★阿修羅♪ > BJoalU21S_M > 100000
 
g検索 BJoalU21S_M  
 
BJoalU21S_M コメント履歴 No: 100000
http://www.asyura2.com/acas/b/bj/bjo/BJoalU21S_M/100000.html
[政治・選挙・NHK219] アパグループ元谷外志雄代表  / 「中国のみなさ〜ん、誤解です(でも、何が?)」  赤かぶ
36. 2017年1月26日 16:47:44 : mDr0T5snzg : BJoalU21S_M[1]
>21

>毛沢東は1938年1月週刊誌「群衆」で
 「南京大虐殺は人類に対する犯罪」と述べている

とんでもない大噓。

よくもこんな大噓を平気でつけるもんだ。

「群衆」は共産党の機関紙の記事であって、毛沢東の発言ではない。

こういう大噓を平気でつけるのが反日左翼だ。

これだから在日(中川隆)は困る。

ちなみに毛沢東がなんと言ってるか教えてやるよ。

毛沢東の総括によれば、

@南京の日本軍は支那兵を殲滅しなかった。
Aそのため、支那軍は助かった。
B逃げ延びた支那軍は再び勢力を再結集して、日本軍に反撃することができた。
C支那軍に反撃の機会を与えたのは、そもそも日本軍が支那兵を殲滅しなかったことに起因する。
Dだから(毛沢東から見ると)日本軍の戦略はまずかった。

と言うのである。

要するに、袋の鼠となった城内の支那兵を日本軍は皆殺しにしなかった―と毛沢東は演説したのである。毛沢東もまた、日本軍戦時国際法違反(南京虐殺)を指摘できなかったことに注意する必要がある。


つまり毛沢東は明白に南京大虐殺を否定しているのである。


http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/618.html#c36

[政治・選挙・NHK219] 中国、アパホテルのボイコット指示 南京大虐殺の否定本巡り 謝罪すべきでない3つの理由 国主導で営業妨害」韓国もイチャモン 軽毛
10. 2017年1月26日 18:14:06 : mDr0T5snzg : BJoalU21S_M[2]


>実はこの企画展で大きなスペースを裂かれたのは、「欧米人の証言」なのだ。記 憶遺産に登録されたという16ミリフィルム映像を撮影した米国人宣教師ジョン・ マギーや、同じく「虐殺」の証言をおこなった米国人教授マイナー・ベイツ、  シーメンス社南京支社長だったドイツ人ジョン・ラーベなどにスポットが当たっ ているのだ。

腹抱えて笑った。

>「欧米人の証言」なのだ

何がなのだだ!

この三人の証言者がどんな輩か教えてやろう。


アメリカ聖公会の牧師ジョン・マギーは、8ミリフィルムに残していました。そのフィルムは、のちに日本の残虐性を表すものとして、虐殺肯定派の間でよく使われました。
 しかし、実際にその映画を見ても、明らかに虐殺されたとわかる死体は一つも映っていません。字幕は「日本軍の暴行」等とつけられているものの、日本兵が捕虜を処刑しているシーンも、何千もの死体シーンもなく、映っているのは、ほとんどが生きている人々ばかりです。
 またマギーは東京裁判で、「あちこちで殺人が行なわれていた」と証言したものの、「あなた自身が目撃したものはありますか」と聞かれて、「一つだけあります」と答えました。しかし、それは日本兵が、民間人に化けた中国兵の掃討作戦をしているとき、不審な中国人をみて身元を尋ねると急に逃げ出したので、撃ったというものでした。これは合法的なものです。彼は非合法の殺人を一件も見ていません。つまりマギーは、30万人虐殺も、4万〜5万人虐殺も見ていないのです。


マイナー・ベイツは、南京国際委員会においてリーダー的存在となっていました。彼は、東京裁判における主要な証言者です。「日本の残虐」を世界に広めた中心的人物といっていいでしょう。ベイツは、戦後の東京裁判で、
 「日本軍侵入後、何日ものあいた私の家の近所の路で、射殺された民間人の屍体がゴロゴロして居りました」
 と証言しています。ところが、これらは真っ赤なウソでした。
 なぜなら、「東京日日新聞」の若梅、村上両特派員は、占領2日後の12月15日、大学の舎宅にベイツ教授を訪れ、インタビューを行なっています。その時ベイツ教授は、上機嫌で2人を迎え、「秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れたのは何よりです」といって両記者に握手しています(東京日日新聞 昭和12(1937)年12月26日)
ベイツは、じつは蒋介石率いる中国国民党の顧問でした。国民党の戦略は何だったか。それは、たとえ虚偽を用いてでも「中国の悲惨」と「日本軍の残虐」を世界に訴え、アメリカを味方につけて日中戦争に巻き込み、アメリカが日本を叩きつぶしてくれるようにすることでした。そのため、ベイツはこの国民党の戦略に沿って、日本軍の残虐行為という政治的謀略宣伝を世界に発信したのです

ラーベはドイツ人ですが、当時のドイツは、蒋介石率いる中国国民党と結びつきが強く、党に顧問を派遣していました。当時(1937年)はまだ、日独伊三国同盟の締結前であり、ドイツは中国国民党と深い関係にあったのです。ラーベ自身、国民党の顧問でした。
 ラーベは、ドイツ・ジーメンス社の南京支局長でもあり、ドイツが国民党に売った高射砲、その他の武器取引で莫大な利益を得ていました。ラーベは武器商人なのです。そのためラーベは、当時、ドイツが国民党との取引をやめて日本に接近することを恐れていました。彼の収入源が断たれるからです。こうしたラーベにとって、日本の悪口だけを言うことはごく自然な成り行きだったのです。



http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/662.html#c10

   

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > BJoalU21S_M > 100000  g検索 BJoalU21S_M

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。