3. 2017年2月26日 14:27:15 : CnYOEBymH2 : dqnW8mS3nI4[1]
日本の歴史
空海と景教(工事中)
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/japan/index4.html(一部引用)
(前略)
高野山に真言密教を創建した空海
803年、空海(弘法大師)は最澄と共に入唐し、景教を身につけ、潅頂(頭に潅ぐの意で、 キリスト教の洗礼)を受け、「遍照金剛」という洗礼名を受けました。
「あなたがたの光を人々の前で輝かせ」という、マタイ5:16の漢語聖書からとったものでした。
彼は帰国後、高野山に真言密教を創建します。
空海は新約聖書を持ちかえり、最澄は旧約聖書を持ち帰ったということです。
しかし、二人は喧嘩してしまいます。
最澄は天台宗を創建し、空海は真言宗を作るわけですが、 彼の仏教は釈迦が説いた原始仏教とは似ても似つかぬ教えで、「景教と混合した仏教」でした。
(中略)
「いろは歌」が示す「咎なくて死す」
空海との関係で、興味深いのは、彼の作との俗説があり、一般には、作者不明とされている、「いろは歌」です。
そこにも景教の影響がみられます。
これは七言絶句に並べ、47文字の「かな」を並べ、しかも深い意味のある一つの歌にしているからです。
ここで、一番下の文字を続けて読むと「とがなくてしす」(歌の中で清音と濁音は一つになっている)となることがわかります。 「咎なくて死す」と読めます。
更に、左上、左下、右下の文字を続けて読むと、「イエス」と読めます。
罪がなくて死んだ、の意味です。これらから、「罪なきイエスが十字架上の死を遂げた」という、
景教徒が持っていた信仰と関係があるのであろうといわれてきているのです。