3. 2017年3月18日 16:33:32 : URwOgchIRE : _9S7a0bZznY[1]
なんで講演料を受け取らなかったから寄付にしなきゃいけないんだ?
ふつうに自分名義の口座に返しておけばいいだけじゃないか?
この山口というのも、厚顔無恥な御用男だな。
小ずるそうな顔は、こういうこういうコバンザメ連中の共通点だろう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/547.html#c3
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ふつうに自分名義の口座に返しておけばいいだけじゃないか?
この山口というのも、厚顔無恥な御用男だな。
小ずるそうな顔は、こういうこういうコバンザメ連中の共通点だろう。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/547.html#c3
お、工作員が意味不明な弁明を展開してるな。
そういう所で北朝鮮ウヨの正体がまる出しなんだよ。
中川よりも巧妙に立ち回ってるようだが。
講演料を出すも出さないも、籠池の一存だけの話。
なんで「寄付」にしなきゃならないのか?
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/547.html#c6
おそらく「籠池が悪い」で畳みかけろ、と世耕指令が降りたんだろう。
籠池=バカウヨ=自分自身の運命かも?
と思えないところが、バカそのものだが。
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/547.html#c12
北朝鮮ウヨのキーワード
安倍晋三、岸信介、文鮮明、壺売り教、金王朝三代、朝鮮総連、菅直人…
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/547.html#c14
「完璧帰趙」なる、似合わないけど中国戦国時代故事からとった、立派過ぎる別アカ使ってます。
ちなみに以前は「シャルトル大聖堂」なるフランス中世風の名前も使いました。
どっちにしろアホサヨブロガー「kojitaken」を常にチェックしてるバカウヨ投稿者(もしくは工作員グループ)です。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/422.html#c7
あるとき繆賢は罪を犯して恵文王の怒りを買い、処罰を恐れて燕へ亡命しようとした。すると、食客だった藺相如が「御主人様、何故燕へ逃れるのですか」と聞いてきた。繆賢は「以前に燕王と会ったことがあるが、そのとき私の手を握って友人になりたいと願ってきた。きっと快く迎えてくれるだろう」と答えたが、藺相如はこれに対し「それは間違いです。燕は弱小国であり、比べれば趙は強国です。燕王があなたと友になりたいと願ったのは、あなたが強国である趙の王様の寵愛を受けていればこそ。寵愛を失い不興を買った貴方が燕に行っても、燕王は匿うどころか捕らえて送り返すでしょう」と言った。その言のもっともなことに繆賢は狼狽したが、続いて藺相如は「ここはいっそ自ら処刑台に乗り、進んで趙王様に罰を請えば、幸いに許されるかもしれません」と勧めた。繆賢はこの言葉に従い、果たしてその通りに許され、信頼を取り戻したのである。
この話に納得した恵文王は藺相如を呼び、この国難にあたっていかにすべきかを問うた。藺相如は「秦は強く趙は弱い、受けざるを得ないでしょう。話を受ける形にして、何かあった際の非は秦にあるようすべきです」と答えた。恵文王が「だが璧を奪われ、城を渡されなかったらどうする。それに任せられる使者が居ない」と言ったのに対し、「使者が居ないのなら私が秦に出向き、城を受け取れなければ『璧を完うして帰ります』(璧を全く損ねることなく帰る=必ず持ち帰るの意、「完璧」の語源)」と申し出、交渉役に抜擢された。
藺相如は秦都咸陽へ入り、秦の昭襄王と対面する。そして和氏の璧を渡すが、受け取ったとたん寵姫や群臣に見せびらかし続け、城の話をする気配が無い昭襄王の態度に、城を渡す気が全く無いと判断した藺相如は、「実は小さい傷があるのです。よろしければお教えいたしましょう」と近寄って璧を奪い取り、柱の側へ駆け寄った。そして、冠を突き上げる程に髪を逆立てた凄まじい怒りの形相で[2]、「趙では疑う意見が多かったが、『簡素な服の者(=庶民)の間[3]ですら欺くのを恥とするのに、ましてや大国が欺くなど』との私の言を趙王様は入れられ、大国秦に敬意を払い5日間身を清め和氏の璧を渡された。この趙王様の信義に対し、秦王様は余りにも非礼で粗雑な扱い。もはや璧も自分の頭もこの柱で叩き割ってくれる」と言い放った。昭襄王はあわてて地図を持ってこさせ、15城の話をしたが、それは上辺だけで城を渡す気が無いと見た藺相如は、昭襄王に宝物を受ける際の儀式として5日間、身を清めるよう要求した。そしてその間、従者に璧を持たせ密かに趙へ帰らせる一方、自らは残って時間を稼いだ。
そして5日後、身を清め終えた昭襄王が和氏の璧はどうしたかと問うと、藺相如は「歴代の秦の王において、約束を固く守った王を聞きません。秦王様に城を渡すつもりが無いように見えたので、欺かれることを恐れて既に趙へ持ち帰らせました。十五城を先に渡せば、趙が璧を惜しむことなどありません。しかし重ね重ねの無礼の償いとして、私には死罪を賜りたい」と述べた。群臣はこの者を処刑すべしと思ったが、藺相如の剛胆さに感嘆した昭襄王は「殺したところで何も得られず、趙の恨みを買うだけである」とこれを許し、璧も城も渡さないということで収まり、藺相如も饗された後に無事帰国した。趙では、恵文王が秦から帰って来る藺相如の遺体を国葬で迎えようと準備していたが、生きて帰ってきたことを喜び、使者のために仮の家臣としていたのを正式に自らの家臣とした。 藺相如は胆力と知恵だけを武器に、強国秦に一歩も退かずに璧を守り通し、趙の面子も保ったのである。正しく「完璧」(中国語では「完璧帰趙」)な対処といえよう。
http://www.asyura2.com/19/senkyo257/msg/422.html#c8