123. 2017年1月20日 00:59:46 : 4DFvjyxJlk : f_aAuPLIiCM[1]
ソビエトを語る場合
ソビエトを構成した人々が、ボルシェビッキ革命の時点で、ロシアを祖国と定義していたという概念は捨てた方がいい
レーニン自体が、ソビエトの指導者に就任するとき、ロシア人であると偽って就任していない
レーニンは、自身がハンガリー人であることを隠していないし、スターリンも自身がグルジア人であることを隠していないのだ
ソビエトとは、国際労働者兵を統率する結社であって、ロシアがソビエトという政府を構成したわけではなかったので、1920-21年のソビエトポーランド戦争の敗北まで、(革命を輸出する)という戦略に明け暮れ、祖国という概念がソビエトには不在だった
ボルシェビッキ革命とは、ロシアの労働者が、祖国ロシア主権者となり国家経営するために起こされたわけではなく、世界中全ての国家に対し、労働者階級は叛旗を翻してゲリラ活動を展開し、ソビエトがそのゲリラ活動を後援することを目的としているため、革命的祖国敗北主義がボルシェビッキ革命の精神だったなどは完全な後付けだ
おそらく戦後、そういう風説となったレベルだろう
ソビエト自体は、このように祖国という概念が希薄だったが、ソビエトポーランド戦争の敗戦により、コミンテルンが送り込まれた先の国家には、民族の自決と独立を謳い、国粋主義を煽って革命を推進するという方法が取られた
それに倣い、ソビエト自身も国粋主義的な体質に1921年以降、変質してゆくわけだ
後年の独ソ戦の辺りでは、レニングラード死守・スターリングラード死守とか、スラブ民族の自主独立を支援などという、民族をベースとした国粋主義表現が使われるようになって、労働者が使用者と、国家の枠を超えて世界中全ての局面で革命的対峙関係を作るという当初の目的は失われてゆく