争 南京大残虐事件資料集 第一巻』(青木書店、一九八五年)一四二〜一四五頁。「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」は以下の通り。
「一、調査の経過

本検察処は敵人罪行調査を命ぜられてより、所用の文書を印刷して市民一般に明らかに告示すると共に、南京市中央調査統計局・軍事委員会・調査統計局・南京警察庁・南京市党部・南京市区憲兵司令部・三民主義青年団南京本部・南京市商会・南京市農会・南京市工会・南京市弁護士公会・南京医師公会・紅卍字会南京分会及び本院等、十四単位に宛て通牒し、《各代表を民国三十四年十一月七日午後二時、本院会議室に参集を請いて第一次会議を開催、会議において南京敵人罪行調査委員会の組織を決議しこれを成立す。
又、各代表者はそれぞれ文書を以て関係各方面に移牒し、市政府は各区町村の保甲を督励し、警察庁は各区警察分局を督励し、各々分担責に任じ、その他の各団体は各その性質に応ずる調査の対象を確定して、以て調査の重複を避けることを議決す。
この間、敵側の欺瞞妨害激烈にして民心銷沈し、進んで自発的に殺人の罪行を申告する者甚だ少なきのみならず、委員を派遣して訪問せしむる際においても、冬の蝉のごとく口を噤みて語らざる者、或いは事実を否認する者、或いは自己の体面を憚りて告知せざる者、他処に転居して不在の者、生死不明にして探索の方法なき者等あり》(編者註《 》内は英文の議事録からカットされている)
以上のごとき理由によりこの五百余件の調査事実は何れも異常なる困難を経て調査せる者にして、特別の注意を払いて慎重調査を期し、種種探索訪問の方法を講じ、数次にわたり行われたる集団屠殺に関する貴重なる資料を獲得する毎々一々これを審査し、確定せる被殺者既に三十万に達し、このほか尚未だ確証を得ざる者合計二十万を下らざる景況なり。
二、敵人罪行の種類
6.その他に関するもの
・・・・・・捜索せる資料を総計するに、
被殺害者確数  三十四万人
焼失又は破壊家屋 四千余戸
被姦及び拒姦の後殺害されたる者 二、三十人
三、戦犯及び関係資料
2.集団屠殺の証拠
被屠殺者たる我同胞  二七九、五八六名
新河地域 二、八七三名(廟葬者盛世徴・昌開運証言)
平工廠及び南門外花神廟一帯 七、〇〇〇余名(埋葬者丙芳縁・張鴻儒証言)
草鞋峡 五七、四一八名(被害者魯甦証言)
漢中門 二、〇〇〇余名(被害者伍長徳・陳永清証言)
霊谷寺 三、〇〇〇余名(漢奸高冠吾の無主孤魂碑及び碑文により実証)
その他、崇善堂及び紅卍字会の手により埋葬せる屍体合計一五五、三〇〇余」
[七]A級戦犯容疑者を起訴するため、一九四五年十二月八日、GHQ内部に設置された。局長は首席検事のJ・B・キーナン。

[八]『証言・南京大虐殺』一九〇頁。

[九]「速記録第五十八号」『南京大残虐事件資料集 第1巻』一四一頁。「南京地方法院検事への魯甦による証言」は以下の通り。「敵軍入城後、まさに退却せんとする国軍及び難民男女老幼合計五万七千四百十八人を幕府山付近の四、五箇村に閉じ込め、飲食を断絶す。凍餓し死亡する者頗る多し。一九三七年十二月十六日の夜間にいたり、生残せる者は鉄線を以て二人を一つに縛り四列に列ばしめ、下関・草鞋峡に追いやる。

しかる後、機銃を以て悉くこれを掃射し、更に又、銃剣にて乱刺し、最後は石油をかけてこれを焼けり。
焼却後の残屍は悉く揚子江中に投入せり。・・・・・・
当時、私は警察署に勤務しあるも、敵市術戦に際し敵砲弾により腿を負傷し、上元門大茅洞に隠れ居り、その惨況を咫尺の目前に見し者なり。故にこの惨劇を証明し得る者なり」
[十]「特務機関員が見た陥落後の『南京』」、月刊『明日への選択』(日本政策研究センター発行、平成十年十二月号)二二−二七頁。丸山進氏の証言は昭和史研究所(代表・中村粲獨協大学教授)が作成したビデオに収録されている。

[十一]『南京大残虐事件資料集 第一巻』三八六頁。

[十二]ジョン・ラーベ著、エルヴィン・ヴィツケルト編、平野卿子訳『南京の真実』(講談社、一九九七年)三一七頁。ラーベはドイツ人で、ジーメンス社の南京支社長。安全区委員会の委員長をつとめた。通称「ラーベ日記」。原文はドイツ語だが、邦訳には誤訳が多く、その問題点を桑原草子・昭和女子大学助教授が「『ラーベの日記』日本語訳を検証すると題して二日にわたり『月刊評論』平成十一年六月二十五日号、七月十五日号に掲載している。

[十三]『南京の真実』二五四頁。

[十四]『南京戦史』三五一頁。南京戦史編集委員会は「南京戦闘詳報」を分析し、十二月四日から十二日夕方までの戦死者を一万二千三百六十六人と推測している。

[十五]別名『戦争とは何か』。Harold J. Tiperler, WHAT WARMEANS: THE JAPANESE TERROR IN CHINA (Lodon: Victor Gollancz Ltd, 1938)。ただし表紙には Not for sale to the public (一般には販売しない)とあり、内部資料扱いであった。なお、Japanese terror in China という書名でニューヨークでも同時期発刊されている。『マンチェスター・ガーディアン』紙中国特派員であったティンバーリー(オーストラリア人)が南京を中心に日本軍の暴行についての資料を集め、発刊したもの。本文は一、南京安全区委員会の委員たち(マギー、ペイツ、フィッチら)の手紙、二、安全区委員会が南京の日本当局に提出した日本軍兵士による「被害届」四百四十件のうちの百三十件、三、安全区委員会が日本当局や英米独大使館へ送った書簡、南京「百人斬り」報道(『ジャパン・アドバタイザー』)の記事など。邦訳は 『南京大残虐事件資料集 第二巻』に収録されている。なお、鈴木明著『新「南京大虐殺」のまぼろし』(飛鳥新社、一九九九年)によれば、ティンバーリーは一九三七年から、中国国民党中央宣伝部顧問であった。

[十六]「速記録第五九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一六七─一七一頁。

[十七]「速記録第五九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一六六─一六七頁。検察側書証として提出された「一九三八年一月十四日付の、上海総領事宛のジョン・ラーベの手紙」には次のように記されている。
「日本軍当局はその部隊に対して明らかに命令権を失ったごとく、部隊は占領後数週間にわたり、市街を掠奪し、約二万の婦女子を冒し、数千の無辜の市民(その中には発電所の四十三名の従業員を含む)を残虐な方法によって殺害し(機関銃火による大量殺人は人道的処刑の中に数えられる)、また外国人居住地区に侵入することを梼躇せず・・・・・・」

[十八]南京事件調査研究会編訳『南京事件資料集 第1巻』一〇五頁。一九三八年一月五日、上海のアメリカ総領事ガウスからワシントンの国務長官宛の「祕密扱い」の報告書簡(出典:Record of US Embassy to Chinam Correspondence American Embassy Nanking)には次のように記されている。「南京大学のシール・ペイツ博士(社会学および歴史学の教授)が書いた日本軍占領後の南京の状況に関するメモを同封する。本メモの写しは、『シカゴ・デイリー・ニューズ』 のアーチボルト・スティール氏が当総領事館の館貞に手渡したものである」

[十九]「速記録第四八号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』八九頁。東京裁判に検察側証人として出廷したマギーは次のように証言している。「私共これだけの外国人は家のバルコニーから外を見まして、実際中国人が一人殺されるのを目撃したのであります。それは中国人が私の家の前を歩いておったのでありますが、それは何れも絹の着物を着ておりました。それを日本の軍人が後ろから誰何したのであります。そうしますとこの中国人は非常に驚きまして、歩行を早めて逃げ去ろうとして、丁度その先の所にありました角の所を曲がろうと致しましたが、そこは丁度竹垣がありまして行き詰まりになったために、逃げることが出来なかったのであります。それを日本の兵隊は追いかけまして、そうして殺したのであります」

[二十]『南京大残虐事件資料集 第二巻』一一四〜一一五頁。『南京安全地帯の記録』の「第三十七号文書」には次のように記されている。「第百八十五件一月九日朝、クレーガー氏とハッツ氏は、安全区内の山西路にある中央庚款大慶の真東にある池で、日本軍将校一名と日本兵一名が一人の市民服姿の哀れな兵士を処刑するのを目撃した。・・・・・・〔クレーガー、ハッツ〕
(一)われわれは、日本軍による合法的な死刑執行にたいして何ら抗議する権利はないが、これがあまりに非能率的で残虐なやり方で行われていることは確かである」

[二十一]「速記録第三五号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二一〜二二頁。東京裁判に検察側証人として出廷したロバート・O・ウィルソン(南京大学病院の副外科医)は次のように証言している。
「○岡本弁護人 入院を拒絶した数はどれ程であるか、概数は御覚えはございますか。

○ウィルソン証人 私は南京占領後、昼夜を問わず手術に忙殺されておりまして、手術室にいましたためにどれ位の数が入院を拒絶されたかということは外の人が知っておりましたので、申し上げることは出来ませぬ」
[二十二]「速記録第四八号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一〇三頁。東京裁判に検察側証人として出廷したマギーは反対尋問を受けて次のように証言している。
「○ブルックス弁護人 マギー証人、それではただ今の御話になった不法行為もしくは殺人行為というものの現行犯を、あなた御自身いくら位ご覧になりましたか。

○マギー証人 私は自分の証言の中ではっきりと申し上げてあると思いますが、唯僅か一人の事件だけは自分で目撃いたしました」
[二十三]「第五十四号文書 南京イギリス大使館ブリドー=ブリュン様への手紙」、「南京安全地帯の記録」『南京大残虐事件資料集 第二巻』一四九頁。

[二十四]『南京の真実』三一七頁。

[二十五] 孫元良将軍については犬飼總一郎「南京問題について」(前掲)参照。龍大佐と周大佐についてはラーベが「日記」にこう書いている。
「十二月十二日
 夜の八時少し前、龍と周がやってきた。ここに避難させてもらえないかといってきたので、私は承知した。韓と一緒に本部から家に帰るまえに、この二人は、本部の金庫に三万ドル預けていった」(『南京の真実』一〇五頁)

[二十六] 一九三七年十一月から十二月初旬にかけて安全区の中立性を守るため、ラーベら安全区委員会はたびたび中国軍に対し、安全区から出ていくよう要請した。しかし、唐生智らはその要請を拒否。この事実を知られたら「安全区」は日本軍によって攻撃されることになる。そこで、ラーベらは「安全区には中国軍兵士はいない」との嘘のメモを新開発表用に作成した。その経緯についてラーベは十二月五日の日記にこう記している。
「ペイツ、シュペアリングといっしょに、唐司令官を訪ねた。なんとしても、軍人と軍の施設をすぐに安全区から残らず引き揚げる約束をとりつけなければならない。それにしてもやつの返事を聞いたときのわれわれの驚きはいったいどう言えばいいのだろう!
『とうてい無理だ。どんなに早くても二週間後になる』だと? そんなばかなことがあるか! それでは、中国兵士を入れないという条件を満たせないではないか。そうなったら当面、『安全区』の名をつけることなど考えられない。せいぜい『難民区』だ。委員会のメンバーととことん話し合った結果、新聞にのせる文句を決めた。なにもかも水の泡にならないようにするためには、本当のことを知らせるわけにはいかない・・・。」(『南京の真実』八二頁)

[二十七] ゲルハルト・クレープス Gerhard krebs「在華ドイツ軍事顧問団と日中戦争」『軍事史学』第百三十号(蹄正社、一九九七年)二九九─三一八頁。

[二十八]『南京の真実』二四六頁。

[二十九] 東京裁判研究会編『共同研究 パル判決書(下)』(講談社学術文庫、一九八四年)五六〇─五六一頁。

[三十] 洞富雄他編『南京大虐殺の現場へ』(朝日新聞社、一九八八年)九九頁。

[三十一] 東中野修道『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社、一九九八年)五一頁。

[三十二] 上海一九三七年十二月八日発「東京日日新開」は次のように報じている。「南京衛戌司令唐生智はどさくさに乗ずる市民の暴動を恐れて七日朝来市内警備を一層厳重にして少しでも怪しいものは手当たり次第に銃殺し、すでにその数、百名に及んでいると支那紙は報じている」(『南京戦史』二七三頁)

