1. 2017年1月01日 16:06:00 : o66rfZUmbI : 92V9fjlci14[1]
佐藤優の指摘することはまったくそのとおりなのだが、サダム時代のイラクや今のアサド、シリア政権が地縁血縁を反故にしてきたかというと、まったくそんなことはない。
確かにサダムやアサドは国家と国民を作り上げることに心血を注ぎ、そのためそれらを忌避する連中(イスラム勢力)との相性も悪く、ときには力でねじ伏せてきた。
それを欧米政府がことさら取り上げ、民主主義の機能が失われた独裁国家だと非難してきたことは、この両国が欧米によって仕組まれた政権破壊の工作の憂き目にあったことによって明らかとなったが、だからといってサダムやアサドが地縁や血縁でつながる部族や国家に捉われないイスラム主義などをすべて抑圧していたというのはイラクやシリアの政体を見失う元だと思う。
イラクやシリアともバアス党が支配していた国であり、バアス党がイスラム教に対してどのような視点を持ち、アラブナショナリズムと国民国家の統合にどのようなアプローチをしてきたか、少なくともイラク、シリアともに地縁血縁を貴ぶ部族や下地になるイスラム教や他宗教への保護に関しては国の裁量を超えさえしなければかなり自由にさせていたし、部族の長の意見も取り入れることを怠ることはなかった。
たとえばイラクは湾岸戦争終了後、しばしば国連決議違反と称してはイラク国民が政府に不満を高めるよう米英が空爆しインフラを破壊したが、支配政党であるバアス党は遅くても一週間後には破壊されたインフラを復旧させるべく手をつくして元に戻すなどして不満を抑えることに費やしてきたし、シリアでもアラウィー派のアサド政権に不満を持つ名門スンニ派部族の陰でワリを食ってきた他のスンニ派部族を積極的に重用し切り崩して分断を図ってきた。
サウジがイランよりイスラム国のほうがマシだと見ているのはそのとおりだが、それは単にスンニ派とシーア派という宗派対立のうえであり、だからといってサウジ自身がイスラム国を受け入れることはない。
なぜならイスラム国はムスリムの世界での王政を認めていない。
サウジのスンニ派の源流はワハーブだが、これはスンニ派の学問であるサラフィー主義とほぼ教義が同じであり(サラフィーからの亜流ともいわれている)イスラム国はサラフィーの影響を受けており、サウジの王政について否定的であることから、サウジ王政はイスラム国に対して自国への影響を嫌い非常に冷淡である。
佐藤優はサウジはイランよりイスラム国を選ぶと言っているが、それはありえないことだ。
王政を認めないと主張するイスラム国をサウジが保護するわけがないのだから。