23. 2016年12月08日 23:54:05 : ng6AuOMJps : DjKwPQEQKrg[1]
>>20
ナチス(4分の1)とソ連(自己申告制)にそれぞれユダヤ人の定義があるのでなおさらユダヤ人の定義に左右などないはずですが。
ソ連の4分の1ユダヤ人をどう数えるのかユダヤ人の定義を使って説明してくれませんか。
もともとホロコースト正史に異議を唱えたのはドイツの右翼ではなくポール・ラッシニエというフランスの左翼です。
ラッシニエとガロディとアーノ・メイヤーは左翼とされています。
とくに反シオニストユダヤ人とされる、左翼である、ホロコーストを妄信しないの3つがそろっているアーノ・メイヤーArno Mayerもいます。
ホロコーストにもいえますが死体は何体みつかったのですか?
その証言を批判的に検証した証拠は何ですか?
もし証言だけで正しいと断言できるのならランズマンのショアーにも出ていたヴルバの本と証言のような惨状はまずあり得ないでしょう。
ヴルバは一番肝心であるカス室とされる図面自体でたらめでした。
証言もでたらめです。
ヴルバ証言は、1942年4月から1944年4月までに176万5000人のユダヤ人がガス処刑されたと述べています。
しかし、現時点で、ホロコースト正史は、この時期の数を「わずか」50万人と見積もっています。
さらに、ヴルバは5万人のリトアニア系ユダヤ人がアウシュヴィッツでガス処刑されたと述べていますが、
ホロコースト正史にはこの話はまったく登場してきません。
また、アウシュヴィッツでガス処刑されたフランス系ユダヤ人の数を15万人としていますが、
ホロコースト正史は、75000人ほどが移送され、そのうち、少数のものが登録され、残りはガス処刑されたとしています。
次に、報告に記載されているアウシュヴィッツの図面は虚偽です。
とくに、焼却棟UとVの粗雑なスケッチがそのことを示しています。
ヴルバはそれぞれ4つの開口部をもつ9つの炉を描いていますが、実際には、それぞれ3つの開口部をもつ5つの炉でした。
ヴルバは、二本のレールがガス室と炉室とをつなげていたとしていますが、
実際には、地下の死体安置室(「ガス室」)は、炉室よりも低い位置にあり、エレベーターでつながれていました。
焼却棟WとXが焼却棟UとVと「非常によく似た建物」であったというのは間違っています。まったく形状の異なる建物でした。
1943年初頭に、ビルケナウの最初の焼却棟の完成を記念して、ベルリンからの賓客の前で、クラクフからの8000名のユダヤ人がガス処刑されたと述べていますが、
この事件を確証している資料は一つもありません。
ヴルバは自著『私は許すことができない』の中で、ハインリヒ・ヒムラーが1943年1月、
稼動したばかりの焼却棟Uの「ガス室」のなかで3000名のユダヤ人がガス処刑された(1uあたり13人)事件に立ち会っていた様子を詳しく描写していますが、
実際には、その焼却棟が完成したのは1943年3月ですし、ヒムラーが最後にアウシュヴィッツを訪れたのは1942年7月なのです。
http://www.asyura2.com/16/senkyo217/msg/185.html#c23