[三十三] 南京アメリカ大使館通信、エスピー報告、三八年一月二十五日」『南京事件資料集 第一巻』二三八頁。

[三十四]「松井石根大将戦陣日記」『南京戦史資料集』二二頁。

[三十五] 松井大将が一九三七年十二月十八日、慰霊祭において日本軍の「規律違反」を涙ながらに批判し訓示を行ったという説は偕行社の編集委員会が調べた結果、間違いと判明。詳しくは『南京戦史』四〇三─四〇九頁。

[三十六]「速記録第二八五号」『南京大残虐事件資料集 第1巻』二二一頁。

[三十七]『南京戦史』二四九─二五八頁。

[三十八] 便衣兵つまり市民に偽装した兵士の存在に日本軍は大変苦労した。東京裁判に出廷した、当時、第三師団野砲兵第三連隊第一大隊観測班長の大杉浩(陸軍砲兵少尉)は宣誓口供書において次のように証言している(「速記録」第三〇九号)
「作戦の全期間を通じて最も困ったのは便衣隊であります。即ち急追されると武器をかくして常民を装い、我々が心を許すと再び武器をもって抵抗します。武器を捨てたときは常民との区別が全くつけにくいので、遂にわたしたちは必要に応じ全部村民を村の一隅に集結させ監視する方法を採ったこともあります」

[三十九] 安全区委員会委員長ラーベは十二月十八日付の南京日本大使館宛「第九号文書」において「問題なのは、安全区を捜索する日本軍将校の精神状況であります。彼らは、当所は『便衣兵』で充満している、と考えているのです。十二月十三日の午後、武器をすてて安全区内へ入ってきた中国兵の存在については、既に再三あなた方へ通知してあることであります。しかし、現在では、地区内には武装を解除した中国兵の集団が一つとして存在しないことは、まちがいなく保障できます」(「南京安全地帯の記録」『南京大残虐事件資料集 第二巻』一三〇頁)と、日本軍の掃蕩作戦を非難している。

ところが、ラーベは二月三日付目記に、上海のアメリカ人が発行している一月二十五日付『大陸報(チャイナ・プレス)』を転載し、安全区に中将を筆頭に約二千名近い将兵が大量の武器を保有したまま潜伏し、ゲリラ活動を展開していたことを間接的に認めている。『大陸報』の要旨は以下の通り。
「中国の将校が隠れていた!
報道によると、高級将校が外国大使館に隠れていた。十二月二十八日に安全区で摘発、高級将校二十三名、初級将校五十四名、下士官、兵一千四百九十八名。南京保安隊長は難民区四区の工作を指導、八八師副師長馬宝山中将と警察局高官もいた。馬将軍は反日感情と動乱を扇動、王新堯保安隊長は部下三名と掠奪強姦、市民に対する脅迫をしていた。また発見された武器は、大砲一基、チェコ製マシンガン二十一丁、ライフル五十丁、手榴弾七千発などである」(The Good man of Nanking 一七二−一七三頁)なお、ラーベ日記の日本語版はこの部分を削除している。
[四十]足立純夫『現代戦争法規論』(啓正社、一九八三年)六九−七〇頁。

[四十一]『南京戦史』三二九頁。ただし、こうした「戦闘詳報」では将来の論功行賞を配慮して、鹵獲兵器の数、遺棄死体や捕虜の人数に水増しがなされる場合がしばしばあることに留意する必要がある。

[四十二]『南京戦史』三七五−三七八頁。

[四十三]リチャード・フィン(米アメリカン大学名誉教授)「誇張と曲解から教訓は生まれない−『レイプ・オブ・ナンキン』の読み方」『This is 読売』(読売新聞社)一九九八年八月号。

[四十四]デビッド・ケネディ(スタンフォード大学歴史学部長)「南京虐殺はホロコーストではない」『諸君!』(文藝春秋)一九九八年八月号。『アトランティック・マンスリー』一九九八年四月号より転載。

[四十五]「交戦法規の適用に関する陸軍次官通牒」(陸支密第一九八号、昭和十二年八月五日)は以下の通り。
(『南京戦史資料集』五六三頁)
「四、軍の本件に関する行動の準拠、前述の如しと雖も、帝国が常に(略)戦闘に伴う惨害を極力減殺せんことを顧念しあるものなるが故に、此等の目的に副う如く、前述「陸戦の法規慣例に関する条約其の他交戦法規に関する条約」中、害敵手段の選用等に関し之が規定を努めて尊重すべく(略)」

[四十六]『「南京虐殺」の徹底検証』九二頁。

[四十七]「飯沼守日記」『南京戦史資料集』一四二頁。

[四十八]『南京戦史』三二五−三二七頁。

[四十九]「速記録第三〇九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二三九頁。東京裁判に弁護側証人として出廷した第九師団第三十六連隊長の脇吸次郎(陸軍大佐)は宣誓口供書をもって次のように証言している(検察は反対尋問の機会を与えられたが、行わなかった)。「私の部隊が南京に入った直後、ある主計中尉が公用外出の途中、支那婦人靴が片足遺棄してあるのを発見し、その美麗な型式を友人に見せる積もりで隊に持ち帰ったところ、これを憲兵が探知して奪掠罪の嫌疑で軍法会議に書類を送付したので、その中尉は私の面前で涙を流して自分の無罪を主張し、私もその事実を認めて上司に伝えました。結果は微罪却下となったと記憶します。当時、南京における日本憲兵の取締りは厳重を極め、如何に微細な犯罪も容赦しませんでした」

[五十]「速記録第四九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一〇三頁。東京裁判に検察側証人として出廷したマギーは反対尋問を受けて、次のように証言している。
「○ブルックス弁護人 あなた御自身が、強盗であると思われ、もしくはあなた御自身が強盗されたという事件を、あなたはどのくらい御自身で御経験、或いは見ましたか。

○マギー証人 私は実際に先程申しましたように「アイス・ボックス」を盗んでおったのを見ましたことは覚えております」
[五十一]「『南京の状況』ワシントン国務長官宛、一九三八年一月八日、アリソン」『南京事件資料集 第一巻』一〇七頁。

[五十二] 郭岐「南京陥落後の悲劇」〔『侵華日軍南京大屠殺史料』より〕、『南京事件資料集 第二巻』二三四−二三五頁。

[五十三]『「南京虐殺」の徹底検証』二七五頁。

[五十四] たとえば、東京裁判に弁護側証人として出廷した上海派遣軍参謀長の飯沼守(陸軍少将)は宣誓口供書において次のように証言している(検察は反対尋問の機会を与えられたが、行わなかった)。(「速記録第三〇九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二五三頁)
「部隊として家具などを持ち出したことを聞いている。これは集団宿舎の設備補充の用途に充てたとのことである。この徴発の際にはそれぞれ損害を補償するか、管理人が逃亡して不在のことが多く、これらの家には代償を支払うべき証明書を貼付しておいた、とのことである。

個人として無断持ち出しをしたものも少しあった。又外人の家財を侵したものがあったので、これらはそれぞれ現物を返還し又は補償金を与え解決し、犯罪者は処罰した。決して司令部として不法行為を命令したことは勿論ないし、またこれを容認したこともない」
[五十五]「速記録第五九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一六六−一六七頁。

[五十六]「速記録第三六号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』五〇−五一頁。東京裁判に検察側証人として出廷したペイツは強姦事件について次のように証言している。ペイツ自身が強姦現場を目撃していないことを証言している点も興味深い。
「○ペイツ証人 ・・・・・・占領後一箇月して安全区委員会委員長ラーベ氏及びその同僚はドイツ官憲に対して、少なくとも二万人の強姦事件があったことを信じていると報告しました。それより少し前私はずっと内輪に見積もりまして、又安全地帯の委員会の報告のみによりまして、強姦事件は八千と見積もったのであります。

・・・・・・私はそういう(強姦事件のような)非常に変人じみた、或いは特に残虐な場合に関してあまり多くの場合を知っていないのであります。自分の個人としての知識はそういうことについては余りないのであります」
[五十七] 一九三八年二月九日付「シカゴ・デイリー・ニューズ」によれば、十名以上の日本軍将兵が軍紀素乱を理由に重罰に処せられた(『「南京虐殺」の徹底検証』二六二頁)。

[五十八] 東京裁判において弁護側証人として出廷した塚本浩次(上海派遣軍法務官)は宣誓口供書において次のように証言している(反対尋問は受けた)。
「私は松井司令官の命令を帯し、作戦要務令に従い、軍紀・風紀を破る者に対しては厳重にこれを処断し余すところはなかったと考えております。各部隊としては上海派遣軍法務部があまり厳罰を科し微細な罪をも糾明する態度を非難することもあった程でした」(「速記録第三一号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一九一頁)

[五十九]「速記録第五八号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一四二−一四五頁。

[六十]「速記録第三〇九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二三五頁。たとえば、前述した大杉浩少尉は東京裁判において次のように証言している。
「(十三日夕刻)私は城門(中山門)から一キロくらいしか入らなかったが、その間の銀行、官庁には既に憲兵が配置されており、日本軍の立入禁止の札が貼付されていた。(中略)十三日、湯水鎮の本隊に帰り、部隊を誘導して南京の南方土山鎮に集結したが、その時上司の指示により、将兵の外出を一切禁止した。また公用で外出する者も、南京市内西南隅の地区は難民街として指定されているので、一切立ち入ってはならない旨示達した。当時同僚から聞いたところによると、この難民街には敗残兵が武器を持って遁入し、便衣を着て常民を装っているから危険であり、立ち入らせないようにしているのだ、ということであった」

[六十一]『南京大残虐事件資料集 第二巻』一八二頁。

[六十二]『南京大残虐事件資料集 第一巻』一五五−一五六頁。

[六十三] 犬飼總一郎「拉貝目記に見る南京安全区の中立違反と赤十字の濫用 上」『借行』平成十一年九月号。

[六十四] 日本兵による強姦事件が全くなかったわけではない。東京裁判において第十軍法務部長の小川関次郎は宣誓口供書で次のように証言している(検察は反対尋問の機会を与えられたが、行わなかった)。
「自分は南京に着くまでの間(一九三七年十一月五日から十二月十四日まで)に約二十件くらいの軍紀及び風紀犯を処罰した。風紀犯の処罰について困難を感じたことは和姦なりや強姦なりや不分明なることであった。

その理由は中国婦人のある者は日本兵に対して自ら進んで挑発的態度をとることが珍しくなく、和合した結果を夫または他人に発見せらるると婦人の態度は一変して大袈裟に強姦を主張したからである。
しかし自分は強姦と和姦とを問わず起訴せられたものはそれぞれ事実の軽重により法に照らして処罰した」(「速記録第三一〇号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二五六頁)
[六十五] WHAT WAR MEANS, p.284. 邦訳は『南京大残虐事件資料集 第二巻』一五八頁。

[六十六] 鈴木明『新「南京大虐殺」のまぼろし』(飛鳥新社、一九九九年)三〇六−三一三頁。

[六十七]「向井敏明他判決文本文」『南京事件資料集 第二巻』三六一−三六四頁。

●第三章

[一] 佐藤振壽「上海・南京、見た、撮った」『南京戦史資料集』

[二] 秦郁彦「『南京虐殺』"証拠写真"を鑑定する」『諸君!』一九九八年四月号。なお、この論文の英訳が『JAPAN ECHO』(JAPAN ECHO INC)一九九八年八月号に掲載されている。

[三] 阿羅健一『聞き書 南京事件』(図書出版社、一九八七年)二〇九頁。

[四]『開き書 南京事件』

[五]「速記録第二二号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』一九二頁。

[六]「速記録第一二四号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二〇六頁。

[七]「速記録第三〇九号」『南京大残虐事件資料集 第一巻』二四五頁。

[八]『南京大残虐事件資料集 第一巻』三七八−三八〇肩。なお「埋葬記録」は検察側書証として提出され「法廷証拠三二六」として受理されたが、朗読されなかったので「速記録」には載っていない。

[九]「戦争とは何か」『南京大残虐事件資料集 第二巻』四七頁。

[十] 何應欽『中国現代史料叢書 何上将抗戦期間軍事報告』(台北・文星書店、一九六二年)

[十一] Chiang, Kai-shek, The collected wartime messages of Generalissimo Chinag Kai-shek, 1937-1945 (New York: The John DayCompany, 1946)八三−八八頁。

