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BeysKTMvgV4 コメント履歴 No: 100000
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[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
28. 私は普通の人です[1] joSCzZWBksqCzJBsgsWCtw 2017年7月12日 22:19:03 : W64jYYOSeo : BeysKTMvgV4[1]
悟りを得るには煩悩を捨て〜みたいに言われていますが実際は違います。
なぜなら煩悩を捨てるという事自体が既に欲だからです。
加えて悟りを得ようとすること事態も欲です。得られるはずもありません。

悟りは得るものではなく、自然と身につくものです。
ではどうすれば身につくのか。簡単です。簡単ですが難しくもあります。

まず、自身が存在しない体で全てを見ます。そうすれば、そこに自身は居ないので自身の欲がない状態で全てを見ることが出来、何かに肩入れすることなく本当の意味での客観的な見方ができます。その状態で全ての問題を見ればどうすれば良いかが見えてきます。

ただし、その時点でのその人の価値観や、何に重きを置いているかなどが完全に影響しないようにしなければ、真に問題を解決することはできません。

そして自分が居ない状態で考え、しかし自分はそこに居る状態で、ありとあらゆる全ての良き調和を成す事を考えれば、全ての問題は解決するでしょう。ただし、自分が得ていない知識に関しては解決は出来ません。そうしたものはどうすれば解決できるかアドバイス程度は出来ます。

なので、悟りを得た人に頼るのではなく、自分自身が悟りを得れば、ありとあらゆる立場に居る人が自分自身で最良の解決策を見つけることが出来るようになるでしょう。

なぜ最善ではなく最良なのか、それは最善は人間が居なくなることだからです。人間が居なくなれば全ての問題は無くなります。解決ではなく無くなります。それはいきすぎなので最良で良いのです。

話を戻し、では煩悩はどうやって捨てるのか。苦から逃れるには。
上記で述べたことに加え、常に正しさを求める心、正しい道に導いてあげたいという思いやり、思い込まず決め付けない様にする意思、特定の何かに対する愛を全てにもつ(ここでいう愛は優しく強く時には厳しく場合によっては突き放し、しなやかに相手を見守るように想う心です)、これらを理解し、身につければ、自身の苦や悲しみなどは自身で解決できるようになり、また他の苦や悲しみも自身の苦や悲しみとして解決できるようになり、結果としてそれらを解決し、癒し、真実の幸福へと導くことが自身の幸福となり、全ての苦や悲しみは解決に至るようになるのです。

最終的には、世界から問題は最小値になります。何故最小値か、それは子が生まれてくる以上、常に問題は残るからです。また悟ったといってもそれは悟っただけで、何かを行えば、悟った人も人である以上、問題は起こりえます。が、悟っているので問題は最良の形で解決できるでしょう。

加えて、悟ったからといって苦や悲しみから永遠に逃れられる訳でもありません。
あなたが悟っても他者が悟っていなければ、それについての苦は経験の度合いによってついてきます。その時の苦に屈すれば、悟りを得た状態から悟りを理解だけしている状態になってしまいます。

欲を捨てるのではなく、欲を捨てて考え、欲を抑える術を知る事が肝要なのです。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html#c28

[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
29. 私は普通の人です[2] joSCzZWBksqCzJBsgsWCtw 2017年7月12日 22:44:33 : W64jYYOSeo : BeysKTMvgV4[2]
付け加えておきます。

自分中心で物事を考える時に現れるのは我欲です。>>28での欲は我欲としてください。自分が在っての愛する人、自分が在っての家族、会社、国、人類、地球、などなど、どれも自分中心で考えるので、いくらそれらを想っていたとしても、そこには自分が必ず存在します。なので皆、基準がばらばらになり、考え方が違ってきて問題が起こり争いになり、そこから苦や悲しみが生まれ、また新たな問題が生まれと負の連鎖となるのです。

下のほうのも欲ではないかと思う方も居るかもしれません。ですがこれらは、我欲でもなく他欲でもありません。自身が存在しない欲の無い状態で見たものなので、欲には含まれないのです。

もうひとつ、心を強くもってください。心を強く持つには覚悟することです。勝とうとするのではなく、全ての幸福の為に屈しないという想いです。

さらにもうひとつ、悟りを得ても、問題を解決出来る様になるだけで、解決するかどうかを決めるのは皆さん次第です。他者の幸福などどうでも良いと言うのであれば、悟りなど得ない方が良いでしょう。あなたの真意が試されるときですね。

