35. 2018年4月09日 09:45:34 : ybKcpq4tk6 : Blr@RxqrBuA[1]
>24さん
江戸時代は女性も子供も相撲観戦は許されていない。 観戦が許されるようになったのは
「江戸娯楽誌 (興津要著)」によると明治5年11月24日、東京日日新聞記事『府下(東京)
相撲は、従来、勧進の故を以て、婦女の覧観を許さざりしが、当暮場所、第二日目昨二十三
日より、婦女の見物を随意とせりと。 実に方今自主自由の権を賜ふの際、角力に限りて、
婦女を禁ずるの理非ざる筈、もっとも至当の事と云はん・・・」と記述されている。
東京日日新聞は、民権派と呼ばれる編集者の新聞で、今回の話題のようになるんでしょうね。
で、江戸の興行相撲の源流は、寛永元年(1624年)四谷塩町笹寺境内での晴天6日の
勧進相撲といわれる(この説は異論があるとのこと) 現在に続く原型とされるのは貞永元年
(1864年)寺社奉行に願い出て許可され(番付表の蒙御免)、春冬の2回深川八幡境内での
勧進相撲とされている。 相撲興行が晴天10日に定着したのが、天明元年(1781年)11月
の回向院からで、年4場所(春冬は江戸で、夏は京都、秋は大坂)。 明治42年(1909年)
両国国技館の完成で常設場所となる。 寺社奉行所差配は、宗教宗派の法律で宗教性が
無いとは言い切れないない。(幕府は吉田神道を公認、深川・富岡八幡宮での興行など
力士の作法に影響していると思われる) しかし、当時は土俵に上がる前の観戦、観客と
して入場もできなかった。 理由は、安全上からの女性子供の保護だと思える。 力士は
「江戸の三男」に入る人気者。 圧倒的に男性の多い江戸、「火事と喧嘩は江戸の華」と
伝わるように、娯楽であっても観客が熱狂すると騒動が起きる。 サッカーでも、熱狂する
国では、危ないから女性や子供は観戦させない、相撲もこのような感じだと考えられる。
騒動が起きるとどうなるのか? 寺社境内の寺社領は寺社奉行所の管轄。 町人が境内で
事故事件を起こすと寺社奉行所。 町人地で僧侶の事故事件は町奉行所が扱う。 其々、
僧侶は寺社奉行所、町人は町奉行所に引き渡され其々の法で裁かれる。 更に、力士を
大名が抱えて観戦する。 武士は武家法で法律が違う。 こういう中で、安全を考えれば
女性や子供の観戦を寺社・町奉行所の禁止はありえる、これが当時の世間社会の世相。
宗教性は、「勧進の故」の勧進。 神仏習合の時代で、回向院(浄土宗)の土俵は神事と
してもおかしくないが、僧侶は戒律で女性に接触できない。 女性客が倒れると今回と
逆に、僧侶が手当てできない。 戒律を破ると刑罰を受けることとなる。 女性の観戦が
認められた明治5年「自今僧侶肉食妻帯蓄髪等可為勝手事」の布告が出ている。 勝手事
で政府許可でも無いが、幕府時代の法を守らなくてもよくなり、僧侶の女人禁制が解かれ
僧侶が女性と暮らしても政権の刑罰を受けることがなくなった。 戒律の女犯戒(隠し妻や
買春)を寺社奉行所に摘発されると刑を執行される。(女犯や純信wiki参照)
力士や相撲協会は「土俵」を神聖としていたが、女性看護師はトッサにそのような考えが
なかった(救助優先)。 茶化す訳ではないですが、放送禁止歌の「悲惨な戦い」(なぎら
けんいち)の状況を思い浮かべますね。 何にしても、江戸時代から続く庶民の娯楽と
云えるのでしょう。 ただ、明治の西洋文明受け入れの文明開化で規制されなかったのは
庶民の娯楽もあるが、討幕に力士が協力した功績も考えられる。 そして、子供にも手軽な
遊びとして、神道の神事と教えるようになったのかもしれない。 江戸の庶民法での差別は
牢人(浪人)とキリシタン、力士は社会身分としては最下層。 無宿者(寺に戸籍がない)も
いたと思われる。 大名や興行主、年寄に抱えられた(保証人)者はその地で生活できた。
年寄株(年寄wiki)にあるように力士の集団化組織化が行われた。 伝統美や形式美も
興行にかかせない。 今はNHK、当時は瓦版や浮世絵。 制限時間はTV放映できまる
その当時は立ち合いまでが延々と続き、観衆のボルテージが上がるも今と同じ。
で、討幕の関連は、壬生浪士組(新選組 佐幕)局長芹沢鴨の大坂での力士殺傷事件。
長州で高杉晋作の功山寺決起での伊藤博文が率いた力士隊。 明治2年「戊辰之歳賊徒
掃攘之砌京都在住之力士共諸道出張之段奇特之至ニ付」として角力場を下賜。 京阪の
力士が、討幕派についたような事件や協力した歴史があり、明治政権に寄与したことから
神事をエクスキューズとして、文明開化を逃れた。 興行主や年寄は資金もあり、政権に
提供したとも考えられる。 なんにしても。神事の伝統と騒ぐこともないと思いますけどね。
吉凶占いや奉納など地方では神事とされる相撲もあるが、大相撲はこれと同じ!?
江戸も現代もマスコミの宣伝を使い常識化していく。「女人禁制の伝統」論にあるように、
明治からの後付けを宣伝したんだと思いますね。
http://www.asyura2.com/18/senkyo242/msg/655.html#c35