1617. 日高見連邦共和国[6874] k_qNgoypmEGWTYukmGGNkQ 2018年2月25日 09:39:44 : GKPUF51ldG : AQse50x1i40[1]
◆『智恵子抄』から紐解く“戦後日本の変革”◆
何故、憲法9条改正や‟戦後日本の変革”の文脈で高村光太郎の『智恵子抄』が出てくるのか、
怪訝に思う方が大多数ではないかと思われます。彫刻家にして詩人の高村光太郎が愛妻家で、
太平洋戦争以前に‟戦意高揚”の詩を多く書いたことはあまり知られていないかもしれません。
それは当時の文筆家の多くがそうであって、そのほとんどの連中が戦後、自分のそういう行動に
‟口を紡ぐ”中、高村光太郎は強要された訳でもないのに、自分の詩で多くの若者を戦地に向かわせ、
無残な屍を晒さしてしまう結果を生む原因を造った事に終生塊根の念に苛まれ続けたのです。
晩年、宮沢賢治を頼って岩手・花巻の山荘に寂しい身を寄せ、亡き智恵子を悼んで詠んだ詩、
『智恵子抄』に収められた『報告 智恵子に』の一篇に、次のようなフレーズがあります。
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日本はすつかり変りました。
あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた
あの傍若無人のがさつな階級が
とにかく存在しないことになりました。
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ここで、光太郎の追憶の中で智恵子が言う、『あの傍若無人のがさつな階級』がキーワードとなります。
これは一般に『軍人』を指すものと言われているようですが、私には異論があります。
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(以下余談)
一般時の智恵子が、そうそう軍隊(軍人・特に内地の邦人にとっては陸軍)に触れる機会など無く、
また終戦直前の一時期を除いて、軍人(軍隊)は一般人にとって‟親しみがあって頼もしい”存在で、
決して『あの傍若無人のがさつな階級』と忌み嫌われるような対象ではなかったからです。
ですから私は、『あの傍若無人のがさつな階級』とは、‟特高”を含む治安維持に関わる警察権力、
軍部・権威をカサに着る官僚、貴族・華族をバックボーンに権勢を振るった経済人・財界人、
など、広い意味で‟民主主義”にもとる没義道な連中の事を言ったのではないかと思っています。
(余談終わり)
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さて、戦前はどうであれ、ああいう形で敗戦に終わり、やってきた占領軍・GHQを見た日本人が
『戦前の愚行』と『日本軍の有り方』を鑑みるときに‟自分も抵抗できずに時世に流された”という
口にはできない羞恥心と悔悟を責任転嫁する上でも『軍隊のせい』にするのは都合も良かったでしょう。
そういった終戦直後の日本人の心境と、どうもGHQが主導しているのは明らかな‟新憲法”を
当時の日本国民がどのように受けっとていたかの考察は、既にいくつものコメントでしています。
↓↓↓
>>1599、>>1545、>>1542、>>1536、>>1529、>>1475
その中で主たるもの・・・
>>1359
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新憲法制定は、当然当時の日本国民の大関心事であり、国会議論を注視していた事は間違いない。
但し、あくまでも連合国の?被占領下”である以上、マ(7マッカーサー)元帥閣下には逆らえねェ〜
・・・という?感情(諦め)”があっただろうことは充分に推測される。当時の日本人は戦争に飽いていて、
『戦争も軍隊もう沢山だ!』というベース感情に、日々の暮らし(の建て直し)で精一杯だったから、
『もう戦争はしなくていいんだ!』という解放感こそが全ての理屈を?凌駕”して新憲法を受け入れる、
という共通認識を醸造させていったのであろう、と理解している。
当時の日本人の?共通認識”は、『全ての戦争の放棄、あらゆる軍備の否定』にあったろう。
未だ占領軍の庇護下であり、国家として主権もなく、?被侵略時の防衛”などは念頭から消え失せていただろう。
国を誤った方向へ導いた旧軍部への反感もあり、マ元帥閣下に任せていればまだなんぼかマシだろう、と。
だから、新憲法に謳われた美しい理念と、マ将軍が構想する?新世界構造”をどれだけ理解していたかは疑わしい。
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(引用終わり)
智恵子が言う『あの傍若無人のがさつな階級』が消えてなくなった!軍隊も消滅した!!
