6. 2018年2月14日 19:24:51 : d4b2tp8fAc : _Y5b_Nz9IjI[1]
保阪氏指摘<「20歳の皇太子(昭和天皇)が摂政に就いた大正10年11月から大正15年12月の5年間」
小生宅に、長門御座乗摂政皇太子の行幸記念長門アルバムあるが、時期はこの頃と思うが、小生父が長門に乗っていたということで、全乗組員に記念アルバム配布で父の手元にもあったようだ。日本列島南岸を巡航したようだが,退屈な航海ちゅうことで、甲板上でのアトラクションが連日のようだった。仰向けの手足使った20メートル走とか、相撲大会とか、摂政皇太子が気楽に楽しむ様子が写っている。自らも将棋を指したり、摂政が自由闊達に楽しむ状況がある。ここには現人神とか、神に祭り上げる雰囲気は全くない。天皇を政治的、軍事的に利用する動きが強まったのは昭和に入り、経済恐慌等国家矛盾を軍事的に打開する方向に向いてからだろうが、この方向は国家が壊滅する方向だったわけだ。ア!屁とか言う低脳のクソガキが、再度国を壊滅の方向に引きずり込みたくって仕方ないようだが、今一度自由闊達な摂政皇太子が存在した平和な期間が存在したことを、たとえ5年間という短い期間であったとしても存在したことを、国民は想起すべきだ。
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