10. 2019年1月14日 21:07:57 : qf3KMFCxjE : bGU4_mm8Q_k[1]
明るい日本にするために大事なのは、再チャレンジの精神だ。
だからこういう標語を掲げるとよい。
「失敗したら、はげます」
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/825.html#c10
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だからこういう標語を掲げるとよい。
「失敗したら、はげます」
http://www.asyura2.com/18/senkyo255/msg/825.html#c10
本来、自由経済における「強者」とは「安くて質の良いものを大量に供給する」者であるはずだ。
ところが昨今の「強者」はそうではない。日本が購入をするF-35はトランプが「絶望的」と評するほど高コスト・低性能であるし、オスプレイも陸自が一度要らないと言ったものを高い事故率への不安を払拭するため政治決断で購入されることになった。どちらも「安くて良い物を売る者が強者である」とするなら、完全な「弱者」であろう。またアメリカはTPPが自由貿易協定であると言いながら、日本に軽自動車の規格を廃止するよう求めてきた。ドイツ車もフランス車も売れている日本でアメ車が売れないのは、単に日本にとって魅力的な商品を作っていないからである。現行ルールでは勝てないからといってルールの方を変えようとすることが「強者」の振る舞いであるはずがない。農産物も、欧米の農産物が補助金漬けであることはつとに知られている。補助金つきの農産物が補助金なしの農産物を駆逐するのは、神の見えざる手による淘汰とは最も遠いところにある。
高くて質の悪いものを無理に買わせるのも、勝てるようにルールを変更することも、補助金をつけて価格競争に臨むのも、全てそのまま市場で戦っては勝てない「弱者」の振る舞いである。「弱者」なのに勝てるのは、政治の力で市場をゆがめているからだ。新自由主義の勝者は市場における「強者」ではない。
とはいえ、確かに食われる「弱者」もいる。年金を奪われる老人。医療費をふっかけられる病人。飢えて省みられない子供。低所得の回転ドアから出られない労働者。教育コストを際限なく上げられる学生。貧困ビジネスの養分にされる貧困層。要するに、本来政治が守るべき「弱者」が棄民政策によって切り捨てられ、食い物にされている。
政治を味方につけた者は「弱者」であっても勝ち、そうでない「弱者」は生贄として供される。
これを何と呼ぶべきか。
縁故資本主義?
八百長資本主義?
政商主義?
弱肉政食?
新自由主義の害悪とは、ただひたすら「政治」の貧困にある。
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/220.html#c24
ポーランドの会社では「材料費が千ドル、工賃が千ドル、利益が千ドル」と説明された。
日本の会社では「材料費が二千ドル、工賃が二千ドル、利益が二千ドル」と説明された。
イスラエルの会社で図面を見せてもらうと、それはポーランドのものとそっくりだった。アメリカの社員が「どうしてこれは九千ドルもするんですか?」と聞くと、答えはこうだった。
「あたしの取り分が三千ドル、あんたの取り分が三千ドル、ポーランドの阿呆に三千ドルですよ」
http://www.asyura2.com/19/senkyo256/msg/220.html#c28