217. 2017年1月31日 08:40:34 : hbz3eIOTvE : cJ@AfxXsHuo[1]
★正しい歴史認識として
★南京事件とは、東京軍事裁判で死刑となった松井石根将軍と、先ず本稿で記載する南京軍事裁判で死刑となった下記4名の死刑の理由が犯罪の全て
★南京事件における南京軍事裁判の認定罪状は、谷に対する122件344人の殺人行為、ならびに43名に及ぶ強姦の見逃し
★他3名は南京に至るまでの残虐行為として処理され、この処刑理由は南京事件と無関係
★この3名は事実を否認、日日新聞社に踊らされ、事実無根であったが、斬ったと記事にされることに舞い上がってしまい、有りもしない事について、さもあったかの様に騙ってしまった事を弁明し、斬ったことは事実ではないが、戦争行為を煽ったとの罪になら服しますと死刑そのものは受け入れており、C級ではなくA級の定義において自分たちは死刑になるべきとの意思を表明している
記
東京裁判がA級戦犯と云われる侵略戦争の計画・実行に関わった政府・軍首脳を裁いたのに対し、BC級戦犯(交戦放棄違反)は、連合国各国が主催した軍事裁判で裁かれた。中国国防部戦犯裁判軍事法廷(南京軍事法廷)は、BC級戦犯の一つとして1946.2月から南京で開かれ(東京裁判に先立つ3ヶ月前)、起訴した戦犯1508名、そのうち4名の日本軍の将校が南京虐殺の責任を問われて死刑の判決を受け、1948.1月までに4名とも南京雨花台で処刑されていった。
処刑された4名とは次の通りである。
○・谷寿夫(ひさお)・元中将・第6師団長
「機密日露戦史」の著者として知られる兵学者。第6師団は南京城南方からの攻撃を受け持ち、城内一番乗りを果たしたが、主に入城後の城内掃討戦における、虐殺・強姦等について責任を問われた。 いわば南京虐殺事件の主犯としてスケープゴートにされ、1947.3.12日死刑判決が下され、4.26日執行される)。947.3.12日死刑判決が下され、後刻執行される
1946.12.31日の起訴状を見ると、谷は1937.12.13日から21日に至る不法殺人122件、被害者数334名、強姦例43名などに対する責任を追及されている。法廷は、400名以上の被害者・目撃者を出して証言させたが、多くは第6師団が城外の雨花台を経て南京城南側の中華門に突入、城内掃蕩戦に入った段階で起きたものとされた。
谷中将自身は、第6師団の関与を否定し、「南近大虐殺は中華門付近においては、絶対に無かりしことを天地神明に誓い断言す」と抗弁している。「被告の聞知するところにては、南京大虐殺は、中島部隊(第16師団)の属せる南京攻略軍の主力方面の出来事」と述べ、「南京大虐殺」の存在自体は認めている(南京事件 秦郁彦 中公新書 p48)。
○・向井敏明・第16師団歩兵第9連隊、元中島部隊所属の小隊長
○・野田毅(元副官)同じく
東京日日新聞の報道による百人斬り競争をした責を問われ、1947.3.18日死刑判決が下され、1948.1.28日執行される
○・田中軍吉・第6師団中隊長、元大尉
「300人も斬った隊長」(皇兵 山中峰太郎編)として知られ、三百人斬りの責を問われた。
「この三戦犯は、特別反証(反証とは、相手方の申し立てた事実又は証拠を反駁するための証拠)提出が許されなかった(1947.12.20)。秦郁彦氏は、「この3人はマスコミの戦時宣伝による不運な犠牲者というべき特異例であろう」と評している。
谷氏の上申書概要「南京大虐殺事件に関係ある、多数の部隊長をまず調査して事件の全貌を明らかにし、ついで真犯人を認定するを正当とするに係わらず、最高指導者及び直下の部隊長と切り離して、被告一人をもって審判の対象と為し、しかもこれを真犯人と認定し論断さるるは、不合理、非合法なり」(「熊本師団戦記」の「南京作戦の真相」、笠原「南京事件P234」)。
南京軍事法廷での谷寿夫に死刑宣告した判決文要旨。「谷寿夫が率いる第六師団は12.13日朝大軍を率いて入城し、中島(第16師団)・牛島(第18師団)・末松(第114師団)などの部隊と南京市各地区に分かれて押し入り、大規模な虐殺を展開し、放火・強姦・略奪を行った。(中略)中華門外の花神廟(かしんびょう)・宝塔橋(ほうとうきょう)・石観音・下関の草けい峡などの箇所を合計すると、捕らえられた中国人の軍人・民間人で日本軍に機関銃で集団射殺され遺体を焼却、証拠を隠滅されたものは、単よう亭など19万人余りに達する。この他、個別の虐殺で遺体を慈善団体が埋葬したものが15万体余る。被害者総数は30万人以上に達する。死体が大地を覆いつくし、悲惨極まりないものであった」(南京事件調査研究会編訳「南京事件資料集2 中国関係資料編」)。
谷寿夫にとって不運だったのは、第16師団長中島今朝吾と第10軍司令官柳川平助が敗戦後すぐに他界し、上海派遣軍司令官朝香宮鳩彦王は皇族ゆえに免訴されたことによって、南京攻略戦に参加した師団長の中で谷だけが逮捕され、死刑判決を受けることになった。「谷寿夫のいうように南京事件の全貌を解明し、真の責任者を本格的に究明しようとすれば、もっと上級指揮官、さらには軍中央と政府そして天皇にまでもその追及は及んだはずである」(笠原「南京事件234P」)。
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