2. 2018年12月06日 16:09:51 : k7vkDhTIk2 : 8n1Dbkz5eFE[1]
いつのころからか、政治を語り合うのがダサいという分類に区分けされてしまった。
おそらく“区分け”してやろうと考えていた奴がいたのだろう。
彼らはまず、テレビ業界に手を突っ込んだ。かつてはバラエティー番組の中でも頻繁にあった政治の風刺コントが消えた。
お笑い芸人による池田勇人や大平正芳の物まねがテレビの電波に乗っていたが、いま安倍晋三や菅義偉の物まねをする者はいない。昔はそれが面白かったが、いまは間違いなくクソ面白くもない。むしろ腹が立つ。
アリバイ作りでテレビにも政治を語る番組がある。クソ面白くない。政治を語るのがダサいと分類するためにやっているような30分であり、1時間である。
いつの間にか庶民の頭の中から政治が消え、お上に任せていればいいという“空気”ができ上った。それに慣らされてしまった。
お上に任せていい時代もあった。給料が上がり、景気のいい時代も間違いなくあり、プチブル生活に浮かれ、お上の政治もまんざらではないと思わされてしまった。
それがずーっと続いてしまった。任せていたら、とんでもないことをやりたい放題し放題のお上が出てきてしまった。
極悪人のお上が作り出す、ごくごく一部の人間には施しのある景気は、多くの庶民に生活困苦の状況を強いている。
しかし、政治を語ることをダサいという習慣に慣れてしまった庶民はお上と戦うことを忘れてしまった。
極悪人のお上との戦い方も知らない。
自己主張のできない庶民ばかりの国はつぶれるしかない。
民主主義とやらを理解できず、民主主義という幻想の中で生活していれば、待ち構えているのは悲劇。
国政選挙の投票率60%の国に未来があるわけない。
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