4. 2016年12月13日 10:28:12 : FQvrya6SGL : e@jSpnvDV4w[1]
本文>「この自由党は,ご案内のとおり日本で初めての政党,板垣退助によって作られました明治時代の立憲自由党が最初の政党であります・・・日本の憲政史上,非常に価値のあるこの名前を付けることによって・・・ある意味で原点に返り,そしてきちっとその原点から政治とは何ぞやということを考えながら進んでいきたいと思います。
「潮の流れの変化を読むべき」
先祖帰りちゅうが、明治14年(1881)の自由党が135年の時を経て、ついにここに復活した思いじゃな。自由党結成の時代はいつも、国の路線が大きく問われる時、危機的な動揺と混乱の時代を背景とするようだ。明治14年の時も、経済的には、今で言うところの金融緩和・紙幣乱発で行くべきか、金融引き締め・増税路線でいくべきか、政治的には、エゲレス流議院内閣制か、ドイツ(プロシャ)流立憲君主制か、等の基本の路線対立があった。現代も、安倍自公政権が推し進める新自由主義的売国従米隷米の、国民徹底収奪ゲエコク貢グクン路線でええのか、小沢・福嶋・志位等グループ提示の、国民生活本位の安心豊かで誰もが生きがい持てる国づくり目指すべきなのか、つう基本の大きな路線対立がある。自由党がこの危機的時代に、再び蘇ったことは、国民生活本位の国作り目指す国民の闘いに、大援団を送ったことになるし、北辰が輝くようにその闘いの方向を指し示す。12月9日赤かぶ山本・森両議院牛歩サイトに、下記コメ載せたので、再掲載する。
「”自由党が来たぞ!”地獄に仏、鬼に金棒、この声聞いたときは、百人力得た思いであった。明治17年の秩父の衆は、繭価は暴落、金納の税金(地租)は容赦なし、高利貸に田畑取られ、決起以外に道ない状況に追い詰められていた。こうした時、自由党結成の噂は全国に広まっていたが、その自由党がオラホの方にもきた、これは民衆は燃え上がったね。当時、自由党はできたばかりであったが、オルグを全国に派遣し、各地域に自由党支部を立ち上げ、民衆を組織化しつつあった。関東近県では、秩父・群馬・茨城・信州・福島その他で、自由党は組織化され、党への同調が広まった。当時の”自由党”つう呼び名のトーン、響き、新鮮さ,眩しさは、例えれば、現代の日本共産党どこじゃあねえ、遥かに反体制的・革命的な響きあったよ。まあ。共産党が最も近いだろうが。自由党つうんは、社畜や政党畜みてえに、右へ倣えで、言われたように行動する投票する、そらあ相応しくねえよ。自由党つうんは、当初より、行動する、抵抗する、闘う等、それが似合う党なんだ。山本議員、森ゆう議員、壇上で抵抗する姿、自由党の本領を発揮したよ。暮らしも、健康も、国益も、全て追い詰められた国民は、今まさに、闘う自由党を求めているんだ。ここまで舐められ、追い詰められ、黙っちょる手はねえぞ。自由党に賛同するもんは、はせ参じよう」。
http://www.asyura2.com/16/senkyo217/msg/469.html#c4