最後に、これらは全て私が得たものであり、私の経験の結果です。皆さんはこれを完全に信じないようにして下さい。思い込まず決め付けずです。私に言えることは、これらは数学の公式の様なもので、誰にでも自分のものに出来るということだけです。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html#c29

[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
30. 私は普通の人です[3] joSCzZWBksqCzJBsgsWCtw 2017年7月13日 00:33:37 : W64jYYOSeo : BeysKTMvgV4[3]
>>29の下から5行目の「他者の幸福」は間違いで、「自分以外の幸福」です。訂正しておきます。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html#c30
[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
31. 私は普通の人です[4] joSCzZWBksqCzJBsgsWCtw 2017年7月14日 23:49:36 : W64jYYOSeo : BeysKTMvgV4[4]
これだけでは本当に悟りを得られるかどうか、疑問に思う方も居ると思うので、いくつか問題を解決しておきます。

偶像崇拝をしてはならない、というのがありますね。
一般的には、仏像を拝むなとか、そういう感じになっていますが、違います。

偶像とは、ありとあらゆる全てを指します。物質的に存在するもの、物質的に存在しないもの、全てです。

崇拝とは、それらを信じることです。身や心をゆだねてしまうことです。

なぜ偶像崇拝がいけないのかといえば、信じるということは、自分で考えずに他人任せにしてしまうことになり、自分自身では解決できなくなってしまうからです。

人間や、神、仏、救世主、天使、悪魔、善や悪といった創りだされた概念、その他全て、信じてしまうと、それらが言ったことや記したことは間違いないという風になってしまいます。

それらが本当に正しい事を言っていたり記していたりすれば、信じても旨くはいきますが、そうでなければ旨くいきませんし、場合によっては騙されます。

信じてはいけませんが、疑うな、信じるな、と言っている訳ではありません。
取りあえず信じてみて、それらを参考にして自分自身で考え、おかしいと思えば信じるのをやめれば良いのです。もしくは信じる対象をより正しく導けば良いのです。

こうしなさい、これが正しい、それは間違っている、などと、決め付けて言うのは簡単ですし、言われて従うのも簡単です。ですが、それらは偶像崇拝と同様に、言う人次第です。

そういった事を言う人に、そこは、これこれこういう理由でおかしくないかな、と説明しても聞く耳を持たない人は、貴方よりも未熟な人です。勿論、貴方の方が間違っている可能性もあるので、うぬぼれは禁物です。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html#c31

[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
32. 私は普通の人です[5] joSCzZWBksqCzJBsgsWCtw 2017年7月15日 00:17:46 : W64jYYOSeo : BeysKTMvgV4[5]
因果応報というのがありますね。

良い行いをすれば良い行いが返ってきて、悪い行いをすれば悪い行いが返ってくる、みたいなかんじでしょうか。

自然界を見てみます。カマキリが蝶を食べました。そのカマキリを鳥が食べました。その鳥を人間が食べました。因果応報が在るのならば、人間は何かに食べられなければいけません。

食べることは悪いことではない、と言う方が居るかもしれません。では、人間が人間を食べることも悪いことではないのでしょうか。自然界の法則であるならば、悪いことではありません。が、人の世の法則では悪いことです。

人間が人間を食べて良いという事は、何をやっても良いという事に繋がってしまいます。ので、人間の世界では弱肉強食を行ってはならないのです。

話を戻しますが、因果応報が在るのならば、自然界では何も生き残れなくなります。全ての種は何かを糧にしているので、子孫は残らなくなるからです。

では人間界での因果応報を考えてみます。

良い事をすれば良い事が返ってくる。当たり前の様に聞こえますが、良い事をしても何も返さない人もいます。逆に、良かれと思ってやったことが裏目に出て、悪い事が返ってくることもあります。悪いことをした場合も同様です。全ては人次第です。

では何故、因果応報という概念が生まれたのか。
ひとつは、この概念が広まれば、何も考えずに信じる人は、良い行いをし、悪い行いをしなくなるからでしょう。ですが、何が良くて何が悪いかは人それぞれです。だから意見の違いから衝突が起こります。双方、よく解ってもいないのに、良い悪いを譲らないからです。

