1. 2017年6月17日 07:07:11 : vVJlQCoSiE : aS63Gd6_F5k[1]
長岡では母親ときょうだい3人と暮らしていた。原発事故後の2011年8月に自主避難。当初の3年ほどは仕事の都合で母親が福島に残り、長岡では父親と子どもたちが暮らしていた。その後父親が福島に戻り、母親が長岡で暮らすようになった。
長く父親と暮らしていたせいか、そのころから父が不在の時は不安定になることが増えた。自殺の方法をインターネットサイトで検索するなど、自殺をほのめかす行動を見せるようになった。
学校では美術部に所属。友人も多く、長岡で知り合った親友と旅行することもあった。学校を休むこともなく、「引っ越してよかった」と話していたという。
しかし今月9日、長岡を訪れていた父親が福島に帰ると、また「死にたい」と口にするようになった。母親は「つらい思いを募らせていたシグナルだったのかもしれない」と振り返る。
http://www.asyura2.com/17/genpatu48/msg/300.html#c1