[十二]『「南京虐殺」の徹底検証』三二六−三三九頁。

[十三] LEAGUE OF NATIONS Official Journal 19th year, No.5-6

[十四] 当時の華字紙の報道については『南京事件資料集 第二巻』が詳しい。

[十五]『新「南京大虐殺」のまぼろし』第十三章。

[十六] 上村伸一『日本外交史 日華事変・下』(鹿島研究所出版会、一九七一年)

●第四章

[一] 瀧川政次郎「揚州十日記と南京大虐殺事件(上)」『祖国と青年』昭和六〇年七月号(日本青年協議会)。

●結 語

[一] ヒレル・レビン『千畝』(清水書院、一九九八年)二六七−二六八頁。

[二] アルフレッド・スムラー『アウシュヴィッツ 186416号日本に死す』(産経新聞社、一九九五年)

[三] Karel Bartosek, Andrzej Paczkowski, Jean-Louis Panne, Jean-Louis Margolin, The Black Book of Communism: Crime, Terrot, Repressiont (Harvard University Press, 1999)

[四]一九九六年十一月二十七日付産経新開によれば、米議会調査局は二十六日までに上下両院議員の資料用に「日中関係・現状と展望そして米国への意味」と題するる報告書を作成した。同報告書は、日中関係の特徴の一つとして中国側の日本軍国主義非難をあげ、中国政府がこの非難を「国内のナショナリズムを強めるとともに、日本政府を守勢に立たせ、経済援助や貿易で中国側にとって、より有利な譲歩を日本側から獲得するための手段として使ってきた」という見方を明記している。

[五] アイリス・チャンが自著『ザ・レイプ・オブ南京』を執筆するきっかけとなったのは、中国系米国人団体「世界抗日戦争史実維護連合会 the Global Alliance for Preserving the History of World WwaII in Asia」が一九九四年にカリフォルニアで開催した「南京大虐殺」五十七周年世界記念会議に参加したことであった。この「連合会」が中心となってチャンの本の拡販運動を繰り広げ、アメリカにおいて日本の戦争犯罪を追及する運動を展開している。ちなみにこの「連合会」は一九九九年十二月、日本の社民党本部などを会場に、「戦争犯罪と戦後補償を考える国際市民フォーラム」を主催した。このフォーラムには、中国政府の研究機関の研究者などが多数参加しており、中国政府と連携して日本の戦争犯罪を告発する活動を繰り広げていることが分かる。

[六] 戦前、アメリカでどのような反日親中宣伝活動が繰り広げられたかについては、長尾龍一著『アメリカ知識人と極東』(東京大学出版会、一九八五年)などが詳しい。ちなみにアメリカの著名な外交官であるジョージ・ケナンはその著『アメリカ外交五〇年』(岩波書店、一九九〇年)の中で、戦前のアメリカ政府の政策が親中反日であったがために戦後、中国大陸と北朝鮮の共産化を許してしまったという痛切な反省を述べている。また、連合軍D・マッカーサーは昭和二十六年(一九五一)五月三日、アメリカ合衆国議会上院の軍事外交合同委員会において「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」と証言している(小掘桂一郎編『東京裁判日本の弁明』講談社学術文庫)。

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Notes
[1] The so-called 'Nanking Massacre' has been expressed in various ways, for example, Nanking Massacre, the Rape of Nanking, Nanking Atrocities, Nanking Incident etc. In recent years, the CCP (the Chinese Community Party) has mainly called it 'Nanking Massacre' in a semi-government English paper, the China daily. Therefore we follow it.

[2] Joshua A. Fogal, "The Controversy over Iris Chang's Recent Book, The Rape of Nanking". Sekai (November 1999), p252-p257.

[3] The very cause of which Iris Chang was motivated to write her book, called The Rape of Nanking was when she attended the Global Memorial Conference of the 57th Anniversary of the "Rape of Nanking" held in California, in 1994, sponsored by the 'Global Alliance for Preserving the History of World War II in Asia'. This Alliance was centered to develop the sales campaign of her book, and to pursue the movement of accusation within the U.S. against the war crimes committed by Japan. This Alliance also held a forum, called 'International Citizen's Forum on War Crimes and Redress' at the Japan Socialist Party's Headquarters in December 1999. To this forum, many researchers sponsored by the CCP attended, and this proved that they were cooperating with the CCP to develop the movement of accusation against the war crimes committed by Japan.

[4] The KMT, which in essence was the government of the Republic of China, represented a loose alliance of militarists, bureaucrats, landlords and commercial interests.

[5] In five major 'Bandit Suppression campaigns,' starting in December 1930 and lasting until 1935, Chiang Kai-Shek attempted to exterminate the Communist forces in China. These campaigns were launched as follows: (1) December 1930; (2) May 1931; (3) June 1931; (4) April 1933; (5) October 1933.

[6] United States. Dept. of States, United States relations with China, with special reference to the period 1944-1949 (Washington. D.C., U.S. Government Office, 1949) read as follows:

In January 1936 the Chinese Communist Party publicly offered the "hand of friendship" to Generalissimo Chiang Kai-Shek if he would take up arms against Japan. On August 26, 1936, the Chinese Communist Party proclaimed to the Kuomintang, "we are prepared to form a strong revolutionary united front with you as was the case during... the great Chinese Revolution of 1925-1927... [that] is the only proper way to save our country today."
Coming at a time of growing patriotic resentment against Japanese aggression, the stepped-up demands for a "united front" by the Chinese Communist Party were an effective propaganda weapon for use against the troops to which the National Government had assigned the task of "bandit suppression" in northwest China. By the end of 1936 the army of Chang Hsueh-liang, the former warlord of Manchuria, was in no mood to fight against the Communist forces. In December 1936 the Generalissimo and his staff visited Sian in Shensi Province to map out a sixth "Bandit Suppression" campaign. Rather than carry out Nationalist orders to resume operations against the Communists, Chang Hsueh-liang decide to "arrest" the Generalissimo.
[7] The Boxer Protocol read as follows :

Articles 9. The Chinese Government has conceded the right to the Powers in the Protocol annexed to the letter of January 16, 1901, to occupy certain points, to be determined by an agreement between them, for the maintenance of open communication between the capital and the sea. The points occupied by the powers are :
Huang-tsun, Lang-fang, Yang-tsun, Tientsin, Chun-liang-cheng, Tang-ku, Lu-tai, Tang-shan, Lan-chou, Chang-li, Chin-wang-tao, Sham-hai-kuan. (How the Far Eastern War was begun edited by Shuhsi Hsu, Shanghai : Kelly & Walsh, Limited, 1938, p.19.)
[8] On July 11, 1937, when hearing that Lieutenant General KOHZUKI Kiyoshi was assigned as the Commanding General of the Expeditionary Army in China, the Emperor Showa (Hirohito) said to his Chamberlain USAMI, "directly tell General KOHZUKI the non-expansion policy, and also be aware of the sensitive situations which many foreign interests entangle." And, the Imperial letter was sent to the General. (KOJIMA Jo, The Emperor Showa III, pp.189-190.)

[9] On July 29, 1937, some 3,000 Chinese soldiers proceeded to raid Japanese shops, inns, and private homes. Approximately 250 of the 380 Japanese residents of Tungchow were slaughtered.

[10] Karl Drechsler, "Deutshland-China-Japan 1933-1939", Das Dilemma der deutschen Fernostpolitik (Berlin : Akademie-Verlag, 1964)

[11] The so-called 'Scorched-earth policy' was namely a Chinese traditional tactic by which everything of valuable such as assets and houses in the field would be burnt down so that nothing might be left for enemy.

[12] HIDAKA Shinrokuro, the councilor of the Japanese Embassy to Nanking at that time, testified in his affidavit in the IMTFE as follows :

In other cities than Nanking where the Chinese Army retreated, public functionaries of municipal offices or local personages remained behind the military retreat and coordinated between the incoming Japanese Army and the general public, so that their presence resulted in making smooth relations between the Japanese Army and the general public.
When Nanking surrendered the city was completely in a state of anarchy. On 17th, right after the occupation, I witnessed the followings :
When the Chinese commander of the Nanking Garrison retreated before Nanking surrendered, all the military and civilian organs disappeared and ofticials absconded from the city all together. Neither a municipal government nor a police organ existed. No responsible person relating to the municipal administration was available. All the stuffs necessary for a daily administration such as documents to record resident registration and real estate were taken away. The police department was dissolved and no policeman was witnessed. Only a couple of private guard men belonging to each Embassy and legation were seen on respective premises. (The Tokyo War Crimes Trial , pp.21457-21458.)
[13] To put it more precisely, since Chinese stragglers in Shanghai took refuge in the Safety Zone, the Japanese Army tried to mop up the Safety Zone. However, these stragglers immediately ran into the French concession bordering the Safety Zone, so that the Japanese Army could not arrest them.

[14] HIDAKA Shinrokuro testified in the IMTFE as follows :

The Japanese Army did not officially approve the above-mentioned zone, the so-called 'safety Zone.' The reasons were (1) that the location was thought inconvenient for safekeeping, from a tactical point of view, in case of a battle in the city (2) that high ranking Chinese officers and their staff lived there, (3) that the committee did not have enough power to keep defeated Chinese soldiers and other undesirable persons out of the zone and to maintain its 'neutrality.' (The 'Safety Zone' in Shanghai was considered to differ on these points and was approved by the Japanese Army.) (The Tokyo War Crimes Trial, pp.21459-21460.)
The reason for which the plan (the Safety Zone in Shanghai) was approved by Japanese authorities was as follows :
(1) The Area was purely a Chinese town and it was clear that Father Jaquinot and other committee member were all impartial and disinterested.
(2) The committee would take in and protect non-combatant Chinese when there was a battle, and relief and protection would continue for a little while after the battle was over, but the committee would agree not to interfere in the government and supervision of the area, which was to be completely in the hands of the Japanese Army.
(3) As the authorities of French concession adjacent to the area willingly cooperated the committee was thought to have enough actual power to maintain 'neutrality' when there was a battle.
(4) Judging from the location of the area, it was believed possible to maintain 'safety' in the area despite there being a battle near here.
(The Tokyo War Crimes Trial, pp.21461-21463.)
[15] The Hague Convention of 1905, Convention Respecting the Laws and Customs of War on Land, Article 26

[16] Languages spoken in each region varied so much that communication among soldiers coming from different regions was difficult for each other.

[17] Shuhsi Hsu (ed.), Documents of the Nanking Safety Zone (Shanghai : Kelly & Walsh, Limited, 1939) pp.14-15.

[18] The IMTFE was established on April 29, 1946 until November 13, 1948. As to the IMTFE, see Antonio Cassese and B. V. A. Roling (Contributor), The Tokyo Trial and Beyond (Polity Press, 1995).

[19] According to the Document No.17 issued by the Safety Zone Committee, dated on December 17, the number of refugees whom the Safety Zone Committee managed to accommodate in eighteen places of refugee camps in the Safety Zone were only about 50,000 Chinese people among 250,000. Another 200,000 were living in the 'new residential district' where Japanese troops managed.

[20] Dr. Lewis S. C. Smythe was recording the survey result with regard to the population of Nanking in the following manner in his book War Damage in the Nanking Area (Shanghai : Mercury Press, 1938).

Table 1 Families studied and estimated population
* On the basis of incomplete registrations carried out by the military authorities between the end of December and the end of January, members of the International Committee estimated the population of Nanking at that time to approach 250,000, a figure decidedly above their deliberately cautious guesses of earlier weeks... We venture an estimate of 250,000 to 270,000 in late March, some of whom were inaccessible to the investigators, and some of whom passed by; 221,150 are represented in the survey. On May 31, the residents registered in the five district offices of the municipal government (including Hsiakwan, but apparently no other sections outside the gates), numbered 277,000.
[21] Summary report on the Investigations of Japanese war crimes committed in Nanking, prepared by the Procurator of the District Court, Nanking
1. The Progress of the Investigations.

