16. 2019年1月23日 07:37:12 : dMqukjsSAo : bvJ2RzcLIuE[1]
FAKE NEWS が世界を滅ぼす。。。【 THE FAKE OF NANKING 】
こんな昔の貴重な映像を、いとも簡単に見られるとは…。
年代物の映像ですが、当時の日本軍の規律の良さが今でもちゃんと伝わってきます。
その場にいない者が、映像だけ見てどうのこうの言えないかもしれませんが、
この南京入城の映像は『 百聞は一見に如かず 』で、それが真実の答えだと感じます。
(180近くもあるコメントの中から、読んで気になったものを下記に転載します。)
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これが真実、南京入城だ! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Z3L3eVE1kQA&index=12&list=PL3CC52318C68F6610
〜映画中の先輩方からのメッセージ〜
我々の同朋が一つになって 闘った数々の光輝ある 歴史の中でも
南京入城は 燦然たる一頁として 世界の歴史に残るだらう
その日の記録として この映画を我々の子孫に 贈る
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日本の「三光」は、「日・月・星」の三つの光。
それぞれ、日:昼を創り出し命を育む光、月:夜を照らす光、星:道しるべとなる光。
更に、或る渡り鳥の鳴き声が「ヒ・ツキツキ・ホーシ」のように聞える為、
「三光鳥〔サンコウチョウ〕」という名を付け、高貴な鳥とされている。
大日本帝国軍の戦時の合言葉「皇軍の威光を汚さぬように」。
天皇の軍隊が強調されがちだが、要は「出来る限り民間人に被害を及ぼさない」
「軍事活動は軍規を遵守」「人道に則った言動」等の事。
「情は人の為ならず」、解り易く「天皇の為」と掲げてるけど、
結局は自らの住む国・家族・好きな人達・子孫達の為なわけです。
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え、これマジかよ?!天地がひっくり返った。
そういえば、戦後アメリカ軍が、パラオで「パラオ人虐殺」を広めようとしたのは知ってる?
パラオは小さな島国で、そんなことがあればすぐ分かる。
んで、村長や村人が「それは嘘だ」と抗議したため「パラオ人虐殺」は広まらなかった。
問題は、なんでアメリカ軍は嘘を広めようと思ったのか。 そこが重要。
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For Japanese, history is history.
For Chinese, history is propaganda.
For Korean, history is fantasy.
This words came from historian of the UCLA
when he compared history textbook of each countries.
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日本人は虐殺などしない。一般人が犠牲になったとしたら、その責任の大部分はシナ人による便衣兵の積だ。
当時の日本は世界一の識字率だった、つまり教育が行き届いていた。
人間だ、中には野蛮な愚か者もいただろうが、ごく少数であるし裁き正すシステムも確立されていた。
事実南京市民は日の丸を掲げ帝国軍を歓迎していた写真も残っている。
中国共産党率いる毛沢東は南京大虐殺について、一切何も語ってはいない。
彼はこの事件が起きたとされる6ヶ月後、Protracted Warという書物の中でこう語っている。
『日本軍は中国軍を追い詰めてからのツメがあまい』と。
もし30万人という中国人が殺された南京大虐殺がほんとうに起きたのなら、これは黙っていたはずがないだろう。
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南京大虐殺は実際には何も起きていません。
当時陥落前から南京にいて記事を配信していた取材陣は、AP通信、ロイター通信、パラマウント・ニュース、
ニューヨークタイムズ、シカゴ・デイリー・ニュースの各記者もいたが、南京城で「大虐殺」を行った、
と記事にしたものはいない。 また南京城内には「朝日新聞」一社だけで約80名、「毎日新聞」で約70名、
またNHKや「読売新聞」、その他地方紙の記者までいれるとおびただしい数の取材陣が入場していた。
電柱一本でも倒れたら気づくほどの監視体制の中、民間人が一人でも虐殺されていたら、ニュースになるほどの
水も漏らさぬほどの報道体制でした。当時の記事や写真も残っています。 中国は東京裁判に乗っ取って歴史をねつ造し、
日本を脅して尖閣、沖縄をうばうことが目的です、奴らにとって歴史の真偽はどうでもいいのです。
ちなみに東京裁判に虐殺の証拠として提出された埋葬記録は「一般市民」でなく味方含めた「戦死者」の数であり
15万5332体とのことですが、のちの調査で、その数自体もインチキであったことが、判明されている。
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この問題には多くの宣教師がかかわっており、彼らは布教の便宜と引き換えに、国民党の広報担当として働いている。
いわゆる安全区には宣教師がかくまった国民党兵がいたが、彼らが安全区の中で強奪と強姦を繰り返し、
それらを含む事件の報告は無条件に日本軍の仕業として、欧米に打電されていた。
軍服の色が同じなので、日本軍を装っていたが、軍を識別する襟章がなく、日本軍の多くは名札まで縫いつけていたが、
事件を起こした部隊の所属などが分からないのは不自然すぎる。
日本人の名前は漢字だから、目撃した中国人にはすぐわかるだろうし、長年中国に住む宣教師も知っていて当然だ。
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近所のお米屋さんのお爺さんがこの時ここにいたそうです。
