32. 2016年12月31日 02:03:33 : 8ddqpOSy5A : d0BvAcGrcA8[1]
靖國神社とは招魂社
神社とは異なる
靖國神社、湊川神社、護国神社は招魂社系の結社で、国家神道という「国家」が束ねた思想
有名な明治群像写真(フルベッキの写真)が招魂社の第一号、山口で杮落としとなった明治の新政府を構成した秘密結社の集合写真とされる
グイドフルベッキとはオランダ人でプロテスタントの宣教師
招魂社(靖國)の精神とは、日本式ではなく、プロテスタントに集団転向したチュウトン騎士団(ドイツ騎士団)の精神を色濃く受け継ぐ思想団体だ
日本古来の神道は、庶民が死んで神様になるという、偉い人は神道とは関係なかった
「偉い人」所謂、日本におけるエリートは、菩提を寺に有していて、お寺が祀ることがないものが神社に祀られるものだった
もう一つ、お寺には僧兵があって、そもそもお寺は軍事拠点
お寺と層の関係は、欧州の概念の騎士と同様
武士とは、騎士である僧兵がエスタブリッシュメント化したのち、僧兵の仕事を委託された一段下の階級ということ
その昔は神仏習合といって、お寺の境内に神社は一緒にあった
特に、真言宗と稲荷神社は同一の文化層を形成する概念で、座とか市とかは真言稲荷の神仏習合の賜物
明治の廃仏毀釈政策/廃藩置県政策によって、県において、最大の真言系神仏習合体のうち、一等とされたもんが稲荷神社(お稲荷さん)
その他の神仏習合寺社は真言宗のお寺となった
お墓というのはエスタブリッシュメント層にしかなかったので、神社に祀られる庶民とは、墓を持たなかった