12. 2017年1月14日 11:44:53 : qWreIDpaos : 7Wc@owVgQUU[1]
世界の諸国民と助けあわねばならないと、憲法に書いているでせう
安倍総理の行状が正に憲法遵守と言えます
なんてひどい憲法なんでしょう
さっさと憲法を変えて、世界の諸国民を助ける必要なしという憲法に
変えねばなりませんね
http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/127.html#c12
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安倍総理の行状が正に憲法遵守と言えます
なんてひどい憲法なんでしょう
さっさと憲法を変えて、世界の諸国民を助ける必要なしという憲法に
変えねばなりませんね
http://www.asyura2.com/17/senkyo219/msg/127.html#c12
つまり仏教とは、ブッダが教義化したものでも弟子が教義化したものでもなく、6世紀に入って、隋が国教として編纂したものが仏教としてのスタートラインと言えるだろう。
イエスの登場(これも作り話だが)以来、後付けでキリスト教の教義理由として編纂された聖書は、断片的な神話の継ぎ接ぎによって生成されたことは有名だが、当時、人口においてオリエントの10倍の規模を有していた黄河流域の社会においても、盛んに教義の継ぎ接ぎは行なわれている。
仏教とは、国民を統治する上で都合のいいブッダの言葉と、建設労働者の移民団体であったヘブライ人(ユダヤ)建設国家であった秦の後継国家で、物資の保管施設を建設する能力を有していた隋に取って、お布施という、贈与物を貯蔵可能な国家として、此れを供出させるという概念の融合に成功した教義・・・これが仏教だ。
また、仏教は日本で開発された新興仏教である浄土真宗を除き、般若心経を唱和するというポイントで一致しており、この般若心経の精神は、色即是空空即是色と称される、見えるものは虚像であり見えないものこそ本質であるという、偶像崇拝の禁止を語った言葉である。
つまり、神は見えない、神は君の心の中にある=君の良心こそが神なのだとしたユダヤ教の精神こそが般若心経の最も強く訴える部分で、ここが神仏習合のうち、財産を与えられず、お布施をする必要のなかった日本の庶民が、神道=何かをなす時、それを母が喜ぶかと自問せよ=こういう神道教義と般若心経の一致を見るわけだ。
逆に、財産の保有を許された特権階級は、その財産の供出を教義とされたブッダの言葉とおふの概念により統治されたので、日本の上流階級はお寺にその名を戸籍として管理されたというわけよ。
日本の庶民が、下級へ行けば行くほど倫理観が強く、日本の上流階級は上へ行けば行くほど吝嗇でモラルが低いという、こういったモラルの逆転現象は、長い長いこの倫理観が影響しているわけですわなあ。
http://www.asyura2.com/16/senkyo218/msg/877.html#c57