http://www.asyura2.com/acas/a/aq/aqw/aqWOGiAbaak/100000.html
2. 2017年6月03日 04:01:50 : M5PpCCo0ic : aqWOGiAbaak[11]
つまんね!
http://www.asyura2.com/17/senkyo226/msg/691.html#c2
4. 忍穂耳の垢[652] lEWV5I6ogsyNQw 2017年6月20日 03:45:53 : M5PpCCo0ic : aqWOGiAbaak[12]
>>2. 殿
>入鹿を謀殺して専横をやらかしたのは、日本に巣くう寄生虫である藤原一族の祖である半島土人の胡散臭い自称神官の中臣鎌足であることをお忘れ無く。
これには笑った。半島系を言うなら、蘇我氏の方が濃厚だろう。
無知ゆえの言葉なのかとみたが。
史書をみれば明らかだが、半島系の擁護者・蘇我氏は衆知の事実。
加えて、蘇我氏の逆賊という汚名がとれたのは戦後だ。リベラル化の弊だよ。(笑)
例えば、「日本書紀」敏達紀十三年、是歳の条‥
「・・蘇我馬子(そがのうまこ)の宿禰(すくね)、
其の仏像二躯(ふたはしら)を請せて、
鞍造(くらつくり)村主(すぐり)司馬達等(しめだちと)・
池邊(いけべ)の直(あたい)氷田(ひた)を遣して、・・」
「鞍造(くらつくり)」とは帰化人技術者。「村主」なる姓も漢人(あやひと)に多い。
次の「池邊(いけべ)の直(あたい)」も東漢(やまとのあや)から分れた枝の一つ。
いずれも、渡来系帰化人の名前。
それら渡来系帰化人の力を得てのし上がったのが蘇我氏だ。
それに対して、
藤原氏が半島系だというお話は、
藤原不比等が半島系に入れ替わったとかの、いわゆる陰謀論のたぐい。
そうしたロマンはあってもいいけれども、蘇我氏が帰化人らを推した事実の方が重い。
それと、
蘇我氏から逆賊の枕詞が無くなったのは戦後だ。戦後のリベラル思考が来てから。
それは、外されるだけの必然性がちゃんとある。
蘇我氏の時代は、先行する応神系の王朝が、支那にかぶれすぎ、暴虐が過ぎて、
その男性的な驕りに、時代が背を向けていた時代だった。
だからこそ、女帝を待望し、力づくで伝統を書き換えても、それを実現した。
それは、
戦後に押し寄せた「自由の女神」に見る如くな、リベラル思考と、いわば本質において同じ。
リベラルの風を受けた当時の歴史家達は、蘇我氏からその汚名を下ろしたのだよ。(笑)
戦後の左巻きな路線は、歴史学をも偏らせていることに気付かれよ。
http://www.asyura2.com/17/senkyo227/msg/676.html#c4