もうこれで、分不相応な軍隊を維持するために困窮生活に耐える必要もなく、言いたい事を言える
自由な民主主義の世界に日本が変わり、何より『殺し合い』をもうしなくてもいいんだ!!!
こういう‟心境”が、当時の日本人のベーススタンダードであった事に異論はないでしょう。
それでも、手のひらを返したような世論を苦々しく思い、今後の国防の有り方を本気で憂た
人たちも少なくはなかったでしょうが、戦前・戦中とは‟別の意味で”、世情に大勢逆らえず
『口をつぐんでしまった』のですから、日本人の‟習性”は変わらない(現在でも)のでしょう。
そういった意味で、当時の日本人が本当は新憲法を見てどう思ったのかは、
@大歓迎!戦争なんかもう沢山だ!無条件に大歓迎する! ・・・ 3割
A占領軍には逆らえない不満はあるが今は黙っておこう。 ・・・ 3割
B独自防衛は不安だが文言を見て解釈で対応できそうだ。 ・・・ 3割
Cほか ・・・ 1割
といったあたりで‟大外れ”はないと思っます。
敗戦によって旧日本帝国が抱えていた植民地や利権は失われ、防共(赤化)にも不安がある。
だが、新しい支配者アメリカが、アメリカの新たな利権を守るために連中が必死に戦うだろう。
殺し合いは‟やりたい奴ら”にやらせておけ、と。
日本は無条件降伏し、軍は解体され、自衛権云々以前に防衛を担保する戦力を失った。
それは『散文的な事実』であって『法(憲法)の精神(魂)』などではない。
憲法(9条)はその‟事実”を追認しただけであって、国民が選び取った訳ではない。
ですが、当時の日本人が『すでに世界を動かしつつある崇高な理念』ってものをどれだけ
理解していたかいないかは心元ないのは確かです(笑)。でも、少なくとも‟国際平和主義”
が『軍事同盟』に担保されるものでは無いらしいぜ、という程度の認識はあったでしょう。
『軍事同盟』なんぞは、『すでに世界を支配している低俗な現実』に過ぎませんから。(笑)
でも忘れないで欲しいのはそれが『与えられた変革』であること。
同じ詩で、智恵子を思う光太郎はこうも詠んでいます。
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すつかり変つたといつても、
それは他力による変革で
(日本の再教育と人はいひます。)
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これは、現代の日本人が『身につまして』真正面から受け止めなければならない指摘です。
現代のほぼあらゆる‟矛盾と問題”の全ての根源が、この一言に凝縮されているのですから・・・
ここでは、これ以上多くを語らず、『報告 智恵子に』の全文を引用して終わろうと思います。
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『報告 智恵子に』(『智恵子抄』より)
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日本はすつかり変りました。
あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた
あの傍若無人のがさつな階級が
とにかく存在しないことになりました。
すつかり変つたといつても、
それは他力による変革で
(日本の再教育と人はいひます。)
内からの爆発であなたのやうに、
あんないきいきした新しい世界を
命にかけてしんから望んだ
さういふ自力で得たのでないことが
あなたの前では恥しい。
あなたこそまことの自由を求めました。
求められない鉄の囲かこひの中にゐて、
あなたがあんなに求めたものは、
結局あなたを此世の意識の外に逐おひ、
あなたの頭をこはしました。
あなたの苦しみを今こそ思ふ。
日本の形は変りましたが、
あの苦しみを持たないわれわれの変革を
あなたに報告するのはつらいことです。
昭和二二・六
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(引用終わり)
http://www.asyura2.com/18/senkyo238/msg/181.html#c1617