8. 未来のTOW[56] lqKXiILMVE9X 2017年3月28日 17:54:41 : 9ILJsc9Mso : AHmJ7xcY1SQ[1]
PKOが中立を旨とするのはもはや過去の話だ。
国連ないしPKOはもはや、中立の枠組みを超え、「住民保護」を優先して行動している。
この原則が打ち立てられたのは1990年代、ルワンダ内戦の時だ。
ルワンダでの紛争後に派遣された国連PKO部隊は、内戦の和平合意支援のためにルワンダ支援にあたっていた。
しかし、治安は一向に良くならず、
和平合意も守られないことの方が多かったそうだ。
当然だが、PKO部隊はおいそれと武力行使はできん。PKO部隊は警察でもなければ、進駐軍でもないからだ。
そして、ルワンダの大統領が暗殺されたことによって、またしても内戦は再発した。
この再発した内戦の特徴は、民族対立の様相を示して、フツ族対ツチ族の内戦となった。
殺すのも住民、殺されるのも住民、という地獄のような状況だ。
これに対して国連PKO部隊は、何もできなかった。
フツ族過激派が絶えずPKO部隊を狙っていたこと、PKO部隊の人員が少なすぎたこと、
PKO部隊に武力行使の権限がほとんどなかったこともあるが、
何より、「中立を守る」PKO部隊が、どちらかに肩入れすることを躊躇したというのがある。
これによって何が起こったか。
人数の多いフツ族はツチ族を圧倒し、一方的な殺戮となり、ツチ族50万人以上が殺害された。ほとんどが一般住民だ。
有名な「ルワンダ虐殺」だ。
虐殺したフツ族もほとんど一般住民。国際人道法なぞ知る者は皆無だったろう。
起こるべくして起こった虐殺ともいえる。
虐殺行為に対して何もできなった国連は非難を浴びた。
これのどこが国際平和維持なのだと。
この事件を機に、国連は「中立」の壁を超えはじめ、住民保護・治安の安定のためなら、武力行使をいとわないようになった。「保護する責任」と言われる。
その後、2013年のコンゴでのPKO派遣のとき、地元武装勢力への攻撃が認められ、PKOは武装勢力を一掃してしまった。その後もこれを前例にしようという動きがある。
「中立」の看板は一見素晴らしいが、それは「傍観」と同義でもある。
中立である以上、虐殺を止めることはできない。ルワンダ虐殺で国連はそれを痛いほどわかっている。
日本だけが、PKOは中立で〜非武装で〜と言っていることはもはや時代遅れだ。
世界は動いているのに、この国の時計は止まったままだ。
平和とは、空から降っては来ないし、祈れば叶うものでもない。
他国の戦争を傍観し続けておいて、「平和国家」とはよく言えたものだ。