2. 2018年9月30日 14:27:13 : 1pfGQjaYsw : aOe4mvch8hw[1]
@ > 遊牧民がこの地の主人だった歴史を物語っている。夏は天山山脈など冷涼な山岳地帯で過ごし、冬は暖かい湖畔にテントを張って、当時は塩水化が進んでいなかった湖水を家畜に飲ませていた。
中央アジアの古代中世史を紐解いた方には、理解できると思うけれど、この地域は、モンゴル民族やトルコ民族、アラブ民族の民族間、あるいは同民族間の覇権をめぐる争いが、絶えなかった地域だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Kazakhstan
アラル海は、元々、塩湖であったと考えられる。
「飲用水とするためには塩分濃度を0.05%以下にまで下げる必要がある。」とウィキが解説するとおり、アラル海の水が、動物の飲水に利用されていた、とする根拠は、疑わしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E6%B0%B4%E6%B7%A1%E6%B0%B4%E5%8C%96
ロシアのウィキによれば、1960年における、アラル海の塩分濃度は、0.99%である。
アラル海に注ぐ前に、シルダリヤ川やアムダリヤ川の水を利用しなければ、無駄になることになる。
古代から、人々は、アラル海の水ではなく、河川水を利用してきた、と考えられる。
A > 暴力や弾圧に農業政策の失敗による飢饉や疫病が加わり「大量虐殺」の様相を呈した。死亡したカザフ人は全人口の42%に当たる175万人に達し・・・
「虐殺」という言葉が相応しいかも含めて、飢饉の原因に関しては、学者によって、諸説がある。
「暴力や弾圧」より、自然現象に、政策的な誤りが、その被害を大きくしたように思う。
1930年代のソ連に起きた飢饉に、最も影響を受けたのは、カザフより、ウクライナの方だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Soviet_famine_of_1932%E2%80%9333
ウィキの別な項目によると、1900年に、360万人だったカザフ人の人口は、1936年には、300万人まで減っている。(カザフ人が、60万人死んだことになる。)
飢饉で亡くなったカザフ人の数も、学者によって見解が、分かれる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Kazakhs#Population
B 綿花は、ソ連の重要な輸出品で、換金作物だった。
当然、輸入国が存在する。
今、適切な資料を見つけることが、できないけれど、日本の他に、イギリス、西ドイツ、フランスなどが、その輸入先だった、と考えられる。
綿花栽培と比べて、漁業は全く問題とならない。
C この記事が、フェイク記事の所以は、当事者が、まるでロシアしいかないかの如き印象を与えるからだ。
D 中央アジアからのガスパイプラインの中には、西側の石油メジャーが関わっている事業も存在する。
これらの計画は、環境を破壊しないのか?