As soon as the orders for the Investigation of Japanese war crimes were received, the people were notified by means of printed documents of the official proclamations, and the following 14 organizations in Nanking were notified of them; Nanking Municipal Government; the Military Affairs Committee; Nanking Central Bureau of Investigative Statistics; Metropolitan Police; Branch Headquarters of the Kuomintang; Branch Headquarters of the Military Police; Nanking Chapter of the Three People's Rights Youth Organization; Merchant's Association; Agricultural Association; Industrial Worker's Association; Lawyer's Association; Medical Doctor's Association; Nanking Chapter of the Red Swastika Society (Translator's note, a religious organization); and the Procurator of the District Court. The Procurator of the District Court asked the representative of respective organizations to gather in the conference room of the District Court at 2:00 p.m. on Nov.7, 34 of the republic year and held the 1st meeting. In the meeting the organization of the Nanking investigation committee of Japanese War Crimes was decided and established.
The meeting also confirmed to prevent from duplicated investigations by means of deciding objects of investigations each organization would make, taking consideration of characteristics of each organization.
During investigations, as the enemy's deception and disturbance were severe the mind of the people was dispirited. Not only there existed very few people who voluntarily stated about the crimes of murders, but also there existed many people who did not speak like a cicada in winter, denied the facts and did not state for the sake of appearances even if the member of committee visited them. Besides such a situation, the committee could not contact some people because of house moving or disappearance.
For the reasons mentioned so far, since these over 500 cases were to be investigated with extreme difficulty, the cautious investigation was made paying particular attention, by means of various interviews and inquiries. Whenever obtained vitally important evidence on the mass murders executed over several times, each evidence was examined thoroughly. As the result of the investigations over 300,000 victims were reported, and it is believed that over 200,000 more are not yet to be confirmed besides.
2. Classification of Japanese War Crimes
(6) Particulars Regarding Other Atrocities
The materials investigated up to this time discloses more than 340,000 persons killed, more than 4,000 houses burnt or destroyed, 20-30 persons raped of killed for refusing intercourse, and 184 persons missing.
3. War Crimes and associated materials
(2) Evidence of mass murders
The number of victim killed totaled 279,586.
2,873 were killed in the HSIN-HO District. (This evidence furnished by SHENG ShihCheng and CH'ANG K'ai -sing, who buried the bodies.)
More than 7,000 were killed in the neighborhood of the Army Arsenal and in HUASHEN-MIAO just outside the South Gate of NANKING. (This evidence submitted by JUI Fang-yuan, CH'ANG Hung-ju, and YANG Tu-t'sai, who buried the bodies.)
Approximately 57,418 persons were killed in the TS'AO HSIEH-HSIA District [Straw Shoes Gorge]. (This evidence submitted by a victim, LU Su).
More than 2,000 were killed in the HAN-CHUNG-MEN [Hanchung Gate], (this evidence submitted by two victims who later recovered, WU Chang-te and CH'EN Yung-ts'ing.)
More than 3,000 were killed in LING-KU-SZU [Ling Gu Monastery]. (This evidence submitted by KAO Kuan-wu, a traitor, and also obtained from an epitaph, WU-CHU-KU-SIPEI, meaning, 'a tombstone extolled by nobody.')
Furthermore, the total number of bodies buried by the CH'UNG-SHAN-T'ANG [Advance Benevolence Society]. (Translator's note; a charity institution.) and the HUNGWAN-TZU-HUI [Red Swastika Society]. (Translator's note; a religious organization) totaled more than 155,300. (The Tokyo War Crimes Trial, pp.4540-4548.)
[22] It was set in GHQ on December 8, 1945 to prosecute A class suspect of war criminals. Chief procurator Joseph B. Keenan was a chief of the Section.

[23] Statement made by Lu Su to the procurator of the Nanking District Court was as follows :

Upon entry of the enemy troops into Nanking, refugees of Chinese civilians of both sexes and all ages, as well as retreating soldiers, totaling 57,418, were interned by Japanese troops in four to five villages at Mu-Fu Hill. Many died since neither water nor food was given. Many were frozen to death. In the evening of Dec. 16th, 1937, those who were still alive were marched off to Tsao-Hshie-Hsia [Straw Shoes Gorge], at Shia-Kuen [Hsiakwan], in a column of four, while each two were bound together by lead wire.
There they were machine-gunned, followed by repeated bayonet thrusts. Corpses were burnt by kerosene and, at last, the remains of the burnt corpses were thrown into the Yangtze River...
I was then working in the Police Office. During street fighting, an enemy shell wounded my thigh. As I was then hiding at Ta-Mao-Tung, at Shang-Yuen Gate, very near the scene of massacre, I was therefore able to witness this tragedy. (The Tokyo War Crimes Trial, pp.4538-4539.)
[24] The Good Man of Nanking, p.197

[25] The Battle of Nanking, p.351. Battle of Nanking Editorial Committee estimates that Chinese soldiers were killed in action with 12,366 from December 4 to 12 evening, based on the Nanking Garrison Battle Report.

[26] The Tokyo War Crimes Trial, p.4601

[27] The Tokyo War Crimes Trial, p.4593-4594

[28] Clarence E. Gauss, U.S. total consulate to Shanghai, sent the Secretary of State in Washington the letter of confidential report, on January 5, 1938 (Record of U.S. Embassy to China, Correspondence American Embassy Nanking), and it ran as follows :

Enclosed is the memo regarding the situation of Nanking after Japanese troops occupation that Dr. S. Bates (professor of sociology and history in the Nanking University) wrote. The copy of this memo is the one that A. Steele of the Chicago Daily News handed the total consulate personnel of Shanghai.
[29] As to this case, Rev. John G. Magee testified in the IMTFE as follows :
Rev. John G. Magee... We, foreigners were looking outside from the balcony of the house and actually witnessed a Chinese was killed. The Chinese was walking along the street before this house with a long silk gown, two Japanese soldiers challenged him from behind, and he was so frightened, he was trying to get away. He hastened his pace, and was trying to get around a corner in a bamboo fence, hoping there was an opening, but there was no opening. The soldiers walked in front of him and couldn't have stood more than five yards in front of him, and both of them shot him in the face. (The Tokyo War Crimes Trial , pp.3900-3901.)

[30] Documents of the Nanking Safety Zone, p.78. as follows :

185. On the morning of January 9, Mr. Kroeger and Mr. Hatz saw a Japanese officer and soldier executing a poor man in civilian clothes in a pond inside the Safety Zone on Shansi Road, just east of the Sino-British Boxer Indemnity Building.
Note : We have no right to protest about legitimate executions by the Japanese army...
[31] Robert O. Wilson, associate in Surgery at the University Hospital in Nanking testified following the cross-examination in the IMTFE as follows :
Counsel OKAMOTO : About how many patients did you turn away, do you remember the ballpark figure?
Wilson : I would have no way of telling that, principally because my work was in the operating room and I was there busy most of the time day and night for a few weeks after the occupation. The others outside the operating room handled the outpatients and had to turn away patients when there were no beds. (The Tokyo War Crimes Trial, p.2552.)

[32] John G. Magee testified following the cross-examination in the IMTFE as follows :
Counsel : Now, how many of these acts of murder did you personally witness, Mr. Magee - approximately?
Magee : I thought I made that clear in my testimony. I only personally witnessed the killing of one man. (The Tokyo War Crimes Trial , pp.3929-3930.)

[33] Documents of the Nanking Safety Zone, p.1 12.

[34] Rabe was recording about Chinese officers in his diary as follows :
"Shortly before eight o'clock Colonels Lung and Chow arrive (Ling has marched off by now) and ask if they can take shelter in my house. I agree. Before Han and I left for home, these two gentlemen deposited 30,000 dollars in the committee's safe." (The Good Man of Nanking , p.64.)

[35] The Safety Zone Committee frequently requested the Chinese Troops (Nanking Garrison) to leave from the Safety Zone to defend its neutrality. However, Commander Tan refused the demand. If the Japanese Army had known this fact, they would attack the Safety Zone. Thereon, Rabe and other members of the Safety Zone Committee made the memo for a press release lying that 'there were no Chinese soldiers in the Safety Zone.'

Rabe was writing in his diary dated on December 5 regarding the details as follows :
"Together with Dr. Bates and Sperling I pay a call on General Tang, who is in charge of the city's defense, in order to get his consent to have all military personnel and establishments removed from the Zone at once. Imagine our amazement when General Tang tells us that this is quite impossible, that at best it will be another two weeks before the military can vacate the Zone. A nasty blow. It means that the Japanese condition that no Chinese soldiers are to be allowed in the Zone will not be fulfilled. For now at least we cannot even think of claiming to have a 'Safety Zone', at most it's a 'refugee zone.' The matter is discussed at a long committee meeting and a text prepared for release to the press, because if we don't want to see our work destroyed, we dare not let the press learn the whole truth yet..." (The Good Man of Nanking , p.50.)
[36] Gerhard Krebs, "German Military Advisers Reconsidered," Gunji Shigaku vol.33 (Tokyo : The Military History Society of Japan, 1997)

[37] The Goodman of Nanking, p.190.

[38] Radhabinod Pal, Dissentient Judgment of Justice Pal, (Tokyo : Kokusho-Kankoukai, 1999) p.606.

[39] J. Rabe described a similar sight in his diary as follows :

23 November... A steady stream of wounded men are arriving at Hsiakwan station. Dr. Smythe sends some student volunteers to the station to receive them. (The Good man of Nanking , p.29.)
13 December... Three of us committee members drive out to military hospitals that have been opened in the Foreign Ministry, the War Ministry, and the Railway Ministry, and are quickly convinced of the miserable conditions in these hospitals, whose doctors and nurses simply ran away when the shelling got too heavy, leaving the sick behind with nobody to care for them... The dead and wounded lie side by side in the driveway leading up to the Foreign Ministry. (The Good man of Nanking , pp.65-66.)
[40] The Tokyo NichiNichi carried a special dispatch sent from Shanghai on December 8, 1937 as follows :

Since the morning of December 7, Tang Sheng-zhi, commander-in-chief of the Nanking Garrison has further bolstered security in the city, fearing those residents will become violent amid the turmoil. Anyone who seems the least bit suspicious is gunned down. Chinese newspapers report that 100 persons have been shot dead so far.
[41] The Tokyo War Crimes Trial, p.21413.

[42] Source Material Relating to the Battle of Nanking, vol.1, p.22.

[43] The Justice, Radhabinod Pal in his dissenting judgment at the IMTFE asserted that "China also did not want to give the name of 'war' to this hostility before Japan became involved in war with the United States of America by her attack on Pearl Harbor. China did not give it the name of "war" perhaps because she needed the assistance of the so-called neutral countries who were anxious to avoid being openly at war. America also did not give it that name : perhaps she desired to escape the disabilities of her neutrality legislation whereby the shipments of arms and munitions of war to belligerents were automatically forbidden. America certainly could have openly acknowledged a state of war." (Radhabinod Pal, Dissentient Judgment of Justice Pal, Tokyo : Kokusho-Kankoukai, 1999, p.581.)

[44] The Tokyo War Crimes Trial, pp.21895-21897.

[45] T. Durdin wrote in the New York Times dated on January 9, 1937, as follows :

It may be that Tang made some efforts to save the situation on Sunday by arranging for a general withdrawal under protection of small units left to hold up Japanese penetration far into the city. Appearances indicate otherwise, and in any case the situation was not saved and Tang's departure, unknown even to many members of his own staff, left the army leaderless and was the signal for complete collapse.
[46] For example, the China Press in Shanghai, January 25, 1938 wrote as follows :
Claiming that many Chinese army officers and other ranks were seeking refuge in the International Safety Zone established in Nanking following the evacuation of the capital by Chinese troops, Colonel Nagai, army spokesman, announced the report of the Nipponese gendarmerie in Nanking at yesterday's press conference...

It was ascertained, the report claimed, that high officers of the Chinese army were hiding in buildings, foreign embassies and legations after these buildings were evacuated by their staffs. Up to December 28, it said, 23 Chinese officers, 54 non-commissioned officers, and 1,498 privates were seized by the Japanese in the various buildings in the zone. Among them, it is claimed, was the commander of the Nanking peace preservation corps, Wang Hsing-lau, "who masqueraded as Chen Mi" and was in command of the fourth branch detachment of the international refugee zone, Lieutenant-General Ma Pou-shang, former adjutant of the 88th Division, and a high official of the Nanking Police, Mi Shin-shi.
General Ma, it is claimed, was active in instigating anti-Japanese disorders within the zone, which also sheltered Captain Hwan An and 17 men with a machine-gun and 17 rifles, while the report states that Wang Hsing-lau and three former subordinates were engaged in looting, intimidating and raping.
In dugouts adjoining foreign embassy and legation quarters evacuated by their foreign staffs, the report continued, were found caches of arms. A search in one particular dugout disclosed :
One light artillery gun
21 machine guns of Czechoslovakian manufacture with 60 rounds of ammunition
three other machine-guns
10 water-cooled machine guns with 3,000 rounds
50 rifles with 420,000 rounds of ammunition
7,000 hand grenades
2,000 trench mortars shells
500 artillery shells.
[47] As to the original, refer to page 186 and 187 in The Battle of Nanking.