真に良い良くない(悪い)は、悟りを得なければ解りません。時々答えに辿り着く人も居ますが、的確な説明が出来ない人ばかりです。

もうひとつは、先ほど説明した事を利用して、争いを起こさせる事を目的としている場合です。もしくは、自分の基準を他者に刷り込み、自分が幸福になる事を望んでいる可能性もあります。そこに他者の幸福を望むという歌い文句はあっても詭弁です。

これらはなるべくそうではないと信じたいものですね。解決するには、近しい人が悟りを得て、それらを広めた人に問うしかありません。もしくは、それらを広めた人が悟りを得るかです。

ともかく、まずは貴方が悟りを得る事が肝要です。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html#c32

[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
33. 私は普通の人です[6] joSCzZWBksqCzJBsgsWCtw 2017年7月15日 00:54:54 : W64jYYOSeo : BeysKTMvgV4[6]
輪廻について考えてみます。

輪廻とは、人は産まれて来る前に違う人生を経験し修行をして産まれてくる、また、死んだ後は産まれ変わり、また新たに修行をする、みたいな感じでしょうか。

私は産まれてくる前の記憶は在りません。また死んだ後どうなるかも知りません。産まれてくる前も死んだ後も、そんなの解るはずもありません。解ると言う方いらっしゃるなら是非お会いして話をしてみたいものです。

私は、変わった体験を何度かしました。人はそれを奇跡とよんだり、神の思し召しとよんだり、精霊が起こしたとよんだり、色んなことを言います。ですが、私は私の経験したことは、単に不思議な体験としかしていません。

不思議な体験をしたのですが、もしかしたら、それらは、私が今まで経験していなかっただけで、特別不思議な体験ではなかったのかもしれません。実際、麻薬や脳内麻薬などで、幻覚を見るなどと言われていますし、もしかしたらただの幻覚だった可能性もあります。

私にとって、その不思議な体験は、世の中常識で推し量れないことも在る、ということを学べた良いものだった、というだけにしています。これで十分だと思います。

話を戻します。
私は、輪廻は、因果応報と同様に、人間が作り出した概念に過ぎないと思います。
では何故、創られたのでしょうか。

ひとつは、生前死後が在るのならば、死は怖くない、恐れることは無い、死を悲しむことも無いと出来るからです。この考え方は、戦争にも役立ちます。戦争自体は良い事でも悪い事でも在りませんが、戦争を起こす人間が未熟であれば、当然悪くなります。火や刃物や核技術など、ありとあらゆる全ては人間次第で良くも悪くもなります。

もうひとつは、貧乏なのは生前悪いことをしたから、金持ちなのは生前良い事をしたから、とありますが、これはつまりは、お前は悪い事をしたから貧乏なんだ、そのまま貧乏でいろ、自業自得だ、となります。逆に金持ちは金持ちのままです。恐らくは、権力者が自分たちの都合にあわせて創ったものだと思われます。

加えて、仮に、輪廻が在ったとして、貴方は産まれかわりがあるのだから悟りを得るのは来世で良いとするのでしょうか。はっきり言いますが、悟りを得るのはわりと簡単です。貴方が覚悟を決めればわりとすぐです。輪廻があったとしても、貴方が悟りを得るのを先延ばしにすればするほど、他の存在が理不尽な目にあいます。

また、釈迦は何度も何度も生まれ変わってようやく悟りを得た、みたいな事が言われていますが、これも恐らくは、そんなにかかって悟りを得たということは、釈迦は特別で自分たちには無理だな、と思わせるためとも取れます。これも権力を維持するために都合がよいですね。いつまでたっても信者や他の民は悟りを得られず利用されつづけます。

ちなみに、これらは私の考えに過ぎないので、皆さんが悟りを得てご自信で考えて正しいかどうかを判断してください。


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html#c33

[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
34. 私は普通の人です[7] joSCzZWBksqCzJBsgsWCtw 2017年7月15日 01:51:21 : W64jYYOSeo : BeysKTMvgV4[7]
二極論について考えてみます。

二極論の代表例、善と悪、これは本来はないものです。この概念は二極論の中でもっとも争いを生むものと言っても良いかも知れません。

当然ながら、善と悪は対立します。場合によっては裏で繋がる場合も在ります。互いが妥協しあって仲良くすることも出来なくはありませんが、所詮はまやかしです。理不尽な目にあう存在は必ず出てきます。