戦闘もあったそうですが、ほとんどゲリラ相手で南京でまともな軍と戦った記憶があまり無いそうです。
で、その人曰く「大量虐殺?そんな事をわざわざする理由がない。意味もないしする気もない。
第一そんな事する余裕がどこにあったと言うんだ。」
フレンドリーに接してくる市民に混じっていきなり襲ってくるゲリラがとにかく恐ろしかったそうです。
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便衣兵などを射殺する際に一般市民を巻き込んでしまった部分はありますが,
それを大虐殺みたいに中国人が言い始めたのです。しかも上層部数人だけが・・・
当時の南京市民たちは大虐殺などは聞いたこともないと言っています。
むしろあるわけないと否定する人もいましたが、プロパガンダが広まってから
各地で言われ始めたんですよ。
実際東京裁判でも証拠不十分でしたから、なんせ南京市民自体知らないことの証拠を探したんですから。
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便衣兵(=現在のいうところのゲリラ)は正規の軍隊でなく、彼らが戦闘に参加することは当時も
(そして今も)国際戦時法違反です。
当時の海外メディア在南京記者によると、国民党軍は南京退却以前に日本軍の攻撃対象と成ることを恐れ、
自ら軍服を脱ぎ民間人から衣服を強奪し、南京から退却するか若しくは南京内に潜伏をしたいう記録があります。
もし、便衣兵への攻撃があったとすれば、それは国民党軍であった蓋然性が高く、またこの攻撃については
一切避難される事由は無いです。
『東京裁判 幻の弁護側資料』 2011/08/10 発行 小堀桂一郎編 は必読です。
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若貴対決に揺れた1996年、南京大虐殺記念館が開館したと言うので見学を兼ねて支那大陸を旅してきました。
上海 蘇州と汽車に乗り、なぜか一番安らぎを感じた南京の街。駅前の食堂、タクシーの中 ホテルのロビー
玄武公園 などでの人々との触れ合いの中で、日本人に対する憎しみは微塵も感じなかった。
大虐殺記念館の入り口には人骨が数体 無造作に展示してあり、向井少尉、野田少尉の写真もありました。
変わったとこではあの『土井たか子』が当時、虐殺記念館開館を祝う為に、社会党の党員数人と野宿をしながら、
上海から南京まで自転車で辿り着いたという支那の新聞記事を展示してあった事が一番忘れられない。
南京大虐殺記念館は日本のODAで建設されたというは当代随一のブラックジョークである。
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「南京大虐殺」の映画やドキュメント、アイリスチャンの多くの動画サイトがアップロードされてます。
それを見た外国人の人たちがこの30万人大虐殺を全てそのままうのみにしてしまい、多くの人たちが信じて
日本を誤解してます。「日本人はひどい民族だから原爆2つ投下じゃ足りない位だ」との意見もたくさんあります。
最近の中国人は英語が堪能だし、世界中の欧米系中国人は世界中にチャイナタウンを作って住み着いておりますので、
たくさん誇張歪曲した歴史観のコメを書いてます。
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私の父は、太平洋戦争中は満州国大連市にいたが、敗戦後帰国した。
当時の話をよく聞かされたが、日本軍=関東軍は満州国をよく平定し、平安の中で経済発展を遂げ、
鉄道、建物、港湾等さまざまな社会資本を残してきた。
また、日本人と満州人はとても仲が良く、血生臭い事件など無かった。
逆に、中国人の娘さんとも淡い恋心を持っていたようだ。
帰国後も、大連は故郷だと言い、国交回復後大連に旅行している。
その父が言っていたが、当時の日本軍は規律が厳しく、教育も受けていて、統制が取れており、
違法行為を犯せば憲兵隊に厳しく処断されていた。
対敵戦闘行為の時は、当然戦うが、平時に一般人に銃口を向けることはない。
当然、犯罪者や何らかの理由のある場合には処刑することもあったが、理無くして虐殺を行なく事はなかった。
南京大虐殺があったとは到底信じられないということでした。
戦後数十年経過してから、突然のように南京大虐殺というキャンペーンが始まり、毎年毎年その数字が増えていく。
父は、そういう中国の変化に非常に驚き、また悲しんでいました。
でも、父は最期まで望郷の念を持ち続けていた。
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「南京事件」の探究―その実像をもとめて (文春新書)北村 稔 (著)
この本を読んで、南京大虐殺は、ねつ造だと確信しました。
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南京市内では今でも土を掘り起こすと、19世紀に起きた太平天国の乱で曽国藩軍に虐殺された
太平軍兵士の遺骨とか、蒋介石が北伐で南京を占領した際、国民党軍によって殺された一般市民の
人骨やらが大量に見つかるって言うよね。
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John Rabeは 極東裁判で「日本兵が中国市民を1名撃ち殺したのを見た」とだけ証言した。
極東裁判で取り上げられた 南京事件の第一次証言はこの一つだけであることに注視していただきたい。
(他に殺しているのを見たという証言は無い)
さらにJohn Rabeは死に間際、「私は何も見ていなかった」と言っている。
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日本軍の軍規の厳しさといったら、それはそれは厳しいものだったと、海軍兵学校を卒業した軍人だった父は言っていました。
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The movie "THE FAKE OF NANKING - 1" is removed.