6. taked4700[7003] dGFrZWQ0NzAw 2018年4月23日 18:12:46 : 48mWdRc1bk : cFFwM7FRlaU[1]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9E%E8%A6%B3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)
貞観(じょうがん)は、日本の元号の一つ。天安の後、元慶の前。859年から877年までの期間を指す。この時代の天皇は清和天皇、陽成天皇。
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ということで、たったの18年間しかありません。869年の貞観地震以降は8年間しか貞観時代ではなかったのです。
なぜ、こんなに短い期間で元号が変わったかというと、天災が続いたからでした。しかし、当然のことながら元号を変えたからと言って天災は収まらず、改元した年である878年には関東の大地震(相模・武蔵地震)が起こり、その後887年には南海トラフ地震である仁和地震が起こりました。
ところで、開聞岳ですが、
http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/508.html
過去1万年間の噴火活動
開聞岳は、約4,400年前(奥野, 2002)に噴火を始めた。初期の活動は、浅海域での水蒸気マグマ噴火であった。 溶岩を流出する噴火を繰り返し、約2,500年前には現在とほぼ同じ規模の山体が完成していたものと推定されている。 約2,000年前と1,500年前の活動では噴出量が多く、成層火山体の形成に大きく寄与した。 その後、歴史時代の874年及び885年の噴火で山頂付近の地形が大きく変化し、噴火末期に火口内に溶岩ドームが形成された。 また、開聞岳南方沖海底には、開聞岳付近を発生源とする岩屑なだれ堆積物の地形がみられる。 側端崖、先端崖、流れ山の地形が明瞭であるが、発生源の崩壊地形は成層火山に覆われて全く見えない。
開聞岳 有史以降の火山活動
http://www.data.jma.go.jp/svd/vois/data/fukuoka/507_Kaimondake/507_history.html
▲874(貞観16)年 大規模:マグマ噴火、(泥流) 3月25日。火砕物降下、火砕流、泥流。爆発音、降灰砂。噴火場所は開聞岳山頂。
マグマ噴出量は0.109 DREkm3。(VEI4)
▲885(仁和元)年 大規模:マグマ噴火、マグマ水蒸気噴火、水蒸気噴火 仁和噴火:8月25日、9月23-24日。火砕物降下、火砕流、溶岩流、溶岩ドーム。降砂石。噴火場所は開聞岳山頂、西山腹。
マグマ噴出量は0.136 DREkm3。(VEI4)
1967(昭和42)年 地震 8月5〜8日。指宿(いぶすき)地域で有感となる群発地震が発生。
2000(平成12)年 噴気 12月12日〜12月下旬。山頂の東側2ヶ所と西側2ヶ所の岩穴から噴気が上がる。12月13日には、噴気は薄い白色、無臭で、噴気の高さは最も高いところで3m、噴気温度は14℃。 12月21日には白色・無臭の噴気が2〜3m上がり、噴気温度は12℃、SO2とH2Sは検出されず、CO2は0.03%。火山活動の活発化と関連は無いと考えられる。
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噴火としては
▲874(貞観16)年 大規模:マグマ噴火、(泥流)
▲885(仁和元)年 大規模:
だけであり、多分、この2000年間程度で、目立った噴火はこの2回のみ。
この2000年間で南海トラフ大地震は10回は起こっているとされていて、南海トラフ大地震が起こっても、そう簡単には開聞岳は噴火に至りません。
また、そもそも、869年貞観地震前は太平洋プレートがどんどんと日本あたりで沈み込んでいたということであり、その頃、フィリピン海プレートは今よりもずっと活発に沈み込んでいて、開聞岳の地下でマグマを発生させていたはずなのです。ところが、貞観地震以降は太平洋プレートの日本付近での沈み込みが数分の1程度までは減少したため、開聞岳の地下で沈み込むフィリピン海プレートもあまりない状態が続いてきたのです。そのため、開聞岳の地下ではあまりマグマが溜まっていないはずであり、そのことを考えると、今後数十年どころか、数百年はある程度以上の噴火が起こる可能性はないと言えると思います。
http://www.asyura2.com/17/jisin22/msg/508.html#c6