35. 宇宙の塵[100] iUaSiILMkG8 2017年3月29日 00:32:55 : tr10vojcS6 : aLHzUnfwlIw[1]
>>25
>>これらの19条・21条で述べられる【自由】は下記の制約を受ける事を実覚してね。
これ(↑)はちょっと違うと思いますよ。19条・21条で述べられる自由そのものへの制約はないということです。
ご存じのように憲法は第十九条から第二十三条にかけて
“侵してはならない” 自由として 「思想及び良心の自由」 を、
憲法が “保障する” 自由として 「信教の自由」 「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」 「学問の自由」 を、
“何人も、【公共の福祉】 に反しない限り” “有する” 自由として 「居住、移転及び職業選択の自由」 を定め、
また、第二十五条から第二十九条にかけて
“すべて国民は” “有する” 権利として 「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」 「法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」 「勤労の権利(併せて義務を負ふ)」 を、
憲法が “保障する”権利として 「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利」 を、
“侵してはならない”権利として 「財産権 (財産権の内容は、【公共の福祉】 に適合するやうに、法律でこれを定める。)」 を、
定めています。
そして、これらに先立って、第十二条と第十三条は次のように述べています。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に 【公共の福祉】 のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、【公共の福祉】 に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
いま、【公共の福祉】 という言葉が4回出てきましたが、憲法で 【公共の福祉】 が登場するのはこの4か所 (第十二条、第十三条、第二十二条、第二十九条) だけです。
この 【公共の福祉】 とは何かと言うと、同じ第十三条にある「すべて国民は、個人として尊重される」と対比して考えるとわかりやすいと思います。
個人としての基本的人権をすべての国民が有しており、同じように上にみた自由と権利もすべての国民が有しています。
しかし、国民がこの自由や権利を社会的に活用 (利用) しようとしたときに、個人と個人の間でどうしても利害関係が生じることになり、放置しておくと収拾がつかなくなるおそれが出てきます。そこで、「みんなが納得できる共通のルールを設けて、みんなが少しずつ我慢し合いながら、そのルールを守る限りにおいて自由と権利を行使できるようにしましょう」という考え方が出てくるわけです。こうした考え方に基づく仕組みを 【公共の福祉】 と言っているわけです。
第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
「思想及び良心の自由」「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」は、このふたつの条文以上でも以下でもなく、それ自体は 【公共の福祉】 を理由に何ら制約を受けていないのです。誰しもが、自分の望む価値観を、それがどのような価値観であれ、信奉することができるのです。>>22の 『この2つの条規はこういう 「やつら」 までも保護しているため、とりあえず ‘野放し’ にしておくしかない』 は、まさしくそのことを指しているのです。
ただ、上にみたように、この自由を自分以外の他者に誇示したり拡散したりしようとしたときに、そのやり方が 【公共の福祉】 に反していないかどうかを問われることはあるということです。
日本の憲法に相当するドイツ基本法 (旧・西ドイツ由来) は、表現の自由や結社の自由に制限を設け、自由主義・民主主義に敵対するものを禁止していますが、日本がドイツのように国家主義思想を憲法で禁止できなかった理由は、恐らくですが、憲法 「第一章 天皇」 への影響の波及を避けたのだろうと思います。戦前戦中思想の禁止は、その精神的支柱に祀り上げられた天皇家の存続を危うくしかねなかったということでしょう。かくして、頼みの綱は第九十九条となるわけです。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/896.html#c35