17. 2017年1月09日 18:14:43 : lNgOScv6aI : aE3ZxNeU6Cw[1]
アレだろ。要するに一市民が斬るの志岐武彦と森裕子の諍いって(小沢裁判)を巡って始まったやつだろ。
両方とも提訴合戦で訴訟の泥仕合になってるのをネトウヨ御用達の産経がチャチャ入れて工作員がベタなツッコミを入れに来たという、ただそれだけのことじゃん。
志岐武彦なんか産経で記事が出たことを、自分のブログで得意げにひけらかしててさ、このオッサンなんて俗物だよって呆れたわ。
でこの二人の諍いについて志岐武彦と本を共著で出している山崎行太郎が、こういう見解を発表しているので貼っておく。
阿修羅の過去ログから転載したものだ。以下
書きたくもないことだが、森ゆうこ前参議院議員と「一市民T」(志岐武彦)との間で、「小沢一郎裁判」に関連して(山崎行太郎)
2013-08-14 文藝評論家=山崎行太郎の政治ブログ 『毒蛇山荘日記』
書きたくもないことだが、森ゆうこ前参議院議員と「一市民T」(志岐武彦)との間で、「小沢一郎裁判」に関連して、「あるトラブル」が発生しているようである。森氏が、ブログやフェイスブックでも取り上げているので、知っている人も少なくないだろう。
ところで、このトラブルの発生に、私も少し関係があるかもしれないし、同時に責任があるかもしれないので、誤解されるといけないので書いておきたい。
まず結論を書く。私は、「一市民T」の最近の言動とは無関係である。もちろん、現在、いっさいの交流はない。
さて、「一市民T」(志岐武彦)に『最高裁の罠』の出版を勧めたのは、小生であった。なかなか出版社が見つからないようだったので、私が連載を持つオピニオン雑誌「月刊日本」を刊行する「ケイアンドケイブレス」を紹介し、様々な条件のもとではあったが、小生との共著という形で、ようやく出版にこぎつけることができた。したがって、私も、約1/3ぐらい、原稿や対談を同書には載せている。
しかし、本が出来あがりそうになった時点で、私の了解なしで、密かに、印税を含む出版契約を結ぼうとするなど、「不愉快な事件」があり、私は、その時点で、「これ以上、この人に関わるとろくなことはない」と直感したので、いつさいの言い訳も聞かずに、即座に、「一市民T」との関係は絶った。以後、電話番号やメールアドレス、ツイッターなども、すべて削除・拒絶し、いっさいの応答はしていない。
『最高裁の罠』という本は出版され、ネット販売や店頭販売がされたが、私は「一市民T」(志気武彦)とは無関係であった。
「小沢一郎裁判」に対する私の基本原則は、あくまでも、裁判で「小沢一郎無罪」を勝ち取り、小沢一郎が政治的復権を果たすことであった。つまり「小沢一郎無罪」と「小沢一郎復権」が最大の目的であった。
『最高裁の罠』も、そういう目的で、出版したつもりだった。私は、「最高裁」という国家組織と、戦うつもりはない。私は革命家ではない。私は、保守思想家である。
裁判や司法というものは、本質的に「政治的なもの」だと、私は思っている。
以上、書きたくもないことだと思って沈黙していたが、森ゆうこ前参議院議員に迷惑がかかっているようなので、敢えて書くことにした。