人は誰しも産まれてきた時は無垢です。先祖代々受け継いだDNAの影響を受けて、性格や何を受け入れやすいかに個体差はあれど白紙の状態です。その白紙に、色んな人や物などに接して得た情報を取捨選択して、基準や価値観が形成されます。もちろん、輪廻などがある可能性も考慮しても良いですが、この問題にはさほど影響がないので置いておきます。

つまりは善と呼ぶ存在になるか、悪と呼ぶ存在になるか、これも人次第です。人とは本人だけではなく周りの人全てです。が、どちらになっても良くはありません。善が在るから悪が産まれます。なぜなら善は善の基準にあわない存在を悪とするからです。悪もまたしかり。

善も悪も無くした方が良い概念です。善は良い、悪は良くない、に置き換えましょう。そうすれば、対立は起きません。悪は善に置き換えられませんし、善は悪に置き換えられません。嫌っているから仕方の無いことです。しかし、良い良くないにすれば、良いところは伸ばし、良くないところは見直して良くする事ができます。

人は皆繋がっています。貴方と貴方の家族、友人、愛する人など、貴方と関わっている人に関わっている人、貴方に関わっている人に関わっている人に関わっている人、結果として、貴方は貴方以外の全てと関わっています。

貴方が何かをすれば、貴方以外の全ての人に貴方が影響し、誰かが何かをすれば、それは貴方にも影響してきます。つまりは、何かが何かをすれば、責任は全てに在るという事です。勿論責任の重さは違います。が、結果として解る事は、責任は誰か一人に取らせるものではなく皆で背負うものということです。

誰か一人に、特定の集団に、責任を取らせる事は楽ですよね。自分は関係ない、自分は悪くない、あいつが悪い、そう思いたいのは解りますが、それは良くないことです。なぜ、こんなことになっているのかと言えば、人間が未熟だからに他なりません。悟りを得るものが増えれば、こういったことはいずれなくせます。

そして未熟だけならまだ良いですが、悟りを得る術が在るのにそれを行わないのは愚かです。自分以外の幸福はどうでも良い、自分が関わっている範囲だけ良ければそれで良い、そういう考えが争いを生む原因となっている事にどうか気づいてください。


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html#c34

[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
35. 私は普通の人です[8] joSCzZWBksqCzJBsgsWCtw 2017年7月15日 04:11:00 : W64jYYOSeo : BeysKTMvgV4[8]
因果応報に関して、ひとつ忘れていたので付け加えておきます。

例えば、自分が誰かに何か嫌な事をされたとします。
馬鹿にされたり、いじめられたり、騙されたり、盗まれたり。因果応報があるからと、自分がこれらに対して何もしなければ、貴方以外の誰かが同じ目にあいます。

もちろん、貴方以外の誰かが何かしてくれる事もあるでしょうが、それは確実ではありません。その誰かが悟りを得ていれば良い解決は出来るでしょうが、そうでなければ必ず問題点は残ります。その場は解決できても最良ではないので問題は派生するのです。

かといってやられたらやり返せとは言っていません。あなた自身が考えて、やられた相手に貴方が思う最良の何かをすべきなのです。貴方に出来なければ貴方の身近な人に頼っても良い。とにかく相手がそれ以上貴方にやったような事をしなければそれで良いのです。

ですが、一番良いのはやはり、悟りを得て貴方自身が最良の解決をなす事です。悟りを得た者に頼るのも構いませんが、その者が居なければ、居なくなったら、どうしようもなくなります。

つまりは因果応報は、悪いことをしたい者にとっては都合の良いシステムだと言うことです。現在なら、まだ警察や軍隊や法などがあるので、悪いことをすれば、それ相応の報いを受けますが、結局はばれなければ報いは受けません。

また因果応報が創られたのは相当昔であろうと思います。その当時に、今のような警察や軍隊や法があったでしょうか。今よりははるかに悪い事をばれずにやりやすかったはずです。

結局のところ、これも悪い事をしたい人、いつの時代かの権力者が創りだした可能性があろうかと思います。もしくは、最初は普通に良い意味で作られたものが利用されたかです。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html#c35

[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
36. 私は普通の人です[9] joSCzZWBksqCzJBsgsWCtw 2017年7月15日 05:00:23 : W64jYYOSeo : BeysKTMvgV4[9]
一応、悟りを得るにあたっての注意点というかアドバイスをしておきます。