[48] The Battle of Nanking, p.329.

[49] This is Yomiuri, August 1998

[50] Source Material Relating to the Battle of Nanking, vol.1, p.142.

[51] The Battle of Nanking, p.325-327.

[52] The Battle of Nanking, p.193.

[53] As shown in paragraph 2, it is understood that his principle was not to 'immediately execute' stragglers picked out of 'the Safety Zone' but to 'intern' them into a camp first of all.

[54] As described in paragraph 4, any unit except the selected 'mopping-up unit' has been forbidden to enter the 'Safety Zone'.

[55] As understood if read paragraph 4 and 5, the Japanese Army has been extremely sensitive over that the language issue will result in unnecessary friction with the westerners who live in Nanking, that is, the member of the Safety Zone Committee.

[56] As to how thoroughly enforced the principle that intended to prevent looting, WAKISAKA Jiro, testified by means of the affidavit in the IMTFE as follows :

Immediately after my units entered Nanking, a certain paymaster lieutenant found a Chinese ladies' shoes left off on the way while he was out to discharge an official business. He brought that shoes back to his quarters in order to show its wonderful fashion to his comrades. A military police, however, found out this fact and submitted a document to the court-martial on suspicion of plunderage. The lieutenant, shedding tears in my presence, asserted his innocence, and as I admitted him to be innocent, I respected to my superior official to that effect.
I remember that this case was finally found to be a minor offense not liable to prosecution. The supervision of the Japanese military police in Nanking was extremely strict, and an exposure without mercy was shown even to any minor offenses. (The Tokyo War Crimes Trial , p.32607.)
[57] As to this case, John G. Magee testified following the cross-examination in the IMTFE as follows :
o A counsel : And how many acts of robbery did you personally witness, whether you actually knew it was robbery or yourself were robbed, that you can remember?

o Rev. Magee : I remember, as I said before, that I actually witnessed of the robbing of those electric iceboxes. (The Tokyo War Crimes Trial, pp.3929-3930)
[58] Nankins Incident Source Material, vol.1, p.107.

[59] Guo Qi, The Nanking Massacre, Zhongwai Magazine Publishing, Taipei, 1979.

[60] IINUMA Mamoru, ex-Lieutenant-General, the chief of staff under MATSUI, the Shanghai Expeditionary Force testified in the IMTFE as follows :

I was told that some troops removed articles of furniture but they said that they did so to facilitate quartering for troops. They said that when in requisition they compensated for the loss, but in most cases managers of those houses fled, so they put an evidence note of requisition at respective houses to guarantee the compensation.
A few soldiers removed articles of furniture privately and some removed articles of furniture belonging to foreigners, but the matter was settled by returning the articles in the question to the owners or by compensating for the loss, and the offenders were punished. Of course Army Headquarters did never order to commit unlawful acts nor admitted them. (The Tokyo War Crimes Trial, pp.32651-32652.)
[61] The Tokyo War Crimes Trial, pp.4593-4594.

[62] The Tokyo War Crimes Trial, pp.2633-2634.

[63] TSUKAMOTO Hirotsugu, judge advocate of the Shanghai Expeditionary Force from August 30, 1937 to February 8, 1938, testified in the IMTFE as follows :

I am convinced that I was strict enough to punish those who violated the military discipline, being charged with the Commander MATSUI's orders and in conformity with the Field Service Legislation. So strict was the attitude of the Judicial Department of the Shanghai Expeditionary Force even to trifling crimes as well as excessively severe punishment to crimes that each unit often criticized it with sharp comments. (The Tokyo War Crimes Trial, p.21562.)
[64] Artillery Second Lieutenant OSUGI Hiroshi, the leader of an observation section of the 1st Battalion, the 3rd Artillery Regiment, the 3rd Division testified in the IMTFE as follows :

In the evening on the 13th of December 1937 I went within the walls (Chungshan Gate) only a kilometer from the city gate but I saw military police already posted at the banks and government offices with signs of off limits to Japanese soldiers...
On the 13th of December, I joined my unit at Tang-chui-chen and led them to Tushanchen in the south of Nanking. At this time, according to the instructions of the higher commandant, I strictly forbade my soldiers to go out on passes. Even going out on official business, the soldiers were ordered not to enter the southwest corner quarters of the city of Nanking as they were set aside as refugee's quarters. At that time, I heard from my colleagues that this prohibition was due to the danger of the armed defeated enemy soldiers wearing civilian clothes who pretended to be refuge in these quarters. (The Tokyo War Crimes Trial, pp.32590-32591.)
[65] J.Rabe was writing to his diary as follows :

26 December, later
And now the Japanese authorities have come up with the fabulous idea of erecting a military bordello, and with hands clenched in horror, Minnie [Vautrin] is forced to watch as authorized underling force their way into her Girls Assembly Hall filled with hundreds of gungyangs [=Virgins]. She is not going to hand over even one of them willingly. She would rather die on the spot; but then something unexpected happens. A respectable member of the Red Swastika Society, someone whom we all know, but would never have suspected had any knowledge of the underworld, calls out a few friendly words into the hall-and lo and behold! A considerable number of young refugee girls step forward. Evidently former prostitutes, who are not at all sad to find work in a new bordello. Minnie is speechless! (The Good Man of Nanking, p.99.)
[66] Nanking Incident Source Material, vol.1, pp.155-156.

[67] Miss Minnie Vautrin was assigned to the representative of the refugee reception centers located in Ginling College of Humanities and Sciences in which 4,000 of only women and children refugees were accommodated.

[68] There were a few rapes by Japanese soldiers. As to the rape cases, OGAWA Sekijiro, the chief of Judicial Affairs Department of the 10th Army, testified in his 'affidavit' in the IMTFE as follows :

During my moving to Nanking from November 5, 1937 to December 14, 1937, I dealt with about twenty cases of offenses against military discipline and public morals. In the course of my dealing with crimes or public morals, I found it very difficult to decide whether the cases were fornication with female consent or violation.
The reason was that on the part of the Chinese women some of them were not so rare to take a suggestive attitude towards Japanese soldiers, and once found as having committed adultery with Japanese soldiers by their husbands or other people, they suddenly changed their attitude and asserted exaggeratedly that they had been raped. Whether adultery or rape, however, I punished indictees in accordance with the law, weighing the relative importance of the facts. (The Tokyo War Crimes Trial, pp.32675-32676.)
[69] SUZUKI Akira, The illusion of a great Nanking Massacre; New version (Tokyo: Asuka Shinsha, 1999) pp.306-313.

[70] SATO Shinju, "I took the photos and eyewitnesses in Shanghai and Nanking." Source Material Relating to the Battle of Nanking, vol.1.

[71] John W. Dower is expressing in War without Mercy (New York: Pantheon Books, 1986) pp.15-18. as follows :

Shortly after the United States entered World War Two, Army Chief of Staff George C. Marshall summoned Frank Capra, the Hollywood director, and asked him to prepare a series of orientation films for viewing by American troops...
Only one film in the series was devoted exclusively to the war in Asia. Titled The Battle of China and completed in 1944, this was an epic paean to the resistance of the Chinese people against Japan's aggression...
Viewed by some critics as Capra's most exaggerated portrayal of pure good versus pure evil, The Battle of China was temporarily withdrawn because it omitted any mention whatsoever of problems among the Chinese themselves...
[72] HATA Ikuhiko, "The Nanking Atrocities: Fact and Fable", Japan Echo, vol.25, No.4 (August 1998) pp.47-57.

[73] ARA Ken-ichi, Interviews with Witness of the Nanking Battle, p.209.

[74] The Tokyo War Crimes Trial, p.21563.

[75] The Tokyo War Crimes Trial, p.21913.

[76] The Tokyo War Crimes Trial, pp.32626-32627.

[77] For example, the CCP printed the following article, entitled "Support for massacre diary writer" in the governmental English paper, the China Daily dated on April 4, 1999.

NANJING [Xinhua] - AZUMA Shiro, a Japanese soldier who took part in the massacre of 300,000 people in Nanjing in 1937, has lost a series of lawsuits in Japanese courts over attempts to reveal details of the mass killings in his wartime diary. Recently, however, the 87-year old man has found strong support in Nanjing, the capital of Jiangsu Province. An exhibition dealing with Azuma Shiro's court trials has been on display in Nanjing since early February.
[78] HORA Tomio (ed.), Source Material Relating to the Nanking Massacre, vol.1 (Aoki Shoten, 1985) pp.378-380.

[79] Timperley, What War Means: The Japanese Terror in China, p.59.

[80] Chiang Kai-Shek, The collected wartime messages of Generalissimo Chiang Kai-Shek, 1937-1945 (New York: The John Day Company, 1946) pp.83-88.

[81] League of Nations Official Journal 19th year, No.5-6.

[82] Nanking Incident Research Group (ed.), Nanking Incident Source Material, vol,2: Chinese Reference (Tokyo: Aoki Shoten, 1992)

[83] SUZUKI Akira, The illusion of a great Nanking Massacre: New Version (Tokyo: Asuka Sin-sha, 1999)

[84] UEMURA Shin-ichi, History of Japanese Diplomacy: China Incident (Tokyo, Kashima Institute Publishing, 1971)

[85] Hillel Levine, In search of Sugihara, p.168. as follows :

It is around this time in December 1938 that the most authoritative proclamation regarding Jews was made. Attributed to the Gosho Kaigi, it virtually dictated - though other proclamations would follow-norms of thought and action for the time to come :
No.1 Outline of Responses to Jews: To maintain good will and close relations with both Germany and Italy is central to the diplomacy of the Empire at the present time. So on principle we should certainly avoid tolerating Jews in our Empire whom our allies so vehemently reject. But taking the attitude of shunning them completely, as do the Germans, does not accord with the spirit of racial equality which our Empire has insisted on for many years.
Not only that but we must consider the fact that we need to introduce foreign capital for economic construction to accomplish the war in this state of emergency which the Empire now faces. And also we must avoid making relations with the United States worse. It could cause disadvantageous results. So we should treat [Jews] in accordance with the Guidelines on the left [below] :
Guidelines: 1. We will treat the Jews living in Japan, Manchuria, and China at present with fairness, in the same manner as we treat other foreigners and we will not take special measures to reject them. 2. We will treat the newly arrived Jews to Japan, Manchukuo, and China fairly, generally within the regulations of controlling the entry of foreigners. 3. We will avoid making special efforts to invite Jews to Japan, Manchuria, and China. But this policy dose not include people who are worth using such as capitalists and technologists.
[86] The China Daily dated on January 15, 1999, "'Rabe's Diary' hits big screen"

[87] According to the Sankei Shimbun dated on November 27, 1996, the Library of Congress, Congressional Research Service has completed the report, titled Japan - China Relation, Present and Future Prospective, and their meanings to the United States. The report points out one of its characteristics which is the accusation made by the CCP has been using this accusation 'to stir out its internal nationalism and to put Japan in the defensive position, in order to gain economical and trade benefit from Japan.'

[88] For the detailed information how the U.S. had developed the anti-Japanese, and pro-Chinese activities in the pre-war U.S. are provided in NAGAO Ryuichi's book, titled America's intellectuals and Far East (Tokyo University Publication, 1985). America's famous diplomat George F. Kennan wrote his book, titled American diplomacy, 1900-1950 (London: Seeker & Warburg, 1952), and he expressed his painful regret that the pre-war American diplomacy had been pro-Chinese and anti-Japanese which allowed the Continental China and North Korea to become inclined to the Communism.

