23. 2019年2月06日 10:44:01 : Ia52uWgFKA : BLbeVe0CKkg[1]
元号で困るのは、なんと言っても西暦と違って「細切れ」だということ。昭和が平成に替わった時も、人の年齢とか、昭和時代の出来事から何年経つのかとかが、わかりにくくなって困った。大正や明治にまたがる場合は尚更だ。
せめて一月一日からの変更なら、わかりやすいのだが、年の途中で変わってしまうから余計わかりにくい。
だからなのか、昭和ヒトケタ生まれの人までは覚えているはずだが、戦前は「紀元節」とかいって神武天皇が即位したとされる年を元年とする「皇紀」という数え方も作られた。「紀元は二千六百年〜♪」とかって歌まで作られて小学生は歌わせられたらしい。
日本独自の年号ということもあるが、AC(After Christ)の西暦より長いというのも誇りだったらしく、国家神道的にも面目躍如といったところであったようだ。
なんで二千六百年かというと、古事記や日本書紀に記された歴代天皇、いわゆる「神話時代」も含めた天皇の治世をすべて換算するとそうなるという。(ただし神話時代に関してはその治世の年数がはっきりわかるように書いてある天皇は稀らしいので、その辺は「推測で補った」とか)
しかし二千六百年前(プラス七十何年前)と言えば、考古学的には縄文後期。現在に続く天皇家が存在していたはずがない。
だから今更、そんな数え方を採用したら世界の笑い物になってしまうだろう。そのせいなのか、今のところ、皇紀の復活に関してはさすがの日本会議も提唱していないようだね。