420. 中川隆[-6516] koaQ7Jey 2017年9月04日 12:28:17 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
エミシ系官賤民の種類
つまり、散所法師=声聞師=エミシ系官賤民なのであるが、散所法師=声聞師と芸能の関係については、あとで述べることにして、ここで、丹生谷哲一(『検非違使』)の中世非人の分類を参考にして、中世のエミシ系官賤民の種類を示しておきたい。()内は呼称や職業。
A本所関係
検非違使庁・侍所の直接統括下にあった者。
(非人・キヨメ・河原者・エタ・濫僧・細工・河原細工丸・雑芸能者など)
B散所関係
院・摂関家・寺社などの権門(けんもん・官位高く権勢のある家柄)に分与された者。
(非人・キヨメ・細工・散所〈者・法師〉・河原者・エタ・犬神人・声聞師・雑芸能者など)
C坂・宿関係
清水坂(延暦寺)・奈良坂(興福寺)を二つの中心として、統括されていた者。
(坂の者・宿の者・犬神人・声聞師・能楽師・狂言師・雑芸能者など)
Aは、検非違使庁・侍所によって直接統括されていた人々であり、BとCは、権門に分与されたが、身柄は検非違使庁・侍所によって支配されていた人々である。
※次もとばして、近世(安土・桃山時代と江戸時代)へと抜粋、転載し、「部落近世起源説」の誤りまで転載したいとおもいます。
私には大変成果の大きい学習に成っています。
http://ryuchan60.seesaa.net/article/435099192.html
エミシ系官賤民の闘争
以上述べてきたように、非人(キヨメ)・エタ・河原者・宿の者・坂の者・散所者・声聞師・犬神人などは、すべてエミシ系官賤民である。
ふつう、これらの人々は、領主をもたず、あるいは領主から独立していたとされているが、実際は、彼らは、官賤民として国家権力に強く把握されていたのである。
散所(者)が、天皇(法皇)や将軍によって、寺社に寄進されたことや、京都では河原者・散所者などの非人(キヨメ)が初め検非違使庁・後に侍所の管轄下にあったことなどがその証拠である。
そして、畿内以外の諸国に分置された中世のエミシ系官賤民は、職業や居住地などの点で、畿内におけるほど分化しなかったが、彼らもまた、公家政権や武家政権の管轄下に入っていたのである。
多くの学者は、河原者=エタなどの中世被差別民は、古代賤民とは系譜的につながらない、中世社会の落伍者であるとし、室町時代になると、触穢思想が肥大化したことから、とくに河原者=エタに対する賤視が強まったと考えている。
しかし、こうした考えは、日本人単一民族幻想にとらわれているものであり、日高見国と律令国家の激烈な戦争や、奈良・平安時代におけるエミシ系官賤民に対する極度の民族的差別、および古代・中世日本におけるカースト的身分制度について、彼らが全く無知なところから生まれたものである。
日本のカースト的身分制度は八世紀に完成したが、既にこのころから揺らぎ始めていた。律令制による賤民が平安後期ごろまでに解放されたのはその証拠である。
「下剋上」(げこくじょう)の時代といわれる中世後期には、公家の地位が低下し、代わって武士(将軍)の地位が上昇する一方、下人など非エミシ系の隷属民の解放が進んだ。このような動きは、エミシ系官賤民の地位にも影響を及ぼした。
例えば、能・狂言を職業とする者をはじめとし、散所者・坂の者・宿の者・犬神人などに対する賤視の度は、このころやや薄くなり、彼らの中には、個別的には、賤民の身分から解放される者も現れた。中世における触穢思想の肥大化にもかかわらず、エミシ系官賤民の解放が部分的にではあるが進んだのである。だが、エミシ系官賤民の中で、死牛馬の処理権を公認されていた河原者=エタは、その処理権を独占していたために、かえって国家権力に強く把握され、最低身分から解放されることがなかった。
しかし、中世末期の戦国時代(1477〜1573年)には、エミシ系官賤民が解放のために闘った記録がある。この時代には、大名たちの圧政に反抗する農民や都市の住民の一揆が続発した。エミシ系官賤民の中にも、これらの一揆に加わる者がいた。加賀の一向一揆では、エタが多数一揆に加わり、城に立てこもって勇戦したので、「エタ城」の名前を残したところもある。
また、声聞師が、彼らだけで領主と闘ったこともある。原田伴彦(「中世賤民の一考察」『経済学雑誌』31巻3・4号)によると、1527年(大永七)8月には、公家の近衛家と京都の御霊神社の声聞師村との間に耕作田のことで争いが起こったとき、おしよせてくる近衛家の手先に対し、数千人の声聞師の仲間が集まって抵抗しているし、1550年(天文一九)5月には、皇族の伏見宮家が、京都の声聞師村を攻撃するために、2000人の兵力を動員しているという(『言継卿記』)。
そして、このころには、河原者の中に、綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)を装う者まで現れるようになり、河原者に対する服装の規制が緩んでいる(原田伴彦「前掲論文」)。
1573年(天正元)に、将軍足利義昭(よしあき・1537〜1597)が織田信長(1534〜1582)に追放されて、室町幕府がほろび、戦国時代が終わる。そして、近世(安土・桃山時代と江戸時代)が始まるが、現在の被差別部落に関しては、近世に成立したとする説が最も有力である。次の章では、この部落近世起源説がいかに非科学的で、有害なものであるかを説明したいと思う。
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