21. 2017年1月26日 22:28:00 : ZDdrrRZVHk : 9LpTfufh42M[1]
8さん
>こんな事でいいのか?日本人は。
倒幕であるから維新。 討幕であれば革命。 歴史における言葉使いをまず見直さないといけない。
小栗忠順は、幕府の内情を伝える新聞があったらと言ったそうである。 (米国籍のジョセフ彦が、横浜
において、発行した日本初の新聞が「海外新聞」とされる) http://ifsa.jp/index.php?josefuhiko
明治初期に、新聞紙条例と讒謗律で報道規制を行った。 その後、議会に記者が入る許可があって
記者クラブの前身となったようである。 政府御用達でない、宮武骸骨のような在野独立系の人物は、
権力批判を行っていた。 ジャーナリズムは、横において、保守の歴史伝統は、薩長による史観とする
のも、確かにそう思えますね。 また、他にも原典をあたらないので洗脳とされる表現もその通りでしょう。
尊王思想は、捕虜(文禄慶長の役)と亡命者(中国)による朱子学。 朱子学で統治した江戸に始まり、
国史の記紀に遡る。 この記紀にある聖徳太子の十七条の憲法。 古事記に事績は無く、日本書紀
推古天皇。 十二年春正月戊戌朔 ・・・ 皇太子親肇作憲法十七條として記述されている。
日本書紀
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_22.html
「和の国」だとか「和を乱す」とか、KYもその一つで使われる「和」は、「和をもって貴しとなす」からと
云われ民族固有の伝統のようになっている。 憲法という語も、今の憲法のように錯覚につながる要因
もある。 この憲法は、官吏・役人向けと思われ、その背景は、崇仏戦争で官吏も敵味方で戦ったで
あろうから、和(なごみ・やわらぎ)の心持ちを大事にして、会議・議論を行えば、道理ある結論を導き
出せると述べたもの、一曰(1条)と初めにあり、念押しの17条は独断はするな、重大な事はみんなで
議論せよとしている。 15条は、私心とする私利私欲は、公務や議論の妨げになると述べている。
議決について、15条と同じような「理非」が御成敗式目にもある。 御成敗式目は、鎌倉(北条)政権
が、承久の乱(後鳥羽上皇が挙兵し、北条政権に敗れ島流しになる。 権力者を首都から追放は革命
といえる)のあと、制定した武家法で家康の江戸時代も踏襲している。 江戸では、「談合せよ」よく話し
合えとして使われる。 討論討議は、会読として寺子屋でも行われていたであろう。 五箇条の御誓文
には、万機公論に決すべしである。 議論を尽くせが古来からの伝統、しかし、安倍政権やその仲間の
保守議員は、噛み合わない議論、一方的な自説講釈の物言いで、歴史伝統を重んじると自負するが、
その実の思想は、尊王思想となる朱子学や儒教の中国の政治体制を願望しているようなもの。 上意
下達が中国皇帝の政治であれば、儒教の異端が日本で、みんなで話合えの政治だったとなる。
まあ、歴史伝統も時の権力が決めることなのかもしれないですが。
御成敗式目 御評定間理非決断事
http://www.geocities.jp/hgonzaemon/goseibaishikimoku.html
幕末の浪士(志士)をまねた若者を皮肉った瓦版 (江戸のマスコミ「かわら版」 吉川豊著より)
蘭名「ロヲシマネ」(浪士真似) 又 コケヲトシ共云ふ異鳥、文字は分からず。
この異鳥は、近来アメリカ渡来此の方、天気人気によりて生ず。
何の故「ロヲシマネ」と名づく、クチバシ尖りて鷲のごとく、マナコ怒りて鳶のごとく、
刀のごとき尾あり、足に下駄を履くがごとし、頭の狭くして、かつ後も毛あり、モトドリ
長くしてスリコギのごとし。 腹を割りて見ればキモ至って小さし、その鳴く声は
詩を吟ずるがごとし、勇猛のやうなれども逃ぐる事速やかなり、長竹刀を持って
指せば得べし。 鳥モチに及ばず、近頃ますます増えて珍しからず、翼あれども
高飛びできず、クチバシあれどもよく事さえづらず、眼あれどもよき事は見へず、
一名「コケオドシ」とも云ふ、手の様なる物あれども用にならず、「ヘンテコ」なる
実を喰い、古今稀代無用成るものなり。 江戸中ことごとく遊行する。
http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/626.html#c21