77. 天橋立の愚痴人間[232] k1aLtJengsyL8JJzkGyK1A 2017年2月01日 13:00:44 : kAg8ZNS6io : aPlkAHC7EY8[1]
既成の金融システムを打ち破ると言う意味で「腐るお金」の理論もよいでしょう。
でも、その中で、お金の永遠性を否定されていますが、その永遠性こそお金の一番大事な要素であり、人々は少なくてお金をためて置くことにより生活を安定させることができた。
ゲゼルの持論は、腐るお金の事ではありません。
そのような言葉を使ったのは、紹介のブログの作者でしょう。
ゲゼルは需要喚起という事に重きを置いて経済論を勧めました。
需要が増えれば供給の必要が出てきる。
生産が活発になり雇用も増え、景気が良くなると言う論理です。
現代社会でも、その需要、つまり消費を増やそうと躍起になっていますが、実際は消費のための金が少ない人がぞ続出し、そんな事をいわれても!という状態です。
「卵が先か鶏が先か」の論理と同じで、ますはお金を行き渡るようにすることでしょう。
オーストリアで試されたのは、話を見てみると中央銀行が乗りだしたとあるように地域通貨を勝手に発行したのでしょう。
何らかの理由をつけて住民に配布し、それで、ものを買えと言ったのでしょう。
その金をタンス預金にされてはかなわないので、時限通貨として発行年月日から換算して通貨の価値が漸減するようにしたのだと思います。
またゲゼルは100年も前の人。ケインズと同じようにグローバル化が進んだ現代経済論としては賞味期限済の理論です。
ですが、規制のシステムの打開策として、発想の転換として考える意味はあります。
オーストリアの場合もそうですが、結局は通貨の増刷(ヘリマネ)が登場します。
そのブログの作者が最後に「通貨発行権」という言葉を使っています。
作者自身は、本筋は解っているものと思いますが「腐るお金」などと、変えて誤解を生む論法はよろしくありませんね。
ちなみに、地域通貨論は、たびたび頭をもたげてくる考え方です。
ご参考までに。
http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/798.html#c77