7. 2018年10月25日 05:59:20 : j30z5oPKPw : bt8huZpth2s[1]
いわゆるオリンピック・ボランティアは84年のロサンゼルス・オリンピックから始まった記憶があるが、組織委員会の思惑通りにボランティアが集まったのは基本的に豊かであり、ひとびとの間に余裕のあった国か、国が発展途上にあってオリンピックに燃えていた国か、初めてのオリンピック開催で大会を歓迎する空気のあった国。
東京はいま、“豊かな国”の都会ではないんですよ。みんな余裕がない。だから、オリンピックを歓迎する空気もない。
オリンピック自体、肥大化してしまって何とかクライミングとかテコンドーとか、わけの分からない競技もオリンピックで実施されることになってしまって、熱中症になるかもしれない猛暑の中、“張りぼて大会”の手伝いなんか(担当としてどこに回されるか分からないわけだし…)やってやれるか…の気分にもなっている。
http://www.asyura2.com/18/senkyo252/msg/674.html#c7