4. 2018年10月08日 04:18:05 : gIdQT4POiM : e018fIHUxuU[1]
簡単に言えばここでこの話題がいつも出るというのは単にギャップである。「三つ巴」に近い。
世代間の対立のようなものがまずあって、次の世代にはそれを仲裁するハイブリッドが現れる。三位一体とも言える。
例えば「宗教信仰と科学信仰との対立」があるとする。ある段階ではそのふたつは「住み分け」されていたが、近代化の波にのり、片方が一方を浸食して行くようなことが起きて価値観がぶつかる。
例えば「シャーマンが儀式で万病を治していた村」に医薬品が持ち込まれる事で価値観の破壊が起きる。それまで当たり前だった村の暮らしは全否定される様なことにもなる。そこで信者の対立が生まれる。
しかし更にのちの時代になると、西洋医学だけでは理解できないものを補完する技術が村の生活にあったことがわかり、どちらの医術のメカニズムも根本には同じだということが解明されて、全体にその融合した知識の恩恵が更に浸透するというようなことである。これは実際に起きている事である。つまりより上位の発想でものごとを繋ぐ世代が必ずでてくる。
対立に長く生きた人間にはこの事はなかなか理解されにくい。対立の根が深いからである。
だからいままた同じように理解度に差が大きく開く事が起きている。
学力で言えば高度な理解力>中程度の理解力>ほぼ子どもという感じ。「理解度」を大別すれば当然こうなる。われわれはまだ子どもであると理解した方がいい。
学力や理解力というものを一種の防波堤の役割として使ってる人間は、その決壊を防ごうと必死に守ろうとするが、やがてそれを大きく越えて波が来たときには、今回のトランプの登場でも理解できる通り、波にさらわれる人間が多数出てくる。どの段階でも同じことが起きる。
いまだに突然起きたことに対して、何が起きているかまったく把握できずに、不安になってる人間が沢山いる。それは、これまでの生活環境を支持してきただけの人間たちだ。
我々からしたら当たり前の事がただ表に出てきただけの事でも、彼らには受け容れられない。
理解度の差でこうしたことが起きる。しかし、受け入れられず苦しんでいる人が居るからと言って、その情報に悪意が込められているとか、嘘だと云う事にはならない。受けとれる人間はきちんと居るのである。
例えばそうした中に、安倍を応援してれば全て安泰だと理解して、周りの人間を苦しめてきた連中も居る。まさに全体性を見ず、物事の理解の質を下げて、人々を一定の価値観に遵わせていれば、自分たちは安泰だと「考えていた」人間たちだ。
いまでさえ、漫画のようなことが起きつづけている。理解してきたはずの者たちでさえ、現実にそうなったという驚きに満ちている感じではないか?
そもそも、「かつての村の暮らし」が今のどの文明よりも古く、高度な体系によって培われてきたものだなんてことは容易に理解しないだろう?一方の狭量な価値観で何かを封じ込めるなんて事はよした方がいい。持ち込まれた全ての情報は多角的にきちんと精査検討した上でどう扱うか決める。そうした姿勢があればいいだけだ。
http://www.asyura2.com/18/cult19/msg/690.html#c4