40. 2018年10月28日 12:54:50 : aHpI1GhX5c : _Fjh79Wpu@w[1]
「生きて虜囚の辱めを受けず」って言葉を思い出しちまったよ。「戦陣訓」ってな。
私だってリアルで知ってたわけじゃないが、年配者から聞いたし、本でも読んだが若い人たちは知らないだろう。
おそらく、明治以降だろうが、日本は捕虜になった人間に冷たい国家になって行った。その究極が太平洋戦争突入の頃に陸軍大臣東条英機の名で出された戦陣訓で、兵士にだけでなく、一般世間にも宣伝的に流布されていたらしい。
早い話が、日本人なら敵に降服して捕虜なんかになってはいかん。そうなるくらいなら、自ら命を絶てという教えだ。
そして実際に敗走退却するときに動けない重傷者が自決用に手榴弾を手渡されたり、沖縄や南方の植民地などで、兵士ではない一般住民の婦女子までが集団自決を強いられた原因にもなったという。
欧米では捕虜になるのは恥ではなく、むしろ、そうなっても帰還すれば英雄扱いなんだそうだ。そもそもの、ものの考え方がまったく違うんだろう。
英国陸軍特殊部隊、軍ヲタウヨの人なんかは大好きそうな、知る人ぞ知るSAS(Special Air Service)という部隊があって、現在、欧米各国にある特殊部隊の手本になったのだが、その隊員であったアンディ・マクナブ軍曹という人が、ブッシュ・シニアが起こした湾岸戦争(第一次イラク戦争)で仲間とともに敵地イラクに潜入、作戦の失敗から捕虜になってしまった。
そしてイラク側による厳しい尋問や虐待に耐えているうちに赤十字を通じて対戦中の国家同士の捕虜交換話が成立、無事帰還するのだが、帰ってきた彼等は英雄として迎えられ、当時、イラクと戦っていた多国籍軍の最高司令官、米軍のシュワルツコフ将軍との食事会に招待され、英雄としてその労をねぎらわれる。
(マクナブ軍曹はその顛末をノンフィクション小説『ブラボー・ツー・ゼロ』(失敗した作戦名から)として発表し、ベストセラーになったが、これを契機に彼はスパイ小説家に転身し成功する)
もちろん、そこまでの待遇は彼等がエリート特殊部隊員だからということもあったのだろうが、そもそもの作戦自体は失敗しているのだ。その上、敵の捕虜になった。戦時中の日本軍なら、とても威張って帰還するどころではなく、自決ものだったろう。
また、マクナブたちSAS隊員は日頃の訓練の中で捕虜になった場合を想定して、その心得もたたき込まれていた。それは「拷問されても機密を守れ」というようなものではなく「自分の命をを守るためなら機密は漏らしていい」というものだ。ただし、「腐った機密」から、つまり、時間的に意味がなくなった機密からばらせと言われていたという。
そして、そもそも階級の低い一般兵士なら、大した機密など知っているはずはないので、凡庸な「灰色の男」を装えとも言われていたという。
(事実、マクナブたちもイラク側に抵抗したときに見せた高度な戦闘能力から特殊部隊員であることを疑われながら、最後まで先行部隊に追いつくために送られた衛生兵だと言い張った。そして最終的にイラク側がそれを信じてしまったのは、SAS隊員は全員が衛生兵としての訓練も受けていて、そのキットも携行していたかららしい。)
欧米では兵士は捕虜になっても国家が自分たちを見捨てず、最善を尽くしてくれると信じて待つことが出来る。しかし、かつての日本軍はそうではなかった。捕虜になった時点でアウトなのだ。
もちろん、ジャーナリストは民間人で兵士ではない。しかし、欧米国家が(もしかして、その時点での自国の政権には批判的だったかもしれない)ジャーナリストの救出にも熱心に取り組むのはこうした伝統があるからだろう。
それが国民に国家を信頼させる最良の方法だからだ。日本は欧米をまねて近代国家になろうとはしたものの、何処かで間違え、今もその間違いを引きずり続けている。
第二次イラク戦争が始まった頃、イラクでNGOとしてストリートチルドレンの支援活動をして来た高遠菜穂子さんや、その知人のジャーナリストら三人が武装勢力の人質になったのはまだ記憶に新しいが、彼等は結局、高遠さんらの活動を知る現地の有力者の口利きで解放された。
日本政府が資金も含めてどれほどの尽力をしたのかは不明だが、その時の小泉政権も彼らには冷たく、世間は帰還した彼らを「自己責任論」でバッシングした。
しかし、第二次イラク戦争の有志連合の最高司令官であり、後にブッシュ・ジュニア政権の国務長官にもなったコリン・パウエル将軍は言ったものだ。
「あの勇気ある若者たちは賞賛されるべきである。なのに、日本人はなぜ彼らを批判し、中傷までするのか?」と。
本当に将軍には理解できなかったのだろう。
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