28. TondaMonta[231] gnOCj4KOgoSCgYJsgo@CjoKUgoE 2017年8月26日 00:06:28 : 7gUyOG6dmy : AJ0VlK_p0b4[1]
最近,クリック(覗いて)してもらいたいために,ヘッドライン(新聞等)を工夫し,ブログ記事の標題を工夫するのは結構だが,読んで同じ内容なのに見出しが異なる場合が最近多くなった気がします。
その他に,上で指摘されているように,ALL for All.など原文を損なう表現が増えてきたように思われます。また,「嗚呼」は感動を表す言葉です。
「ああ,言っていますが」の場合は,「嗚呼」をつかわないことも皆さん重々御承知のことだと思います。
ワタチの申し上げたいことは,文学上の表現を後輩に伝えることが大事だということです。投票権が高校生18歳にあたえられましたが,高校生全員,あるいは不登校の青年が日本文化の奥にある文化,背景を知ることが大切だと,思います。
このとき,世間で誤用が多ければ,その誤用をマネする可能性が高いということが懸念されます。
ワタチの文章も意味不明の文章であることを反省しつつ,後世には正しい言葉遣いを伝えていく必要があると思います。
ちなみに初めてAll is for one, one is for all.をみたのは,『三銃士』でした。その後,韓流映画「Allin One」でみました。ちなみに韓流映画はシェークスピアに学ぶことが多いと言ったのは,作家の赤川次郎氏です。
集団的自衛権や共謀罪について多くの文学者が黙っているのは,文学の良さを若い人に訴えない点で,文学者失格です。研究してきた文学を利用して,現在の政治状況を批判しないのは,左右どちらの席に座ろうとも,文学を小さな枠に閉じ込めていることになり,文学部廃止の遠因になっていることに気が付かない不作為だと,思います。
ゆえに,文学者の奮起を期待するところです。
もちろん,浅田次郎氏など批判的な意見を述べる文学者・教授もいますが,多くは政治に口を出しません。
ちなみに,村上春樹氏がノーベル賞を取れないのは,イスラエルを批判したからだといわれていますが(ノーベル賞へのイスラエルの影響力は大きい),根本的には政権を批判しないからです。つまり狭義の,閉じ籠もった文学だからなのです。したがって,候補には毎年挙がりながら,未だに授賞できないのです。
政治に関わらない文学は文学とは言えないと思います。
翻って思うに,日本の文学の伝統は狭義の,閉じ籠もった文学が多いのですが,本記事の標題から遙かに遠ざかるので,この辺で筆を置きたいと思います。すんずれいすました。
http://www.asyura2.com/17/senkyo231/msg/249.html#c28