2. あやみ[340] gqCC4oLd 2017年9月28日 18:59:33 : jQX91rWKe2 : 9TnthjZanaI[1]
1さま、コメントありがとうございます。
>結局人類とは…、感情が理性に勝る動物なのである。
感情は人間にもとより備わる特性ですが、人類はその獣よりも残忍な特性を押さえつけることで今日まで存続することができたと考えます。それは信仰のみによって可能にされてきました。
同時に信仰は常に権力者の「武器」として利用され、人類は「神の名において」過ちを犯し続けました。
近代以降、「信仰との別居」が定着し近代主義的思想のもとに培われた「正義」が「信仰」に取って代わります。
すると「非道を行えば神に裁かれる」と言う畏れは「非道を行えば法に裁かれる」という恐れに移行しました。これだけでは信仰心を捨てたことにはなりませんが、とりあえず神の管理から逃れられたような気になります。これが「神との別居」であり、世俗主義とか政教分離などという知ったような名前で呼ばれています。
法で裁かれることが意味するのは政治的・時間的・経済的・社会的に制裁と束縛を受けることです。神に裁かれることに比べれば別にたいした事はありません。
それどころか、法を管理するもの、つまり「強者」の胸一つで無罪放免も可能になります。さらに国家権力などが国内外の利益のためにあらゆる非道を容認することもできてしまいます。ミャンマーはいまそういった状況に置かれています。
いまバーガンディーに身を包みその顔を醜くゆがめた僧侶たちが神も仏もなく非道を働きます。彼らは周囲の刺激で肥大させられた憎悪を振り回す、理性を感情に喰いちぎられた獣以下の存在です。人の感情の弱点を熟知する者たちに利用されたのです。日本軍は世界から散々利用された上に近代史上最悪の狂気集団という札を貼られました。
「感情が理性に勝る動物」と一線を画すことで人間の称号を得られると考えます。そのためには頑として利用されないよう歯を食いしばることが求められます。