27. 2017年10月31日 20:15:16 : ADiW2WIIFc : EsReCmf_M7Y[1]
>22さん
憲法前文にある「専制と隷従、圧迫と偏狭」から解放、奴隷でない自由人の政治体制を
民主体制や民主主義という。 個人の自由があり、相手の自由もあるのが自由の社会。
自由(英語:リバティ)の象徴、フランスのマリアンヌ ↓
https://jp.ambafrance.org/article4045
で、自民党保守はわずか80年に満たない歴史を伝統と呼ぶようである。 「和の伝統」と
し、聖徳太子の「和を以て貴しと為し」を云う。 常識として広められ、マスコミで再生産し
伝統のように覚えてしまう。 webで読めるが、読むこともしないようである。
聖徳太子の17条憲法の出典は、日本書紀の推古天皇、時代背景は崇仏派と排仏派が
抗争(崇仏戦争)し、崇仏派の聖徳太子側が勝利。 官吏(役人)も両派に分かれており、
その中で出された。 憲法の1条と17条、最初と最後は、主要な議論についてとなる。
「一にいう。 和を大切にし、いさかいをせぬようにせよ。 人はそれぞれ仲間があるが、
全くよく悟った者も少ない。それ故君主や父にしたがわず。 また隣人と仲違いしたりする。
けれども上下の者が睦まじく論じ合えば、おのずから道理が通じ合い、どんなことでも
成就するだろう。」
「十七にいう。 物事は独断で行ってはならない。 必ず衆と論じ合うようにせよ。 些細な
ことは必ずしも皆にはからなくてもよいが、大事なことを議する場合には、誤りがあっては
ならない。多くの人々と相談し合えば、道理にかなったことを知り得る。」 (宇治谷孟訳)
穏やかさ(和:やわらぎ)を大切にし、諍いを起こさない。 今は、この聖徳太子の憲法
冒頭の和が、付和雷同の和となっている。 会議の決議と結論の責任を御成敗式目では、
「凡そ評定(=評議会)の間、理非に於ては親疎あるべからず。好悪(=人の好き嫌ひ)
あるべからず。ただ道理の推す所、心中の存知(=考へ)、傍輩を憚らず、権門(=有力
者)を恐れず、詞(ことば)を出すべきなり。 御成敗の事切(ことき=決定した)るの条々、
たとひ道理に違はずと雖も一同の憲法(=正義)なり。誤つて非拠(=不正)に行はると
雖も一同の越度(をちど= 失敗)なり。」 引用元↓
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/goseibaishikimoku.html
江戸時代は「談合」で、これもよく話し合え。 こういうのは洋の東西を問わない。
アーサー王伝説の円卓の騎士(円卓会議)は、上下の序列をつけない意味を持つ。
民主主義の無い時代であっても、みんなで議論せよが、古来からの伝統ですね。
http://www.asyura2.com/17/senkyo234/msg/865.html#c27