On May 3, 1951, in the hearing before the Committee on Armed Services and the Committee on Foreign Relations of the Senate of the United States, General of the Army Douglas MacArthur also said, "It is own personal opinion that the greatest political mistakes we made in a hundred years in the Pacific, was in allowing the Communists to grow in power in China." (the New York Times dated on May 4, 1951)
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http://www.asyura2.com/16/senkyo214/msg/335.html#c9

[政治・選挙・NHK219] やられた側がついに怒りの声を上げた!  赤かぶ
67. 2017年2月07日 03:13:52 : hvDg28qQKs : FIegHVh54rI[4]
時間がある人は読んでみて。


保守速報

310辛淑玉さんの弟はヤクザらしい…在日サイト「在日本韓国YMCA」による情報
2017年02月06日01:56 | カテゴリ:在日韓国・朝鮮人
http://hosyusokuhou.jp/archives/48784054.html(部分抜粋)


225: 名無しさん@1周年2017/02/05(日) 00:09:25.29 ID:eJqMPoip0

2010年4月6日 辛淑玉「人種主義を考える――体験的“人種差別”考」 主催:在日本韓国YMCA


講座の記録 谷幸(移住労働者と連帯する全国ネットワーク)

>辛さんによると、2000年代頃から、差別者のあり方が変化したという。

>もちろんそれ以前から、辛さんが、テレビなどで発言をすると電話やファックスで嫌がらせが相次いでいた。

>しかしそれは匿名で、在日にたいする差別は、社会の感情のはけ口としてなされているのだなと感じていたという。

>しかし2000年頃から、そうした嫌がらせの相手は実名を名乗るようになったそうだ。

>その相手は、専門職や「一流」企業の管理職など、一般に社会的地位が高いと考えられている人が珍しくなく

>彼(女)らは、辛さんと対面したさいも、堂々と「外国人には出て行ってほしい」と言うという。

>この話は、社会の変化、レイシズムの変化を暗示しているように私には思われた。

>最も印象に残ったのは、辛さんの弟の話である

>そんな彼が生きていけたのは任侠の世界だけだった。

>弟が入門したやくざの一門は、親分以外全員が在日で、親分は「お前たちはやくざしかできないからな」とことあるごとに言っていたという。

http://www.ymcajapan.org/ayc/jp/ijyusya/kiroku/season3_1.html
(YMCA連続講座移住者のリアリティ第4期レイシズムを考える第1回辛淑玉)


辛淑玉さんの弟さんはヤクザ
弟さんの一門は親分以外全員が在日だそうです

68: 名無しさん@おーぷん2017/02/05(日)01:36:13 ID:Wf1

●これを見るとやはり共謀罪は必要だと思う


【動画】辛淑玉「若い子には死んでもらう」「爺さん婆さんは向こうに行ったら座って止まって嫌がらせをして皆捕まって下さい」
沖縄基地反対運動で
http://hosyusokuhou.jp/archives/48783945.html

1分35秒あたりから
https://twitter.com/i/videos/827085153751048192
https://twitter.com/surumegesogeso/status/827085153751048192


7. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 02:03:02 ID:I0MzE5NDg このコメントへ返信

共謀罪制定はよ


13. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 02:10:20 ID:Q1MDAyMTY このコメントへ返信

>>辛淑玉は過去に自分だけ帰化しようとしたがあるが、その申請は通らなかった。

林田リンダでさえ通ったのにね。
ちなみに今は893の7割だそうですよ。


21. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 02:21:26 ID:A2NTk2NDg このコメントへ返信

暴対法も使えますなぁ。

22. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 02:21:27 ID:YyOTk1MTI このコメントへ返信

沖縄には、廃業したやくざを送り込んでいるって噂もあるよね。


26. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 02:25:30 ID:c1NDI0NzY このコメントへ返信

親族含めきっちり正体を暴いて外国との背後関係も白日の下に晒そう


30. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 02:32:22 ID:M2NjAwODI このコメントへ返信

何度も帰化申請するも、犯罪者の弟がいるせいで通らず、
その結果日本を恨むようになった…とどっかで聞いたことあるが、
朝鮮学校のようだし、日本が憎いのは最初からだろ
それに朝鮮学校からすんなりと博報堂入って、その後朝ナマ出演、講演などして今に至る
差別の要素どこにあるのやら?w


33. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 02:34:19 ID:A3MDkzODY このコメントへ返信

日本人社会が拒絶するから、在日はパチンコとかヤクザとか
そういう底辺社会しか行くところがなかった、って理由は
昔から本当によく聞く言いわけだよね。
なら在日教師・弁護士・政治家・医者・企業で出世する在日も
いるわけないんだが、実際は権力を持ってゴロゴロといる。
そして、どいつもこいつも目立つ奴はメチャクチャな輩が多い。
つまり「日本人社会の差別」が原因で底辺に行ったのではなくて、
個人の在日の趣味志向で好んで、落ちていった奴が多いということ。
・・・なんだ差別されてきたと騒ぐクセに、普通の日本人の環境と
たいして変わらねえじゃねえか。ケッ、被害者ぶるんじゃねえよクソが。


47. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 02:45:08 ID:Y0MTgxMA= このコメントへ返信

父親も不法入国の○野郎だろ
要は滞在許可証すらないからヤクザなんだろ
このBBAも怪しいな


49. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 02:48:16 ID:EwMjc4OTQ このコメントへ返信

辛淑玉の弟は朝鮮学校でリンチされてからおかしくなったというね。
若い子は〇んで下さいという動画がノンカットで見れるよ。
「ないちゃー大作戦!全員集合」2016/09/09
h   ttps:www.youtube.com/watch?v=xFoNoGtlq1E
もしくはブログ「韓流研究室」2017/02/02 
衝撃!福島瑞穂の秘書は辛淑玉の舎弟「警察をシバイていきましょう」にリンクがある。
福島瑞穂の公設秘書池田幸代、高橋直樹、島崎ろでぃー、横川ケイキ、辛淑玉、TBS金平、福島瑞穂、
全日建青年部福島穂高、元沖縄SEALDsもとやまじゅんしろう。聞くもビックリする話。


51. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 02:49:57 ID:M0NTAwODQ このコメントへ返信

※2

納得。
自分や罪ニッチ=可哀想な立場であると、嘘と自己愛に満ちた語り口ばっかりでうんざり。
日本のせいでも何でもなく、辛子玉を取り巻く環境と特有の民辱性で実は片づく事ばかり。
後、演技性の大袈裟な語り口など、詐欺師が良く使う手(病的なものかも)も持っている。
日本での反日政治活動を助け、日本を混乱に陥れた、日本側パヨクのテロ幇助の罪は重い。


58. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 03:00:43 ID:A5MTI1MDY このコメントへ返信

ヤクザのケツ持ちは生活保護。


62. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 03:10:05 ID:AyOTczODA このコメントへ返信

辛淑玉
「若い子には死んでもらう」
「爺さん婆さんは向こうに行ったら座って止まって嫌がらせをして皆捕まって下さい」

あぁ、通りでヤクザ的発想な訳だぁ。


70. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 03:24:03 ID:QxOTEwODg このコメントへ返信

YMCAは朝鮮人の学校だと思っておけば良い。学校法人を営む朝鮮人は多いぞ。あいつらアホだから大して中身の無いことをさも高等な知識だと思わせて広めているが、科学的知識とは掛け離れてた精神論だらけだ。朝鮮半島は永久に発展せんよ。


72. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 03:44:48 ID:E1MDgwNDY このコメントへ返信

ヤクザの6割は半島系
3割は半島籍
らしいよ
とは言えヤクザは外国出身者が元々多い


79. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 03:54:56 ID:EyOTk5NjQ このコメントへ返信

※25
通名といえば、
創氏改名で名前を奪われた!と騒いでた連中どこ行ったんだろね。
麻生さんを叩きに叩いてたのに。
嘘だとばれて以来、まったく騒がなくなった。
帰国したのかなー。笑


80. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 03:57:41 ID:UxNTY5ODQ このコメントへ返信

wikipedia には全然違う事が書いてあるんだが、まーた嘘をついたんか?。


83. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 04:10:12 ID:Y0MDcxMzI このコメントへ返信

>もちろんそれ以前から、辛さんが、テレビなどで発言をすると電話やファックスで嫌がらせが相次いでいた。
>しかしそれは匿名で、在日にたいする差別は、社会の感情のはけ口としてなされているのだなと感じていたという。

どうせ自分に都合の悪い意見を嫌がらせや差別呼ばわりしているだけで、
本当はテレビで在日に都合のいい嘘ばかりついてるから、
真っ当な反論や抗議が来ただけなんじゃないの?


86. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 04:31:19 ID:IwODA2MTY このコメントへ返信

沖縄基地外活動に参加すれば5万円支給でバス送迎、弁当付き。資金源は中国共産党


89. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 04:42:38 ID:kyNDIyNjg このコメントへ返信

ヘリを墜落させろ、若い奴は鉄砲玉になれ!年寄りはパッと散って最期を飾れ!
言ってることがヤクザそのものじゃんかw


91. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 04:44:15 ID:k3OTY0MDQ このコメントへ返信

沖縄県知事・沖縄2紙・のりこえネットはどう見ても あらゆる角度から見ても反日団体ですよね 米軍基地反対なら在沖米軍基地の大半を台湾に移転しようと言う案が出た時に何故声をあげて賛成しないんですか?


93. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 05:00:16 ID:Y2NTE0NTQ このコメントへ返信

共謀罪と外国人による政治活動規制法を作るべき。


95. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 05:03:44 ID:kwNjMzNTI このコメントへ返信

金現子もそうじゃん。
罪狐はいとこまでの3親等内に必ず893いるからな。

97. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 05:20:58 ID:E1MjgzMTI このコメントへ返信

江戸時代からあったヤクザは今のヤクザとは全く性質の違うもので、
とっくに無くなってる。
今あるヤクザは朝鮮人が作った暴力団組織。帰化系以外の日本人なんて居やしない。
まっとうな日本人には関わり合う場所がないので、当然、ヤクザにはならない。

98. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 05:23:52 ID:A4NDkzODA このコメントへ返信

もう韓国に帰った方一族のためだろ
ヤクザだと公になってる韓国人一家って恥さらしもいいとこじゃん

99. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 05:25:18 ID:A5MTI1MDY このコメントへ返信

吉田茂元首相
「在日朝鮮人の半数は不法入国者」
「犯罪者だらけ」
「凶悪な政治的犯罪者だらけ」


100. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 05:29:20 ID:EyMjAwNDg このコメントへ返信

外国人出て行けとは言ってないのにね
またフェイクニュースかよ

反日朝鮮人と反日支那人に出て行けと言ってるだけでさ
それと凶悪犯罪をやった特別永住許可者も追い出してほしい

危なくて暮らせないし


108. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 05:43:25 ID:kxODAxMjQ このコメントへ返信

ヤクザも資金は米国にも目をつけられ、下っ端の不始末は親分が使用者責任で逮捕される時代。
驚いたのは税務当局が、ヤクザのミカジメの上がりを所得と認定して史上初めて、所得税法違反で
ヤクザの親分を持って行った事。大手の組織は分裂して、地方組織、フロント企業、芸能界まで
ガタついてる現在、そう遠くないうちに連中は食えなくなるだろうな。

110. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 05:55:29 ID:k5MDczMDg このコメントへ返信

NHK学園も特亜三国の巣窟なので注意して下さい。かなりの在日が卒業してる。

111. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 05:58:54 ID:I3NTI5MDI このコメントへ返信

なんだ、在日云々言う前に反社会的勢力なんじゃん。
なら暴対法適用出来るな


115. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 06:07:19 ID:c1Mzk4ODI このコメントへ返信

やくざ=在日

この図式がわかってるから、日本人の若者はやくざ組織に入りたがらない。

クズしかやくざにならない=やくざは在日=在日はクズしかいない=くずしかやくざにならない

この無限ループだ末裔まで続く。しかし、詐欺や暴力によって収監され、最後はクズとして死ぬ。


117. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 06:11:33 ID:kwNTA4OTQ このコメントへ返信

対テロ適用で一網打尽に出来るってことじゃないですか
素晴らしい


119. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 06:17:03 ID:UzNDE5NDg このコメントへ返信

※10
こんな連中に、「強制送還」とか「祖国へ帰れ」とか「ゴキブリ」がヘイトという法務省はクソ。
ゴキブリに対して失礼。犯罪ばかりしている奴らは虫けら以下だからね。


121. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 06:21:38 ID:UzNDE5NDg このコメントへ返信

普通に考えて、親戚にヤクザがいる人物が大学教授やったりテレビに出てコメントしてるってどういう事?


124. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 06:31:01 ID:Y4NzkyMTg このコメントへ返信

※122
あー確かに、あと「ジャンプ」などの漫画業界の編集に支那朝鮮人が多いみたいですね・・・。
この前の講談社「モーニング」編集次長を妻さつ害容疑で逮捕も在日朝鮮人
プロパガンダですね

125. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 06:39:25 ID:EyODQ0MDA このコメントへ返信

辛子玉の身内はヤクザだ!って言ってもヘイトヘイトになるん?
事実だし、本人の証言だし。


126. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 06:42:45 ID:AzNjA0ODA このコメントへ返信

極東会かな。
朝鮮総連の武力犯罪部隊だからな。
北朝鮮の覚醒剤を取り扱ってるところだ。
北朝鮮の撃沈された船から見つかった携帯電話の連絡先だった。


130. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 06:51:44 ID:A4Mjc2MzQ このコメントへ返信

密入国してヤクザになり日本人に迷惑かけてるんだろ。そんなのが多すぎて嫌なんだよ帰れという声が出てくるの当たり前だろ。
ヤクザなんて弱い者からタカり生活するグズだろう祖国に帰ってヤクザしろよ。


132. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 06:54:58 ID:E4MzI0MDI このコメントへ返信

繋がってンのは金か血かは分からんが、ヤーサンに「シマ」って認識がある以上そりゃあ関係あるでしょ。


134. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 06:57:19 ID:c0ODM3OTg このコメントへ返信

※121
これこそが在日特権だよ。
税金払う必要がない、在日枠が保証されている。
彼らは努力で勝ち取ったって言うだろうが違う!日本人を恫喝し奪い取った物だ。
我々は朝 鮮 人は日本から出てけって言う権利がある!
ヘイトスピーチ?知らんわ!朝 鮮 人が法を捻じ曲げてるんだからよ!


137. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 06:59:28 ID:U4NDYyMzQ このコメントへ返信

在日が在日を脅すというシナリオ。
それに従わなかったらどうなるか・・・
というやり口。


139. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 07:04:57 ID:M0MjUxMDA このコメントへ返信

●在日朝鮮人が893にしかなれない訳ではないだろ?多くの朝鮮人が普通に生活してるだろ。893にしかなれないって、お前の弟がよっぽどクズなだけじゃん!
● 差別じゃねぇんだよ!クズだから!!!


142. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 07:09:28 ID:M0ODE5NTg このコメントへ返信

子供をヤクザしか出来ない大人に育てるのは朝鮮学校だろうが。
朝鮮学校しか出てない人間に何の職がある?
脳みそがあるなら朝鮮学校をつぶせと主張するはず。


144. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 07:17:24 ID:UyMzM4OTA このコメントへ返信

ヤクザと暴力団って実は違うんだぜ?
やってる事が同じでも。

ヤクザは「役座」が語源で、警察力の及びにくい地方で
治安維持の為に自警団が発足した、それが起源。
『取締「役」が「座」る』な。

その連綿とした「歴史」を引き継がない新興勢力を
「暴力団」と呼ぶ。

同じ寿司屋でも老舗とスシバー(コリアン経営)ぐらい違うw


145. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 07:19:18 ID:Y1NjQzNTA このコメントへ返信

>>そんな彼が生きていけたのは任侠の世界だけだった。
 
●甘えた言い訳をサラッと書くな
 

147. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 07:20:13 ID:QxNzY2MzA このコメントへ返信

※121
大学教授なんてその大学の教授会が承認すれば誰でもなれます。
学歴不問で中卒でもOK。もちろん教員免許もいりません。
.

大学教授をしている芸能人・有名人まとめ
ttp://matome.naver.jp/odai/2133733331401167701


149. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 07:27:01 ID:A1OTQ0NA= このコメントへ返信

屑が辛抱も出来ずに碌に働けないだけで、人権話に無理やり持って行こうとするな。
こういうところが在日朝鮮人が嫌われる理由だ。

152. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 07:36:28 ID:QxNzY2MzA このコメントへ返信

普通、よその国に住む場合、移住先に受け入れてもらうために
外国人はトラブルや対立を避けるために現地人の顔色うかがっておとなしくするもんだけどな

153. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 07:39:30 ID:I0OTczNjQ このコメントへ返信

不法滞在を擁護する行政書士事務所
ビジネスを奪われたら困るもんな。


158. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 07:52:04 ID:Y1ODYxMjI このコメントへ返信

そんな彼が生きていけたのは任侠の世界だけだった、って●在日でもまともな職についてる奴一杯いるだろうがアホか

160. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 07:58:04 ID:M5MjIzODY このコメントへ返信

真っ当に真面目に働くことがイヤで、騙し、ゆすり・タカリ・恫喝がスキ…ほんとだ…種族の性質とぴったりだ!

彼等が、日本で認められていない飛び道具を持つことはとんでもないね。
それに、今、トップが日本人だったとしても代替わりがあり、まだ日本人が他にいたとしても、彼等は、だいたい日本人より体や声が大きく、態度がデカく高圧的な性質が多い為、弱肉強食原理から他を排除してのし上がる可能性が高い。危険だわ。

それに、裏切りは得意だから、組長や上位の人達の寝首をかくことなんて朝飯前のはず。和夫一家◯◯事件など彼等の典型的な特異な性質を表している。オウムや尼崎なども日本人にはない特異な思考回路。サイコパスは怖い。

日本を武力制圧する為に一番手っ取り早いのは、各組を乗っ取ることだろうし、危なすぎる。

161. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 08:03:33 ID:cwNzYzNzI このコメントへ返信

●ま、一族を刹した北朝鮮には噛み付かず、なぜか日本社会に噛み付いてる婆だからな。


162. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 08:06:49 ID:UzNzQ3OTg このコメントへ返信

トランプは父方のドイツや母方のスコットランドのための政治はしない

それに引き換え白真勲・福島瑞穂・辻本清美・陳哲郎などの輩は朝鮮のための活動しかしない

日本における帰化人の実態は便宜帰化・偽装帰化でしかない こんなものはいくら帰化しても本当の日本人ではない


164. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 08:16:05 ID:kwODM0MjQ このコメントへ返信

だから日本人に高圧的に脅しかけてたのか、バックに893控えてるって(´・ω・`)だから強気なのか。確かにこれは共謀罪案件、今までの反基地・ヘイト扇動も893絡みかなんかも複雑に絡んでやってるって事かね。金の流れが気になるな。


168. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 08:24:26 ID:g0MzQyMjA このコメントへ返信

●何処の国だって犯罪率の高い外国人は出て行けって言われるのは当たり前

●自浄作用を見せないで、ただただ被害者面するのがおかしいんだよ


170. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 08:27:41 ID:M1ODQzNTI このコメントへ返信

※154
やくざの在日比率の高さはもう周知の事実だよな・・・
昔ながらの任侠やくざなんてのはもういないよ!
モノ考えられる頭持ってれば自分の子供に世間から白い目で見られるやくざなんて
継がせたくない&なってほしくないと思うのが普通だもの
逆に親兄弟に子供のころから日本人憎しで育てられるとどうなるか・・・想像すれば簡単

175. Yuki von Murata 2017年02月06日 08:40:33 ID:gyOTgxOTU このコメントへ返信

ヤクザ組織壊滅の為に、本気でアメリカ合衆国の要請を利用して応えるたらどうかな? 国や金融機関の一部で大変な事になると等の消極的な意見や必要悪論の存在は承知してはいる。が、非社会的な存在は外追放したらいい。(こちらは社会、時代が許すなら殲滅派だからね。 )

或いは壊滅させる為にトランプ大統領がメキシコ合衆国の麻薬組織壊滅の為に米軍派遣をしてもいいと言うように日本国にも派遣してもらうのもいいと思うよ。壊滅できるなら税金をアメリカ合衆国に払ってもいいと思うね。

国際金融がヤクザを壊滅させ、その相続人がいなくなり、その資産を合法的に手に入れたいなら黙認する。

アメリカ合衆国の奥の院が日本国をアメリカ合衆国の盾にするなら、日本社会の健全化が必要だとおもうが? 利害が一致するなら反対しない。

176. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 08:42:43 ID:g5MjM1NjI このコメントへ返信

ヤクザじゃねーだろ
コリアンマフィアだろ


180. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 08:45:50 ID:gxMzE1ODA このコメントへ返信

※129
呉善花(お・そんふぁ)さんとかどう?
この人の書いた『韓国併合への道』は資料をきちんと調べてて面白かった。
あと、中国から帰化した石平(せき・へい)さんとの対談集『もう、この国は捨て置け!』も面白いよ。

182. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 08:51:22 ID:k5MjM3MTg このコメントへ返信

こいつらにとっちゃ、事実の指摘も助言も批判も、全て差別
やり過ぎちゃって
日本人差別をしてることに、おかげで日本人が気づいちゃったけどね

183. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 08:52:01 ID:A5MDkyMDI このコメントへ返信

反日活動は帰化できない犯罪者一族の妬みが原因ということか。

184. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 08:53:57 ID:Y4NzkyMTg このコメントへ返信

※129
「在日朝鮮人から見た韓国の新聞」
ttp://blog.livedoor.jp/kanedashoji70/
   
ここのブログの金田さん好き

188. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 08:59:19 ID:M1NDk4MDY このコメントへ返信

Wiki見るとコイツのプロフィールってデタラメなんだよね
他人の体験談とかを継接ぎしてでっち上げてるんじゃないだろうか
だからこのヤクザ話も眉唾

189. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 09:01:19 ID:Y1MTUxMDQ このコメントへ返信

893は金次第で右翼にも左翼にもなる。
暴対法を超強化しましょう。

190. ハァハァ 2017年02月06日 09:04:41 ID:EzMTAzMTY このコメントへ返信

本人は公安、弟は警察に目を付けられて居るとはいい大人が自分達の発言行動生き方が間違って居ると思わないのか?こういう考え方がおかしい奴は韓国と言う地域に隔離するべき!

191. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 09:06:15 ID:c2NjM2NTI このコメントへ返信

こういう被害者面した奴が表に出過ぎると
●まじめにやってる在日が迷惑するな


193. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 09:10:27 ID:g5MjM1NjI このコメントへ返信

●世間が悪いと言いつつ、世間で最低のクズになる


196. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 09:24:19 ID:czODg5MTY このコメントへ返信

>弟は、日本社会で徹底して疎外され、朝鮮学校でもいじめられ、・・・

>●朝鮮学校でもいじめられ、・・・

ここポイント。

198. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 09:32:41 ID:g1MzQ0ODI このコメントへ返信

韓国は在日と違法帰化人を親日罪で引き取れ

199. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 09:36:55 ID:gwMTYzNTY このコメントへ返信

●在日の不遇な境遇に考えを及ぼせばヤクザになるのも仕方がない、という考え方なのだろうか。
何でも何をやっても許されそうな発想でとても危険だ。


204. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 09:57:33 ID:c3MDkzMTg このコメントへ返信

マスゴミや出版関係が在日批判の本を書かせないのは
こういうチ○ンヤクザが圧力かけてくるから。
●朝鮮進駐軍という戦後の日本の荒らしまくった基地外テロ集団を教科書に載せないのはおかしい


207. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 10:11:18 ID:A3OTc0NTg このコメントへ返信

本文
>そんな彼が生きていけたのは任侠の世界だけだった。
.
● んなことなくない?同胞の企業もあるし、
マスメディアの業界や遊興産業は裏で米が朝鮮人を積極的に引き入れてたんだし。
また被害者面して人のせいにしてるとしか思われんわ。
お金が欲しくて水商売する人の言いわけに似てる。
パートとかで地道に働きたくない、でも易きに流れたと思われたくないみたいな。


211. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 10:19:45 ID:AyMjQzMjY このコメントへ返信

なるほどYMCAがウリスト教というか工作活動のアジトということですね。


213. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 10:21:41 ID:M3NTQ2NzI このコメントへ返信

のりこえって、893のフロント企業なん?

215. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 10:37:50 ID:YwNDI4MDQ このコメントへ返信

*11
生ぬるいからいるんだよ
朝鮮人はキレやすいけど、基本臆病者
何かやらかして、事件起こしてヤバくなるとオロオロするだけ
俺の幼馴染みの中にも在日が何人かいるけど、そんな奴ばっかり

そんな連中が多い朝鮮人に本格的に命をかけて戦えるのは少ないよ

大人しい弱腰国民の日本だから空威張りできるだけ(笑)

216. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 10:45:46 ID:Q4MTg3ODI このコメントへ返信

・日本でまともな方法で就職できないのは日本のせい

・日本でまともな職に就けないのは日本のせい

・在日の犯罪率が高いのは日本のせい

・韓国に帰って差別されるのは日本のせい

・北朝鮮に帰って差別されるのは日本のせい

・南北が分断されているのは日本のせい

・朝鮮人が暴力的なのは日本のせい

・朝鮮人が他人のせいにするのは日本のせい

もうどうしようもねえなこいつら(´・ω・`)


217. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 10:48:20 ID:c3NTQ1MDg このコメントへ返信

バックには当然、弁護士も・・・
辛淑玉サンの代理人弁護士だった【在日コリア弁護士協会(LAZAK)】代表の金竜介弁護士・・・
戸籍名、金原。パントマイム芸人であった故マルセ太郎の息子。帰化には反対だったが、学生だった20歳の時に家族全員で帰化。(ソース:在日新時代迎え、日本国籍取得を提起 | 東洋経済日報2003/11/21 )

【在日コリアン弁護士協会(LAZAK)】
>役員紹介〜代表:金竜介(東京弁護士会)、副代表:姜文江(横浜弁護士会)、韓雅之(大阪弁護士会)
>設立趣意書・・『在日コリアンにおける「法の支配」の実現』

222. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 10:58:33 ID:c2ODM1MTI このコメントへ返信

在日朝鮮人以外がヤクザやると国外追放になるし、正に天職なんだよね。
特別在留許可は罪深いよ…

223. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 11:03:05 ID:E2NTg3MTA このコメントへ返信

在日暴力団の撲滅運動を日本国民に呼びかけよう!

224. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 11:06:28 ID:YxMTEyMjY このコメントへ返信

この人は日本人な対する憎しみしかないように見える

228. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 11:22:01 ID:E1MzEyNzQ このコメントへ返信

福〇瑞穂の秘書は辛淑〇の舎✖?

229. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 11:27:14 ID:Q2NjgzODA このコメントへ返信

弟がヤクザになったのも、日本人の差別のせいってことでしょ?
サヨクって、犯罪者も「社会が悪い」で擁護するし。
こんなのマイナスにはならんでしょ?

弟の入ってる組に「実刑」くらうような犯罪者がいたら別だけど、、、

232. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 11:33:24 ID:U2NzQxODQ このコメントへ返信

●戦後手っ取り早くカネを手に入れるために在日がやったのは駅前土地の占拠、本人行方不明の日本人の戸籍の取得に他人の家に居候から乗っ取って土地権利書を奪う。まさに今で言う893の所業。日本の昔からいた任侠とは違う西欧マフィアとも違う大陸系黒社会的な暴力組織を作り上げた。それがいまの893だし。巻き込まれた的な言い訳してんじゃねえよ

233. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 11:36:32 ID:A0NjYyNjg このコメントへ返信

祖国が早く統一して「帰ってきなさい」って言われるといいね(笑)

239. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 11:57:21 ID:E3Njg0NTI このコメントへ返信

「弟がやくざ」←知ってた。鬼哭啾啾 っていう辛淑玉の自伝本(2003年)に書いてあった。

内容、

●弟が朝鮮学校の修学旅行の時、旅館で酒に酔った教師達(校長含む)にボコボコにされた。
出血多量で気を失ってるのを旅館の人に発見され一命を取り留めた。
頬がパックリ割れ、中の歯が見えてた。
旅館の人に警察へ届けた方がいいよ、と言われたが届け出なかった。
父親が話を付けに学校へ行ったが、しゅんとして帰って来たという。(気の弱い人だった)
それを知った弟は退院してすぐに家を出て暴力団へ・・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
うろ覚えだけど。だいたいあってるはず

●結論、日本の差別は関係ない。
● 朝鮮学校の犯罪と、それに屈した父親の責任。
警察に届けなかったのは、サベツがあるから出来なかったと辛淑玉は責任転嫁。
だから、祖国に帰ればいいじゃないか。祖国なら届け出られるんでしょ?

240. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 11:59:01 ID:M1MzY2MjI このコメントへ返信

サヨク=暴力団
間違いない


241. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 12:00:02 ID:UxOTExMDQ このコメントへ返信

今Redditのフロントページで昨日のAPAデモのスレが沸いています
皆さんも是非日本側の意見を世界に届けてください
ttps://www.reddit.com/r/worldnews/comments/5s9433/about_200_protesters_marched_through_the_streets/

245. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 12:11:02 ID:QxMzc2OTY このコメントへ返信

※221
右翼の正体 でググれ
偽旗作戦
人工芝運動

246. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 12:24:19 ID:g1NDQ3MDU このコメントへ返信

終戦当時から続々893に入ったんだろう。
日本人を○○するなら893が最適ですから。


248. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 12:31:30 ID:c0NTAwNTY このコメントへ返信

※82
だからこそ、知っている世代が逐一反論していく必要がありますね。
正しいソース付きの反論が目に付けば、未来の世代が嘘に引っ掛かる事も無くなっていくでしょう。


251. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 12:35:45 ID:E3Njg0NTI このコメントへ返信

本スレ※
>辛淑玉は過去に自分だけ帰化しようとしたがあるが、その申請は通らなかった。
身内に犯罪者が居たりすると帰化出来ないから、それが原因だったのかね。
〜〜〜〜〜〜
昔は1人で行くと「帰化はご家族と一緒にした方が良いので皆さんで話合ってください。」と、
言われたそうだから、それかも。
第一在日でいる方が得だよね。●在日特権は無いとかいう人いるが、通名だけでも結構な特権。

253. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 12:51:40 ID:Q1OTQ0NTg このコメントへ返信

なるほど、しばき隊とやらの出処もコレで納得

254. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 13:08:45 ID:IwOTkwNDg このコメントへ返信

こんなヤツが 平和がー 人権がー 差別がー とか言ってんだね

255. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 13:10:02 ID:g5MTkzMA= このコメントへ返信

実はずいぶん前から知られてた事だけど
最近の人には新鮮な情報かもね
そういう意味じゃ情報を何度でもしつこいくらい再拡散しておく事って大切だな


258. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 13:35:28 ID:QzNzc3NTg このコメントへ返信

もう破防法適用して、辛淑玉のりこえねっとの資金源を断つべきでは?

264. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 14:18:27 ID:k5NDk5MjA このコメントへ返信

のっとりねっとの構成員を洗えよ

265. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 14:20:27 ID:c2NjMyODQ このコメントへ返信

ワイモバイルはCMでYMCAの曲アレンジするな

269. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 14:29:23 ID:E3NDc2MA= このコメントへ返信

.
{YMCA」だとさ
あいつらほんとこういうの好きだよな

270. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 14:34:50 ID:U3MTc5MDI このコメントへ返信

暴力団構成員の在日は即刻国外追放できると思うんだが何故やらないか?
警察と法務省がズブズブで金が流れてるんだろうな。

271. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 14:37:45 ID:k4ODk0Mjg このコメントへ返信

佐々木希が震災ボランティアでYMCAのユニフォーム着てたよね
ヤバそう

272. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 14:42:30 ID:QwMjUyODg このコメントへ返信

辛玉「日本は日本人の物じゃない在日ヤクザの物ニだ」


273. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 14:45:14 ID:EwMjc4OTQ このコメントへ返信

名古屋の中区千代田の商業地域、近くの中区警察もあるんだけどね、
● ここにあるYMCAは拉致に関与していたと思う。
名古屋から長野、富山、日本海と通り抜けしたんだろうね。


279. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 15:32:26 ID:UxNzY4MDg このコメントへ返信

※1
弟利用して無理難題を押し通して生きてきたんじゃないかね。
被害に遭われた日本人はさぞかし多いのではなかろうか


283. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 16:01:26 ID:cwMTkxODI このコメントへ返信

情報機関や情報戦の基本は地道な公開
情報の積みかさねという格言は本当なんだね。
ちょっと凄いわ


285. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 16:31:10 ID:Y5NTM1OTg このコメントへ返信

辛淑玉のやり口も因縁つけて金を要求する
ヤクザそのものだから弟がヤクザでも驚かない
日本人をうまく騙せれば同情はされるかもしれないが

ネット社会では騙すのは難しいだろうし、、
ましてや尊敬は絶対されないから彼女たちの活動は
在日社会にとってマイナスでしかない

289. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 17:31:20 ID:czNjQ3MTY このコメントへ返信

ピースボートを辻元と一緒に創設した奴も山口組系暴力団組長の身内。
ピースボートがラリラリボートといわれ麻薬やり放題だった理由。
サヨとヤクザは繋がってる。

290. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 17:34:15 ID:UzMjI4NzA このコメントへ返信

やはりというか、ありそうなことだ。やり口、口ぶり、素行、仲間、言葉遣いがヤクザや総会屋と同じだ。今回の件ではメディアでも取り上げられて、味方はいるようだが、当然のことながら普通の日本人の批判や嫌悪感は強い。しかし、これが辛淑玉の目的だろう。名前が売れるし、在日社会や中朝韓から金も集まる。上手くいけば、裏で脅しながら東京新聞やMXから金をむしり取れる。在日枠を更に増やせるかもしれない。差別を梃子にして金を盗み、在日をねじ込んで、その組織を腐らせる。在日チョンが昔からやってきた手法だ。それにしても(略)

297. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 18:03:48 ID:k0NzA3MjA このコメントへ返信

※144
右翼が街宣右翼(在日)に貶められたのと同じで、ヤクザも乗っ取られたってことだ。
戦後すぐの頃ならまだ任侠だったかもしれんが、今はただの暴力集団だ。

298. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 18:22:32 ID:Q0MjU0MjY このコメントへ返信

※70
韓国語講座とか開いてるな。キリスト教団も韓国ウリスト教。香山リカもウリスト教徒。
1970年代のアイドル、西城秀樹も在日朝鮮人。彼が歌っていたのが「YMCA」
「すばらしいYMCAYMCA」歌詞がヤバイwwww
在日朝鮮人、西城秀樹の兄はヤクザ
昔は官報で在日朝鮮人探しができたんだけどね〜
通名廃止、前科者外国人、反日外国人は強制退去が当然。
反社会勢力の在日朝鮮人ヤクザの国外退去はあたりまえのことだよ。

305. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 18:45:04 ID:g4MzQ5Mzg このコメントへ返信

●「移住労働者と連帯する全国ネットワーク」は、西早稲田だよ、もともと。
● 在日韓国YMCAだって西早稲田系だしね。
やっぱりなーっていう感じ。

306. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 19:25:07 ID:Q4MjYxOTA このコメントへ返信

日本国籍に対する帰化をもっと厳しいものに!
手段の為に軽々しく簡単に日本国籍を与えるな


311. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 20:48:42 ID:k5OTUzNjg このコメントへ返信

エセ右翼と同じエセヤクザ
戦後、鮮人と戦ったヤクザと同じにするんじゃないよ!


314. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 21:34:34 ID:A4MDg1NTQ このコメントへ返信

外国籍が政治活動ですか
しかも暴力団員

アカは非合法な屑ばっかりなんですね

319. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 22:26:58 ID:Q0NTk0Mjg このコメントへ返信

漫画と半島人。深い関係があるね。空手バカ一代からかな。主人公の大山が、事実では戦後厚木基地を襲い、半島人娼婦の用心棒をしていたのに、それを塗り替えて空手の名手になっていた。

320. 名無しさん@ほしゅそく 2017年02月06日 22:40:23 ID:M3NjQ4ODA このコメントへ返信

暴力事件を起こした、妹分のリシネも一緒に、日本から消えて欲しいわ


http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/746.html#c67

[政治・選挙・NHK219] やられた側がついに怒りの声を上げた!  赤かぶ
68. 2017年2月07日 03:27:10 : hvDg28qQKs : FIegHVh54rI[5]

在日大韓基督教会

在日本韓国YMCA(アジア青少年センター)
http://kccj.jp/archives/814

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この国は少し変だ!よーめんのブログ

在日本韓国YMCA前
http://youmenipip.exblog.jp/12400169/


●韓国工作員議員白眞勲が参政権の講演会

在日韓国青年会OB全国連絡会(林三鎬会長)は28日16時から、東京・千代田区の在日韓国YMCA会館で時局講演会を開いた。永住外国人の地方参政権法案が国会に上程される見通しのなか、白眞勲参院議員(民主党)を講師に迎え、「地方参政権の今後の動向」について講演会を行った。

(以下略)
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反日はどこからくるの

2014 2月10日

反天連と在日本韓国YMCA
http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/36252122.html

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東京YMCA

アクセス / 問合せ

高田馬場校(山手コミュニティーセンター)
https://tokyo.ymca.or.jp/language/access.html(抜粋)

所在地
〒169-0051
●東京都新宿区西早稲田2-18-12

TEL 03-3202-0321
FAX 03-3202-0329

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国谷裕子の実家名から偶然知った事実・東京YMCA日本語学校は反日韓国の経営
YMCAと韓国YMCAは別モノか?/ 恐怖のキリスト教
http://nifty2-inachan.la.coocan.jp/ymca.htm


http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/746.html#c68

   

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