釈迦は悟りを得るにあたって、魔から色々と妨害を受けたとされている様ですが、私も似たような経験をしました。一応言っておきますが、私は悟りという言葉を使っていますが、それが悟りかどうかは解りません。おそらく悟りだと思うので悟りという言葉を使っているだけだということをご理解ください。

私の場合は、色々不思議な体験をしただけで、それが魔かどうかは解りません。自然現象だったり、人工物だったり、人間だったり、夢だったりしました。

はっきり言える事は、どれも私の弱点に向けられていると言うことです。ので具体的な事は書きません。人それぞれ弱点は違います。

肝心なのは、それらを跳ね除けたり、無視したり、堪えたりすることではなく、理解することです。なぜそういった事をしてくるのか、起こるのか。なぜ理解なのか、それは理解すれば、それらに対する不必要な感情が生まれなくなるからです。

幼子が貴方の手をつねって、その幼子に何か嫌な感情が沸くでしょうか。幼子のすることだからたいした意味はないと本能的に理解しているから嫌な感情は沸かないはずです。結果として幼子とは仲良くやっていけます。これが赤の他人なら違ってくるはずです。

私はこれで結構しんどい思いをしました。少しの間ですが絶望感を味わったりもしました、が、深く考えれば理解に至るのですぐ立ち直ります。問題解決の最善は死です。では自殺が良いのか、となりますが、深く考えれば最善ではなく最良の生となります。ちなみにこれも私の考えなので信じないで御自身で考えてください。

ちなみに私は今、悟りは得ていないと思います。得てはいましたが、色々あって理解だけしている状態だと思います。なぜなら以前はありとあらゆる全ての良き調和を心から願い、心の底から全ての幸福を願っていたのに、今はそれがたぶんありません。

そういった事への執着がなくなりました。もしかしたら、こっちの方が本当の悟りを得た状態かもしれませんが、私にはよく解りません。私は私の人生が終わったら、もう消えてしまっても良いと思っています。今の私の理想は無です。今の世の中や人間を見ていたらそう思うようになりました。

ですが一応、自分が得たものは真に人の為になると感じるので残しておこうと思います。

弱点を克服するには心を強く持ち、深く考え理解することです。


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html#c36

[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
37. 私は普通の人です[10] joSCzZWBksqCzJBsgsWCtw 2017年7月15日 05:47:30 : W64jYYOSeo : BeysKTMvgV4[10]
人の嘘の見破り方を記しておきます。

人の嘘を見破るには、その人の信念を知ることです。言わせる事です。
信念などないと言う人は嘘を付くのに抵抗がないので信じない方が良いでしょう。

信念が解れば、その信念に沿わない事を言っている場合に、それを指摘し、それはこういう理由でおかしいのではないかとし、問いただす。問いただしても改めない場合は、単に心が弱いか、もしくは知っていて嘘をついているかです。

心が弱いだけなら正しい道へ導いてあげることができますが、知っていて嘘をついている人はそうはいきません。その場でハッキリさせなければ、また別の場所で同じ事をするでしょう。

なぜ知ってて嘘をつくのか、それは本当の信念が別にあるからです。嘘も方便と言いますが、この場合の嘘は良くありません。話が進まなくなるからです。解決するものが解決しなくなります。

人は皆、繋がっています。はじめは皆無垢で、そこから色々吸収していった筈です。おそらく最初は誰もが未熟だったでしょう。ですがある時何か問題が起こってそれを最良の形で解決できなかった。そこから負の連鎖が始まり今に至っているのでしょう。

知ってて嘘をつく人もそういった負の連鎖の被害者と言えます。
犯罪を起こす人、お金にがめつい人、戦争をしたがる人、またそういう人から被害を受ける人、人間以外のありとあらゆる全てもそうです。全て被害者です。

いいかげん責任の擦り付け合いはやめるべきです。悪いこともやめましょう。貴方の大事な人が同じ目かそれ以上の目に合うかもしれません。その時になって気付いても遅いのです。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html#c37

[近代史02] 釈迦の悟りとは何であったのか? 富山誠
38. 私は普通の人です[11] joSCzZWBksqCzJBsgsWCtw 2017年7月15日 20:48:02 : W64jYYOSeo : BeysKTMvgV4[11]
>>37の下から3行目の、全て被害者です、を、全て被害者であり加害者でもあります。に訂正しておきます。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html#c38

   

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