8. 2017年8月17日 15:13:17 : wa4OEmUyN6 : AQ5t3GZXKRY[1]
あらゆる史料をみても、東條内閣は、平和を達成すべく
アメリカとの交渉を進めるよう天皇陛下に命じられて組閣した内閣である。
東條首相も全力を尽くしてそれをやろうとした。
ところが、アメリカからハル・ノートを突きつけられて、
戦争に突入せざるを得なかった。
『ユダヤ人を救った日本人』というと、
リトアニアでユダヤ人難民に6千枚のビザを発給した外交官の
杉原千畝の名前がすぐあがりますが、それよりもっと大きな出来事があった。
昭和13年3月、満洲国国境を接したソ連領のオトポール駅に
2万人のユダヤ難民が押し寄せ、日本に救いを求めてきた。
関東軍の傘下にあったハルピンの特務機関長、
樋口季一郎少将と部下の安江仙弘大佐は、
オトポール駅に緊急の救援列車を何本も送って
ユダヤ難民を満州国と日本に送り込みました。
それには当然、関東軍の許可が必要だった。
それを許可したのが関東軍参謀長だった東條英機です。
死刑を宣告された東條が、実は2万人のユダヤ人を救った男だということ、
日本がユダヤ人迫害を批判していたことを世界が知っていれば、
果たして連合国は日本を裁けたでしょうか。